「仕事の帰りが遅い」は何時?:北米と日本の場合

返ってきた回答は...

いじかn生活困窮者支援、若者支援を一旦お休みし、7月にアメリカ合衆国ワシントンD.C.近郊に引っ越して来ました。

アメリカ生活は、支援現場とは違った意味で、一難去ってまた一難の連続です。

郵送で届くはずの現地銀行のキャッシュカードが届かなくて再発行してもらったり、アパートの契約では担当女性が、「明日から夏休みでディズニーワールドに行くから、同僚に引き継いでおくわね♡」と言ったまま、入居2日前になっても正式な契約書はできない、引き継ぎがされておらずお部屋のリフォームは入居予定日の朝まで終わっていないと散々。

入居したものの備え付け冷蔵庫が故障しており、数日後に交換してもらったのですが、それも別に新品でもなく冷蔵室の天井から水が溢れて来て修理が必要でした。電気の通っていないコンセントがあったり、なぜだか水はよく濁っていたり、工事中で通れない道が多いし、工事のため通りによってはよく断水しているし、朝起きたら予告なく停電していたこともありました。オンラインで頼んだ家具は、期日までに発送されず、いつまでたっても届きません。

そんな日本だったらあり得ないこと続きの新生活ですが、特別私たち家族が不運なわけではなく、これは「アメリカあるある」、いや「海外生活あるある」らしいです。日本があらゆる面において、とても安定的にあらゆるサービスが提供される良い国だということのようです。

そんなバタバタ新生活もちょっとずつ落ち着いてきたので、今月から友人の紹介でヨガのレッスンに通うことにしました。カナダ人のパートナーと子どもたちと暮らす日本人のインストラクターさんがご自宅でなさっている、とても素敵なレッスンです。

終わると、毎回お茶と出してくださり、みんなで先生を囲んでお喋りに花を咲かせているのですが、先日ちょっとびっくりする話がありました。

インストラクターさんのパートナー、カナダから転勤で一年前にワシントンD.C.にやってきたのだそうですが、今のオフィスは本国カナダよりも人が少なく、今まで見たことがないほど帰りが遅いのだそうです。そこで、何時くらいになるのか尋ねてみました。返ってきた回答は...

「うーん、7時は過ぎちゃうかなぁ...」

予想を遥かに上回る早さに、びっくりする私と日本人ママ友たち。顔を見合わせて答える私たち。

「7時帰宅は...日本では早い方ですね...」

私は支援現場でこれまでに長時間労働で体を壊したり、うつ病になって生活に困窮するようになった方に多く出会ってきましたから、長時間労働是正は、本当に重要な日本の課題と思ってきました。ですが、やはり自分自身、この日本の長時間労働文化に取り込まれていたんだなぁ、と改めて思った瞬間でした。

◯ワシントンでも紹介されている日本の長時間労働問題

多くの方が、日本の長時間労働が独特のものだとか、「過労死」が"Karoshi"という英語になっているという話を一度は聞いたことがあるかもしれません。

ワシントンD.C.では今月、地元有力紙"Washington post"がNHKの若手記者佐戸未和さんの過労死を入り口に、電通の高橋まつりさん、昨年同じくWashington Postで過労死の記事になっているセリザワキヨタカさん(*)も紹介しながら、日本の長時間労働に関する記事を掲載しています。

かなりまとまった長さの記事で、日本についての衆院選も含めた他の最近の記事よりずっと多くの字数が割かれています。

記事の中で、電通本社では夜10時に消灯することにした件が紹介されていますが、上記に紹介したカナダ人、そして大多数のアメリカ人にとっては、きっとそれでも遅過ぎると感じることでしょう。

また、記事の中では長時間労働に加えて、有給休暇取得の低さも紹介されています。興味深かったのは、有給休暇取得については論じるデータはイギリスの大手紙"Gardian"の記事を引用しているのですが、確認のためリンク先に飛んでいくとGardianでは、日本の労働文化について何度も記事になっているようで複数の記事が出てきました。

◯長時間労働が生まれる日本の「空気」と私たちにできること

記事の中では関西大学の森岡孝二教授のこんなコメントが紹介されています。

It's not forced by anyone, but workers feel it like it's compulsory.

(それ(=長時間労働)を誰も強いていないのに、労働者は強制的なものだと感じている)

私がこれまで出会ってき長時間労働によって心身を壊された方々のお話を思い出してみると、このコメントにはかなりの違和感がありますが、もし直接的に言われるのではなく、空気としてそれを感じて長時間労働があらゆる企業の中で文化として定着しているのだとすると、企業だけではなく、社会全体の問題なのではないかと思います。

例えば、昨年から私たちの利便性の裏でヤマト運輸のセールスドライバーが荷重労働で悲鳴をあげていると話題になりました。その時には、これまでのサービスがむしろ過剰だった、と感じた方も多かったのではないでしょうか?

アメリカ人は効率よく働いているので長時間労働はしない、などと言う話も聞いたことがありますが、住んでみると「終わらなくても終業時間になったら帰る」というのが、長時間労働をしない最大の理由であり、その不便さを社会全体として相互に負っているから成立しているのだろうと感じます。

こう考えると、担当者の休暇のために私たちのアパート入居に多少差し障りがあっても、水道や電気が多少止まっても、カードやソファが予定通りに届かなくても、近所の図書館のリニューアル工事が全然終わらなくて利用できなくても、その影で誰かが亡くなったり、心身を壊したり、楽しみにしていた旅行に行けなくなったりするくらいなら、これくらい仕方がないかと思えてきます。

責任感が強く、時間に正確で、インフラや物流が極めて安定しているのは日本社会の強みであるわけですが、一方でそこへの期待がちょっと過剰になり過ぎて、息苦しく、窮屈にもなっているのかもしれません。「まぁちょっと不便だけど仕方ないか」という空気に少しずつ変わっていくと社会全体がもう少し生きやすく、企業も労働者も長時間労働文化から抜け出せるのかなぁ、とこちらに来てからよく思います。

もちろん、空気だけでなく、制度もとても大切です。今週末は衆議院選挙。あまり争点にはなっていないようですが、佐々木弁護士が各政党の長時間労働対策のまとめをしています。ぜひチェックして、あなたや家族の暮らしに直結する長時間労働の問題も投票先を決める材料にしてみてください。

*セリザワキヨタカさんを取材したWashinton Postの記事は、クーリエ・ジャポンが日本語に訳して紹介しています。

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