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「キャッシュレス経済」を推進せよ:インド「高額紙幣廃止」の遠大な狙い--緒方麻也

2017年01月11日 00時38分 JST

インド・モディ政権による衝撃的な「高額紙幣廃止」措置から2カ月、商売や市民生活の混乱もようやく収束に向かい始めている(2016年11月16日「インド『高額紙幣廃止』はブラックマネー対策に有効か」参照)。

しかし、市中の紙幣流通量の86%、20兆ルピー(約32兆円)ものキャッシュを無効化しただけに、現金取引の多い小売りや消費財関連産業、2輪車販売、そして農村部などでは一時的とはいえ大幅な需要減に見舞われている。

これだけのダメージを承知の上で実施した高額紙幣廃止の狙いは、名目GDPの25%を占めるとされるブラックマネーの捕捉・締め出しや偽札対策、と言われているが、その先には不透明かつ非効率で脱税や不正蓄財を生みやすいインドの「現金依存経済」をデジタル経済、キャッシュレス経済へと一気に移行させるという途方もない狙いが見えてきた。

「デジタル優遇」続々

政府は昨年12月上旬、まず国営保険会社の保険料について、オンライン支払の場合8~10%割り引く措置を発表。同月下旬には一般企業の給与支払いのキャッシュレス化を閣議承認した。ニティン・ガドカリ道路交通相は地元経済紙に対し、「近く高速道路の料金徴収を100%電子化する」と表明した。

国営石油会社のガソリンスタンドでは12月中旬から、クレジットカードやデビットカードでの支払いに対してガソリンや軽油代の0.75%割引を開始、1月からは割引を家庭用LPGにも拡大した。

また、国鉄の乗車券でも同様に1月から1%の割引を適用した。2月上旬にも発表する2017年度(2018年3月期)予算案では、電子支払いによる所得税の割引措置が盛り込まれる見通し。あの手この手で市民の支払いをデジタル・キャッシュレスに誘導している。

デリー市政府も、2017年1月から運転免許や自動車の車検証発行手数料などに電子決済の導入を決めるなど、こうしたデジタル支払い優遇の動きは各州政府にも広がっている。

国営テレビ『ドゥールダルジャン』は12月上旬、デジタル支払いに関する「啓蒙チャンネル」を創設。国を挙げてデジタル・キャッシュレス経済を後押ししている。

計画委員会を改組して創設したインド変革国家機関委員会(NITI アーヨグ)のCEOで、商工省次官などを歴任したキャリア官僚のアミターブ・カントは昨年末、「インドには10億人を超える携帯電話ユーザーがいて、10億枚を超えるアーダール・カード(いわゆるマイナンバー・カード)が発行済みだ」と指摘。

モディ首相肝いりの「ジャン・ダン・ヨジャナ(国民金銭計画)」でこれまでに農民や貧困層など2.6億人が新たに銀行口座を開設したことなどを挙げ、「今こそキャッシュレス経済に移行する時だ」と呼び掛けた。

「おサイフケータイ」爆発的普及の予感

実際、今回の騒動に懲りた人々は続々とクレジットカードなどキャッシュレス支払いにシフトしつつある。電子決済サービス大手の「ペイtm(Paytm)」のスポークスマンによると、高額紙幣廃止から1カ月で同社の利用者は2000万人も増加し、1.7億人に到達した。

また現地経済紙によるとこの間、e-ウォレット、つまりおサイフケータイの利用も1日当たり3.9億ルピー(約6.2億円)から23.6億ルピー(約37.8億円)に、POS端末利用の取引も同11.2億ルピー(約17.9億円)から175.1億ルピー(約280.2億円)へと、それぞれ急拡大した。

携帯電話サービス・プロバイダー最大手で2.5億件の加入者を抱える「バルティ・エアテル」やこれを追撃する「ボーダフォン」も、相次ぎe-ウォレットのサービスを拡充している。12月末に発表したインド商工会議所連合会(ASSOCHAM)などの調査は、2021年度までに電子決済におけるe-ウォレットのシェアが50%を超える、と予想している。

「インド版マイナンバーカード」の普及を推進するインド固有番号制度庁(UIDAI)の長官も務めた大手IT企業「インフォシス」の元CEO、ナンダン・ニレカニ氏は12月、ニュース専門局『NDTV』に対して、「(高額紙幣廃止措置で)デジタル経済への移行が進み、国内に約150万台あるPOS端末が半年以内で2~3倍に増加する」との見通しを示した。内外電子機器メーカーやIT企業にとってはかつてない「特需」となりそうだ。

高速データ通信が可能な4G(第4世代)携帯電話サービスを展開中の有力財閥「リライアンス・グループ」のムケシュ・アンバニ会長も昨年末、「デジタル経済の進展は経済成長をもたらす」と大いに歓迎した。もちろん、デジタル化が進めば自らのビジネスにとって大きな追い風になる、との期待もありそうだ。

モディノミクスとも相互にシナジー効果

このように高額紙幣廃止措置の狙いは、単にブラックマネーや脱税を摘発することだけではない。

すべての国民に銀行口座を開設させ近代的金融サービスを普及させるジャン・ダン・ヨジャナや、行政事務の電子化を進める「デジタル・インディア」など、モディ政権が取り組む一連の政策と歩調を合わせ、商取引の透明化や税収増をもたらすことが第一義だと言えるだろう。

中・長期的には、GDPの減速や国民の不満などを補って余りあるプラス効果が期待できるのは間違いない。

しかし、「高額紙幣廃止」前の時点では、インドにおける年間約800兆ルピー(約1280兆円)に達する商取引のうち、銀行やノンバンクを経由するデジタル・キャッシュレス取引はわずか20%にとどまっていた。

ジャン・ダン・ヨジャナで開設した銀行口座も、約25%が残高ゼロという。農村世帯の約3割はいまだに電気のない生活で、銀行ATMやパソコンの利用すらできない状況だ。

クレジットカードも2000年代半ばに第1次のブームが到来したが、無計画な利用による焦げ付きやカード破産が相次ぎ、発行枚数はまだ約2300万枚足らずと伸び悩んでいる。そしてキャッシュレス化・デジタル化の推進には、金融リテラシー教育も必要となってくる。モバイル詐欺やハッキングにも目を光らせねばならない。

今後、新紙幣が順調に出回って現金不足による需要減が解消されれば、インド経済は再び7%前後の高成長軌道に回復する――。多くのエコノミストは先行きに大きな不安はない、との見方で一致している。しかし、政府が掲げるデジタル経済・キャッシュレス経済への本格的移行には、まだ相応の時間がかかりそうだ。

緒方麻也

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(2017年1月10日フォーサイトより転載)