「置き去りにされた人がいっぱいいた」NY在住の佐久間裕美子さんが見た、アメリカのいま

「リベラルがわかってなかったこともいっぱいあった」

アメリカに住んで20年になるフリーライターの佐久間裕美子さんが、『ピンヒールははかない』という本を書いた。

本からは、ニューヨークの女性たちの生き方を通じて、女性がひとりで立って、歩いて、自由に生きていくことへのエールが伝わってきた。離婚した元夫の病やその家族とのエピソードも染み込んできた。

帰国中の佐久間さんに、生きるヒントを聞いた前編に続いて、これまでの歩みやフリーランスとしての生き方、そして大統領選後のアメリカについて聞いた。

佐久間さんは、「リベラルがわかってなかったこともいっぱいあった。置き去りにされた人がいっぱいいた」と語った。

Kaori Sasagawa

——大学時代にアメリカへ。ニューヨークに暮らすようになった経緯は?

アメリカに行きたいと思ったのは、93年。大学2年生のときに初めて本土に行って、スタンフォード大学の短期留学プログラムに参加させてもらったんです。

それはそれはプログレッシブ(進歩的)な内容でした。語学の時間もあるけど、ホームレスのスープキッチンでお給仕するとか、もう英語全然できないんだけど、LGBTの人たちも入れる教会でレズビアンのカップルにインタビューするとか。今思うと、あの1カ月がすごく自分に影響を及ぼしたと思う。

——他にどんなことが印象的でしたか?

ジャムバンドのライブに連れてってもらって、バンドとともに旅をしているデッドヘッズっていう人たちの暮らしぶりを垣間見て、自分が「自由」という言葉に対して抱いていたイメージと随分違うって思った。

個人主義で、すべて自己責任なところに惹かれて、この国に住みたいってすごく思っちゃった。

アメリカに住むためにはどうすればいいかと思って、とりあえずアメリカ政治のゼミに入ろうと。大学で留学するのは親に対して説得力がないと思ったし、先生の話を聞いて、「研究者になったら好きな研究をして自由に暮らせる」みたいな幻想を抱いて、大学院まで行ったんです。

——研究者を目指して大学院へ。今とはだいぶ違う道ですね。

そうそうそう。超不純な動機で大学院まで行ったら、もっと本当に突き詰めて天文学とか好きな人がいっぱいいて、私なんてもう全然チャラかった。これはもう全然歯が立たんと思って、研究者になる道はすぐに諦めたんです。

ニューヨークには94年に。いろんなところを旅してみようと思って、カリフォルニアの学校でサマーコースを取った後に回ったんです。初めて行ったニューヨークはすごく怖かった。

こんな怖いところにはとても住めないと思ったんだけど、もう一回行ってみようと思って、大学4年のときに友だちと行ったら、すごい楽しかったの。

クラブに入ったら、フリークショー(見世物小屋)というと言い方悪いけど、女装した男の人とかいろんな人種の人とが、うわーって遊んでて、とにかく自由だなと。

私が知ってる"世間"とは違う人たちがこんなに楽しそうに生きてるところだから、ぜひ住んでみたい。大学院卒業したらニューヨークに住みたい、と思った。

Kaori Sasagawa

——現地の通信社や出版社で会社員も経験されました。向かないと思って辞めたそうですが、なぜですか?

毎月給料が同じなのにそんな頑張れないっていう(笑)。学生時代から大学院に行こうと思っていっぱいバイトしてて、頑張った月はお給料が多いというシステムが好きだったの。

だから、頑張っても頑張らなくてもお給料が同じシステムだと、いまひとつ頑張らない自分。最初から自由人を目指してたから、いつか会社を辞めたいって思ってた。

——いつかフリーランスになりたいと。

母がフリーランスだったこともあって、通勤電車に乗らないし混んだ時間にデパートに行かなくていい、みたいなことは刷り込みとして多分あったと思います。

大学のときに大学院留学日記を書かせてもらってたり、勤めながら語学留学雑誌の原稿を書いたりしていました。ライターの仕事が増えていったら会社を辞めようと最初から思ってました。

ビザの問題もあるから一応仕事がないと駄目で、なんとか会社員の間に永住権も取って、いつか会社を辞めてやるって思ってた。だからずっと二足の草鞋を履いてたの。

——2016年、アメリカ大統領選で共和党のトランプ氏が勝利しました。あのとき、佐久間さんや周りの友人たちは、どんな心境だったんですか?

すごいショックだったんですよね。リベラルなところに住んでる人は、ほとんどがヒラリーの勝利を信じていたけど、蓋を開けたら全然違う結果が出た。しかも、女性でもそれだけあちら(トランプ)に投票した人がいた。ここまでとは思わなかった、みたいな感じだと思う。

——大統領選の後、ワシントンで開催されたウィメンズマーチに参加されていました。

アメリカ人って怒るとすぐマーチ(抗議運動の行進)にするから。イラクに侵攻したときもそうだだったし、反対のことがあったらマーチすることが普通のこととして定着している。これまでもイラク侵攻反対、同性婚賛成といったマーチにも参加してきたし、抵抗の時代が始まったのだと思ったから、震源地を見たくて参加しました。

アメリカのトランプ大統領就任から一夜明けた1月21日、首都ワシントンD.C.をはじめ全米各地で反トランプデモが行われ、数百万人規模に膨れ上がった。
アメリカのトランプ大統領就任から一夜明けた1月21日、首都ワシントンD.C.をはじめ全米各地で反トランプデモが行われ、数百万人規模に膨れ上がった。
REUTERS

わざわざワシントンまで行けない人のためにニューヨークでもやっていたし、男女関係なく、ニューヨークからバスを借りて行くという人も多かった。誰でも参加できるものではあるけれど、それなりにお金もかかるし、時間を遣っているわけで、こういうことが自然発生的に起きることがアメリカの良いところだと思う。

女性のためのマーチ、というタイトルはついていたけれど、男性の参加者もものすごく多かった。そういう男の人たちのおかげで自分たちも立ってるし、女性の権利も拡大されてきたんだってことを本当に肌で感じたから、一緒に歩いてくれてる男の人たちに、ものすごく感謝の気持ちが生まれましたね。

友達のキャロラインのおばあちゃんは、足腰ももう駄目だから行けないけど、電話がかかってきて、「みんな私の分も歩いてくれてありがとう」って言ってくれました。

——どのくらい男性はいたんですか?

5人に1人くらいは男性だったんじゃないのかな、というくらいの肌感覚。(元国務長官の)ジョン・ケリーも犬を連れて歩いてました。 あと(トランプ大統領の娘婿の)クシュナー家の人もひとり来てた。

——あれから約1年、いまどう感じていますか?

私は楽観的だから、トランプは大統領にならないんじゃないかってタカをくくってたところもあった、蓋を開けてみたら、やっぱりリベラルや民主党支持者がわかってなかったこともいっぱいあったんだと思っています。世の中の進化に置き去りにされてた農村部の人たちがたくさんいたんだなって。

私、ラストベルト(アメリカ中西部から北東部に位置する、鉄鋼や石炭、自動車などの主要産業が衰退した工業地帯)の取材に行ったんですけど、トランプを支持した人たちが集中的に住んでいる地域はやっぱり結構貧しいんですよ。平均所得250万円みたいなエリアが多くて。

そういう人たちに、都会の私たちの現実を言っても説得力はないし、彼らが一定数いるからトランプがサポートされているわけで、その現実からは目をそらしてはいけないと思う。

——具体的な変化は?

オバマ前大統領が敷いた環境規制やオバマケアの加入義務、移民の子供を保護する政策などを、トランプ大統領と共和党が次から次へと撤廃していて、暗澹とした気持ちにはなるんですけど、でもそれに対して、みんな積極的に抵抗運動を組織してやってる。

日本だと選挙はあるけど、おかみが決めたことにはあまり抵抗しないというか、諦めとか無力感みたいなもののほうが強くなってしまいがち。おかしなことにはおかしなことって声を上げないといけない。

ロサンゼルスから帰ってきた日本人の友だちが、ロサンゼルス空港で大統領の顔がうんちになってるTシャツを売ってるのをびっくりしていた。お上だからといって言うことを鵜呑みにしたり素直に聞いたりする必要は全然ない。市民が政府を雇ってるんですよ、という意識は強いと思います。

——空港で抵抗運動する自由はある。

一方で、アメリカ政府は渡航者に(電子渡航認証システム「ESTA(エスタ)」で)SNSアカウントを聞いたりもしている。反アメリカ的な言論を把握しようとしている。そうすると、「だったらもっと言え」みたいな感じになるのがアメリカ。やっぱり国の歴史が抵抗運動の歴史だから。

決まっちゃったから素直に受け入れないといけないかっていうと全然そうでもなくて、表現の自由があるわけだから、おかしなことはおかしいってみんな言わないと。どんどん、どんどん、勝手にことが決まってしまうから。

——日本にいても、あらためてリベラルとは、と考える機会になりました。

難しいですよね。私はアメリカに住んでて、リベラリズムっていうのは、何人も同じ権利が保障されることを目指すことだと思ってきました。それは黒人も白人もヒスパニックもイスラム教徒も女性もトランスジェンダーも全員ね。

だけど日本におけるリベラリズムってすごい難しいなぁとは思う。多くの人が単一民族国家だと思っている国で、リベラリズムはどうしても生ぬるいこと言ってるみたいな風に見えがちじゃないですか。日本におけるリベラリズムの役割っていうのは、例えば国粋主義的なものとかに歯止めにかけるということかなと思っていますけれど、それすら今できていない。

——佐久間さんがご自身の発信をしていくうえで、いま大事にしてるメディアやSNSはありますか?

いろいろですよね。今は自分のサイトで日記書いていて、しばらくTwitterとかは怠けていましたが、怠けがち。3年ぐらいInstagramに夢中になってそっちが中心になってました。

メディアやプラットフォームがどんどん変わっていくなかで、自分が書いたものを読んでくれる人と直接繋がれないとすごく脆いという気もしている 。直接どういう人たちと繋がって、どういう人たちにものを言っていくか、ということは考えるようにしてる。日記を始めたのもいろんな理由があるんですけど、それもそのひとつ。

新しいもの好きだから、何か出てきたらとりあえずはやりたい。全然続かなかったものもあるけど、プラットホームはこれからもずっと変わり続けるし、それによってコミュニケーションの方法は変わっていくんだろうと思うけど、基本言いたい内容はあんまり変わらないから。

——今後やってみたいことは?

一時期、大御所系のインタビューがずっと続いて、大先輩たちはもちろん素敵なんだけど、やっぱりこちらの質問もあちらの話も、やっぱり過去の話になっちゃうんですね。

今もやり続けてる人じゃないとそこまで面白くない。いま同世代か自分より若い人の方が全然面白いなと思うから、そういう人たちとも一緒にものを作っていきたい。

あれも欲しいこれも欲しい、あれもやりたいこれもやりたいっていうのに突き動かされてるから。みんなもっとわがままになってもいいなと思ってる。日本人ってどうしても、私なんてとか、こんなことできないんじゃないかとか、控えめになってしまう。もっと自分のやりたいことや欲望に正直でもいいんじゃないかって思います。

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佐久間裕美子(さくま・ゆみこ)

1973年、東京都生まれ。1996年慶應義塾大学卒業後、イェール大学大学院修士課程に進学。98年大学院修了と同時に二ューヨークヘ。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て、会社員生活に向いていないと自覚し、2003年に独立。2008年、ロバート・フランクの『アメリカンズ』刊行50周年へのトリビュートとして初めて全米を一周。サブプライム金融危機を受けて、インディペンデントのメディアを作りたいと、12年を友人たちと立ち上げる。これまで、アル・ゴア元副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで多数の有名人や知識人にインタビューした。「ブルータス」「& プレミアム」「ヴォーグ」「WIRED JAPAN」など多数の雑誌に寄稿する。著書に『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』などがある。最新刊は『ピンヒールははかない』。

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