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「厚労省vs.文科省」利権争いで停滞する「がん治療」最前線--上昌広

2017年08月08日 23時27分 JST | 更新 2017年08月08日 23時27分 JST

粒子線治療という言葉をお聞きになったことがおありだろうか。がんの放射線治療の一種だ。

水素原子核である陽子を用いた陽子線治療と、炭素以上の重たいイオンの原子を用いる重粒子線治療がある。粒子線治療は、陽子や重粒子を加速させ、がん組織を攻撃する。

従来のX線を用いた放射線治療は体表で効果が最大となり、体内では効果が減弱する。つまり、体内のがん病巣を狙いうちしようとすれば、どうしても皮膚など周辺組織を傷めてしまう。

一方、粒子線治療はがん病巣で放射線量をピークできる特性(ブラッグ・ピーク)がある。がん組織にピンポイントに狙いを絞れば、正常組織への副作用を抑えながら、効果を最大限にすることができる。

両者の差は散乱の程度だ。陽子線はがん組織に当たると、周囲に散乱する。照射線量を増やすと、周囲の組織への影響が避けられないが、重粒子線には、このような問題点はない。

スキャニング法など照射方法も開発が進んでおり、上手く調整すれば、周囲の組織を傷つけず、照射線量を増やすことができる。極論すれば、1回の照射で治療を終えることも可能だ。がん患者にとって「夢の治療」と言っていい。ところが、この治療はなかなか普及しない。

第1の問題は費用だ。重粒子線治療施設は初期投資が高い。内訳は建物に約70億円、照射装置に約70億円を要する。これに年間約6億円の維持費と、約5億円の人件費がかかる。この経費を賄うため、治療費も高額になる。1人当たり約300万円程度だ。

ただ、生命保険やがん保険の多くが先進医療特約を備えている。「先進医療」とは、厚生労働省が特例として混合診療を認める医療行為のことだ。重粒子線治療は2003年から認定されており、このような保険に契約していれば、患者の自己負担はない。

余談だが、我が国の重粒子線治療は世界をリードしている。治療施設は世界中で11あるが、このうち5つは日本だ。ただ、日本がリードしているのは偶然の産物に過ぎない。

「ついていた」日本

放射線治療は原子力開発と密接に関連する。世界をリードするのは、もちろん米国だ。1957年にローレンス・バークレイ国立研究所で重粒子線の臨床研究を始めた。ところが、1992年に開発を断念した。現在は陽子線治療に専念し、全米で26の施設が稼働している。

当時、アメリカが主たる対象としたのは消化器がん。その後の研究で、重粒子線治療は消化管のような管腔臓器のがんには応用しにくいことがわかった。専門家は「アメリカはターゲットを間違えた」という。

また、当時はCT(コンピュータ断層撮影)が出たばかりで、MRI(核磁気共鳴画像法)もPET(ポジトロン断層法)もなく、腫瘍の位置決めが正確にできなかった。腫瘍の場所がわからない以上、正常組織に当たってしまった時に被害が大きくなる重粒子線治療より、破壊力の小さい陽子線治療を選択したのは、当時としては合理的な判断だった。

日本で重粒子線治療の議論が始まったのは、1984年の「対がん10カ年総合戦略」からだ。総額1114億円の予算のうち、326億円を千葉県の「放射線医学総合研究所(放医研)」での重粒子線治療装置の開発に投じた。

先行する米国の情報や、当時、MRIが普及し始めたことが、日本に有利に働いた。さらに、1992年に米国が重粒子線治療から撤退したときは、バブル経済の真っ只中。予算の大盤振る舞いが続いた。日本はついていたのだ。

「横取り」されたプロジェクト

話を戻そう。我が国で重粒子線治療が普及しない最大の理由は、実は費用ではない。厚労省と文部科学省の省庁間の権益争いである。

対がん10カ年総合戦略は、杉村隆「国立がんセンター(以下、国がん)」総長(当時)の助言を受け、中曽根康弘総理(当時)の肝煎りで始まったものだ。

杉村氏は発がんのメカニズムを研究する世界的に高名な基礎医学者である。当時、世界のがん研究の中心は、自らが専門とするがん遺伝子だった。

対がん10カ年総合戦略は6つの重点研究課題を定めたが、3つはがん遺伝子に関するものだった。研究費の多くは、自らが総長を務める「国がん」におりる筈だった。

ところが蓋を開けてみると、文科省が所管する放医研には326億円の予算がついたのに、国がんを含む厚生省全体ではわずか180億円だった。「国がんが立ち上げたプロジェクトを、科学技術庁(現文科省)に横取りされた」(国がん関係者)ことになる。

その後、1995年の補正予算で国がんには陽子線治療施設が建設されるが、放医研との圧倒的な差は埋まらなかった。このあたり、川口恭氏の『がん重粒子線治療のナゾ』(大和出版)に詳しい。ご関心のある方には一読をお奨めする。

「保険適用」を一蹴した厚労省

現在、重粒子線バッシングの先頭に立つのが厚労省だ。屁理屈を言って、普及を邪魔しつづけている。

まずは、「先進医療」への承認を遅らせた。我が国では混合診療が禁止されている。例外的に認めてもらうには、厚労省の承認を受けなければならない。そのために、厚労省は先進医療制度という枠組みを設けている。2017年7月現在、104の医療行為が認定されている。

「先進医療」への承認を決めるのは先進医療会議で、もちろん厚労省が恣意的に運用している。

1994年に始まり、安定稼働していた放医研での重粒子線治療が高度先進医療(当時、現在の「先進医療」)の承認を受けたのは、9年後の2003年だ。一方、1998年に稼働し、なかなか安定的に稼働しなかった国がんの陽子線治療は、わずか3年後の2001年に認定された。

先進医療制度は、「将来的な保険導入のための評価を行うもの(厚労省ホームページ)」で、臨床経験を積み、この治療法の効果を実感した医師は保険適用を求める。

2012年1月19日に厚労省で開催された先進医療専門会議で、田中良明・日本大学客員教授(放射線科)が、小児がんや骨・筋肉の腫瘍での保険適用を強く求めた。

小児の脳腫瘍では全脳照射が行われるが、発達障害が不可避だ。骨や筋肉の腫瘍では、下肢が切除されることが珍しくない。重粒子線治療のメリットは明らかだ。

ところが、厚労省は費用対効果という概念を新たに持ち出し、「費用対効果のエビデンスが示されているとは考えておりません」と一蹴した。

巧妙な「印象操作」

重粒子線治療は、陽子線治療と異なり、1回当たりの線量を上げて、照射回数を減らすことができる。放医研では、一部の肺がんに既に1回照射を試みており、将来的には多くのがんに応用することを考えている。

2015年度に放医研が治療したのは745件だが、原理的には何千人でも対応可能だ。

そうすると1人あたりの金額を下げて、現在の何分の1かにすることができる。100万円以下になる可能性がある。「ニボルマブ(小野薬品、商品名オプジーボ)」など、最近開発された抗がん剤に要する年間の医療費の10分の1以下だ。

医薬品と違い、医療機器は保険収載されることで、価格が大幅に下がる。初期投資が高いが、ランニングコストは低いからだ。症例数が増えれば、損益分岐点が下がる。

2016年1月に保険収載された内視鏡手術ロボット「ダヴィンチ」は、収載前に200万円以上の費用がかかったのが、54万円となった。おそらく重粒子線治療でも同じ事がおこる。

元岐阜県知事で、放医研で前立腺がんの治療を受けた梶原拓氏は、「いまのうちに保険適用し、世界に輸出すればいい」と公言する。彼は元建設官僚。初期投資の高い公共事業を取り扱う役人なら、誰でも同じように考えるはずだ。

もちろん厚労省も、こんなことは分かっているだろう。ところが、診療報酬を検討する「中央社会保険医療協議会(中医協)」で、費用対効果の議論が始まったのは2012年だ。高額な薬剤が社会問題化したために、動かざるを得なくなった。

それまで、重粒子線治療の費用対効果など、真面目に考えたことはない。

形勢悪しと見た厚労省は、最近になって新たな戦略を考えついた。

2016年5月に厚労省で開催された先進医療会議で、藤原康弘委員(国がん中央病院副院長)が、「各施設が前立腺がんの診療をストップすると、ランニングコストも出なくなって重粒子線や陽子線の施設が成立しないから、だらだらと何とかして引きずりたいという醜悪が見え隠れする」と批判した。

その根拠として、「日本放射線腫瘍学会の理事長さんが、粒子線は前立腺がんには効かないと明言された」と付け加えた。

将来性が全く異なる重粒子線治療と陽子線治療を意図的に混同させ、悪徳医師の金儲けの手段と印象づけようとしている。

「既存の放射線治療でも治療できるから、重粒子線治療は無駄」という論理だ。しかし、前立腺がんでは、重粒子線治療は12回の治療で終了するが、既存の放射線治療では28回~40回程度が必要である。

この間、患者は毎日通院する必要があり、放射線治療スタッフの人手もかかる。通常よりも治療回数を減らしたい人は、自らコストを負担して重粒子線治療を選択すれば良いだけである。効かないなどと印象操作する必要はない。

このように、「粒子線は前立腺がんには効かない」という発言は医学的に不適切で論外だが、後者のコスト関連の指摘は当たらずとも遠からずだ。藤原氏は、そこを上手く突いた。

患者のメリットは何もない

粒子線治療施設の建設は巨大公共事業で、請け負うメーカーは数社に限定される。利権が生じやすい。2016年12月には、放医研を運営する「量子科学技術研究開発機構」と、東芝・日立などの4社が次世代の重粒子線治療装置開発で協定を結んだ。

東京電力福島第1原子力発電所事故の後遺症に喘ぐ原子力メーカーにとり、重粒子線治療器機の開発は、新たな成長領域である。

粒子線治療は、これまで採算度外視で進められてきた。たとえ赤字になっても電力会社からの寄付金で埋め合わせが効くからだ。その証左に、我が国の粒子線施設は佐賀や福井など、原発立地地域に建設されることが多い。

『選択』8月号によれば、東日本大震災で九州電力から予定されていた総額39億7000万円の寄附を貰えなくなった「九州国際重粒子線がん治療センター」(鳥栖市)は経営難に陥った。

現在、厚労省は陽子線治療と重粒子線治療を意図的に混同させることで、その効果を過小評価し、さらに原発利権が絡み、悪徳医師の金儲けの手段と化していると印象づけることで、規制の強化を狙っている。

具体的には、粒子線治療を「先進医療A」から「先進医療B」に変えようと提案している。

「先進医療A」は、条件さえ満たせば、どのような施設でも治療を受けることができるが、「先進医療B」は、厚労省が認定する臨床研究中核病院を中心に、厳密なプロトコールに沿って複数の施設での共同研究を実施することになる。

先進医療はあくまで保険適用を目指すもので、臨床研究目的でなく、治癒を目指せない進行がん患者に使うことはまかりならんという論理だ。

こうなると、多くの施設と患者が参加できなくなる。先進医療から外れれば、先進医療特約が使えず、混合診療を受けるためには、全額を自己負担しなければならなくなる。

1回照射を目指す放医研も、他施設と足並みを揃えて、すでに検討を終えた照射方法に戻さざるを得なくなる。患者にとっても何のメリットもない。この制度が始まれば、重粒子線治療を受ける患者は激減する。

医療界の宿痾

そこまでして厚労省は何を守ろうとしているのか。知人の国がん関係者は、「重粒子線治療が普及すれば、国がんは放医研に患者を奪われてしまう。研究費も放医研に回されてしまう」と言う。

国がんの中で、特に強い危機意識を抱くのは外科医だ。これまで国がんを仕切ってきた人たちだ。ところが、内視鏡が普及し、早期胃がんの治療が外科医から内科医に移ったように、重粒子線治療が発展すれば、放射線科医にお株を奪われる。

国がんは存亡の危機に立つ。私は、これこそが国がんが重粒子線治療に反対する本当の理由だろうと思う。そこに患者視点はない。

これまで、重粒子線治療の分野では、日本は世界をリードしてきた。ただ、このリードをいつまで維持できるかは覚束ない。世界が追い上げているからだ。中国は、2006年に蘭州、2014年には上海で重粒子線治療施設を稼働した。

米国の国立がん研究所は、2015年にテキサスサウスウェスタン大学とカリフォルニア大学サンフランシスコ校に、重粒子線センター準備のための予算を措置した。厚労省・国がんを中心に重粒子線たたきに懸命な日本とは対照的だ。

重粒子線治療は、我が国の医療界の宿痾を象徴している。既得権者の利権ではなく、患者の利益を考えて行動しなければ、我が国の医療の地盤沈下は止まらない。

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上昌広

特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

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(2017年8月8日フォーサイトより転載)