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九州RAINBOWPRIDEは、トランスジェンダー学生の思いから始まった(誕生秘話)

2017年07月28日 00時25分 JST | 更新 2017年07月30日 22時28分 JST

・最初は「福岡でもレインボーパレードするっ隊!」って名前だったんです。

私はちょうど出会ったのは梅雨明けぐらいだったと思います。とある方からご紹介いただいたのが大学生の当事者だったんです。

彼らは福岡では初となる単独開催に向けて奔走していました。大学からも応援を受け、当事者を中心とする有志が集まり福岡で初めての出来事を達成するために頑張っていました。

2014年11月15日に開催されました。彼らの尽力で当日は1000名を超える当事者やアライの方々が集ってくれていました。

11月半ばは福岡は少し肌寒いくらいの気候なのですが、この時には彼らの思いが通じたのか汗ばむくらいの陽気で上着を脱ぎ、Tシャツになり、公園の中で楽しく過ごしたことを今でも忘れることはできません。

とても暖かくアットホームなイベントでした。ちなみに私はこの時には初めてレインボープライドに参加したのです。まだ私はLGBTの啓発活動的なことを自ら行うなんて思ってもいませんでしたし、私は何にも知識がないままにイベントに参加していました。

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・福岡のパレードの歴史はもっと古かった。

実は福岡のパレードの歴史は2007年に遡ります。

福岡には博多どんたくと言う超有名なお祭りがあるのです。毎年GWに開催され、200万人を超える方が集まる博多の代名詞のようなお祭りなのですが、このお祭りは福岡市内に各所にステージが設けられ、街の至る所で音楽や出店が立ち並びます。

またメインイベントは博多から天神へ繋がる大通り、明治通りを全面通行止めにしてたくさんのグループがパレードを行うのが名物なのです。各グループは本当に趣向を凝らして楽しいパレードをしてくれます。

そんな大きなイベントに参加していた時期もあるのです。2007年・08年と2年連続で出場していました。当時にリーダーシップをとって行ってくれた方は本当に大変だったでしょうし。苦労もたくさんあったと思います。でも彼らのおかげで今のパレードがあるように思います。一番最初を創ってくれた奇跡を感じます。

実は私2008年のパレードにも行っているのです。でも当時の私はまだ隠れて生きていました。「友人が歩くらしいよ」と聞いて公園に見にいくだけでした。

当時は隠れて生きることが当たり前と思っていたし、「歩いてバレたら大変なことになる!」「生きていけなくなる!」って本気で思っていましたから外から眺めるのが精一杯。

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・1回で終わる筈だったパレード

パレードが無事終了して、一月ほど経過した時に来年の計画を聞こうと思い代表学生と待ち合わせをしました、そこで言われたのは「来年は出来ません!」の言葉。

私は勝手に毎年続くものだと思い込んでいましたので結構な衝撃でしたが、聞けば彼らは卒業を控えていますし、卒業すればどんな形でも社会人1年生です。確かにパレードをしている余裕はないだろうなと心の中で考えておりました。

しかし折角、福岡でも付いた灯火がこれで消えるのはもったいないなと感じながらとなんとなく考えていていると気づけばポロっと口から出ていたのです。

「じゃ 私が引き継ぐよ〜」って、後日とっても後悔したのは言うまでもありません(笑)が「でも言ったからには やらんとね!」っと奮起したように私は記憶しています。

何にもイベントしたことないド素人の「のぶゑちゃん」がどこまでできるだろうと思いながらのスタートでした。

「彼らの想い」をちゃんと引き継ぎたくて、まずは彼らが当初目標にしていた5000人を目標に掲げました。

・九州RAINBOWPRIDEと言う名前

大学生の想いを受け継ぐと同時に考えたことがありました。私は宮崎出身です。中学校をイジメられて過ごしました。

高校ではいじめられなかったものの家族からは相変わらずで「オカマになるなよ」「もっと男らしくしろ!」などと言われ続け、自分の中には学校にも家(家族)の中にも居場所を感じることはできませんでした。

私は高校卒業後、逃げるように福岡に出てきたのです。実家から離れれば解放されると思っていましたし自由になれると本気で思っていました。現実はそんなに甘くはありませんでした。

自分に刷り込まれたトラウマのような心の中に潜む「自己嫌悪」に苦しめられていました。自己肯定感は本当に低く、「死んだら楽になるかな〜」とよく考えていました。

カミングアウトを決意するまでの10年間は私の中では暗黒だったかもしれません。今は「あの時代があるから今がある!」と思えるようにやっとなりましたが(笑)

余談が続きました。話を戻しますと、九州各地に当事者はいるんだと、そんな風に感じていたので、九州全体のイベント(パレード)にしたいと思い、あえて漢字の「九州」を使い「九州RAINBOWPRIDE 」と名称を決めたのです。

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・「絶対無理!失敗する!」と言われて始まった

スタートラインに立った時に、まずはいろんな人に相談しよう!と相談をして回りました。彼らは口を揃えて「そんなイベントは厳しかね〜。人は集まらんばい」っと言われてしまいました。

福岡ではまだ「LGBT」という言葉は一般的ではありませんでしたし、みんなほとんどが「夜の世界」「テレビの世界」の話だと思っている人ばかりでした。

でも私の友人は彼らなりに私のことを心配して、失敗したら大変だからとたくさんの有り難いアドバイスをくれました。

「夜の人たちに協賛金は出せない」「ゲイの人たちはみんな明るく楽しく生きてるやん。何が問題なの?」「普通の人だってみんな苦労して生きてるんだから そもそも我慢足りないんじゃない?」「俺はゲイとかに偏見ないけど協賛して夜のイメージがつくのは困る」「絶対に儲からないからやめとき〜。のぶゑちゃん。儲かることをし〜」「そもそも意味があると?」

数え切れないほどのご心配アドバイスいただきました。これは本当に無知からくる偏見なのだと改めて実感した瞬間でもありました。

そんなこと言ってる間にも仲間になってくれる人たちがちらほら出てくるものですね。

「実際に実行委員会で一緒に活動してくれるようになった方」「委員会には入らないけど私と一緒に活動してくれる方」「協賛金はないけど、物で応援してくれる方」「脳内にある情報を的確なアドバイスでくれる方」「個人的な付き合いで応援してくれる方達」

そうしているうちに少しづつですが、協賛金を出していただける企業様も現れて行きました。

そしてイベント当日はソフトバンクホークスの優勝パレードの日程と同じになってしまい警察から「日程の変更はできないのか?」などと意味のわからないことを言われる始末。そこは断固として譲りませんでしたよ!

ソフトバンクホークスの優勝パレードと被ったからかどうかはわかりませんが、イベント当日は5000人の来場者で会場は盛り上がりました(個人的にはソフトバンクは関係ないと信じたい)。イベントフィナーレで私が号泣している写真が残っている。恥ずかしい限りです。

そんなこんなでドタバタで九州RAINBOWPRIDEは生まれました。気づけば今年で3回目を迎えるパレードです。今年は8000人の方を迎え入れて大盛り上がりをする予定です。今年も応援お願いいたします。

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