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紛争の現場から見る「憲法9条」「交戦権」

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SOUTH SUDAN
CHARLES ATIKI LOMODONG via Getty Images
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2000年7月、東ティモール。筆者はここで、ある決断を下した。

当時私は、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の上級民政官として、同国コバリマ県の県政を指揮する立場にあった。事実上の県知事である。

前年、住民投票により東ティモールのインドネシアからの独立が事実上決定したが、インドネシア国軍と独立反対(併合維持)派民兵が破壊活動や虐殺を行ったため、国連が事態の収拾に乗り出した。インドネシアは東ティモールの主権を暫定的に国連に移譲し、国連はUNTAETによる本格的な国づくりと治安維持を並行して行う、いわゆる「総括型PKO」が、ここで行われていた。

筆者が赴任したコバリマ県はインドネシアとの国境に近く、独立反対派民兵によるテロ活動は激しいものがあった。ニュージーランド軍の歩兵大隊約700名、パキスタン軍の施設大隊約700名が筆者の麾下にあり、PKF(国連平和維持軍)として活動していた。

「逮捕」から「殲滅」へ

そんな中、ニュージーランド軍部隊と反対派民兵約15人が遭遇して銃撃戦となり、同軍兵士2名が死亡するという事件が発生した。

それまで筆者は、反対派民兵の取り締まりは文民警察による「逮捕」が原則だと考えていた。そもそも軍には逮捕権限はない。だが銃撃戦となれば、これは明らかに「交戦」である。筆者は民兵組織を交戦主体と判断し、方針を「逮捕」から「殲滅」に切り替えるという決断をした。PKFは銃撃してきた約15人の民兵を殲滅した。「交戦」して「敵」を「殲滅」したのである。

PKOを変えた「国連事務総長」の「告示」

こうした決断を下した裏には、1999年8月にアナン国連事務総長(当時)名で出された「国連部隊による国際人道法の遵守」という告示があった。これを簡単に言うと、国連主導部隊の任務が例えば紛争地域の住民を保護する責任であり、住民に迫る脅威を排除するために武器の使用をするときには、国際人道法を遵守せよ、という内容である。

その国際人道法(戦時国際法)とは、戦闘を行う上でこんな殺し方はダメ、あんな武器は使っちゃいけないというふうに人類が大戦を経る毎に条約という形で積み重ねてきたネガティブリストの集積で、いわば戦争のルールである。軍隊など紛争の当事者は、これを厳密に守ることが求められ、これに違反した場合は国内法や国際法廷での裁きを受けることになる。

一方PKOは、そもそもは国連憲章の"解釈改憲"という苦肉の策によって生み出された活動である。その基本的な仕組みは、ある国内で対立する勢力(一方は政府、という場合が多い)双方の同意を得て当該国に入り、内政干渉を避けながら、中立の立場で停戦や軍の撤退などの監視活動を行うというもの。PKFの武器携行は自軍の安全確保と、停戦合意が破られないための抑止力としての意味でしかなかった。つまりPKOは、国際人道法の範囲外での活動だったはずなのだ。

ところが、1994年、ルワンダに停戦監視を目的に駐留していたPKOの目の前で停戦合意が決裂、大規模な殺戮が始まるも、PKOは何もせず、結果、100万人の住民が虐殺された。PKOは中立の原則から「紛争の当事者」になることを忌諱したのだ。

これが契機となり、同様の人道的危機が同時進行する中で、「事務総長告示」は、従来のPKOのありようを完全に覆した。「国際人道法を遵守せよ」――つまり「PKOが紛争の当事者になる」ことを求められるようになったのだ。

これによって当然だが、PKOの仕組みも変化した。紛争当事者の合意があって派遣されるのは従前の通りだが、「停戦や軍の撤退などの監視活動」ではなく、「住民の保護」がその目的となった。そのため、紛争当事者による住民の虐殺などが発生した場合には、PKF部隊は紛争当事者――たとえそれが政府軍であっても――と「交戦」して鎮圧することで、住民を保護せねばならなくなったのである。

「PKO参加5原則」の破綻

こうした、1999年の事務総長告示によるPKOの変容は何を意味するか。それは、日本が掲げるPKO参加5原則が破綻してしまったということである。

海部政権から宮沢政権にかけて審議され、1992年に成立したのが、日本のPKO参加を可能にしたPKO協力法である。この法律には、PKO参加5原則が明記された。その内容は(1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること、(2)当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること、(3)当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること、(5)武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、というものである。

読んですぐわかるように、この5原則は旧来のPKOのあり方に準拠するものである。特に(3)は、「停戦や軍の撤退の監視活動」を中立的に行うという本来の目的に合致したものだ。

ところが事務総長告示以降の現代のPKOは、必要とあらば積極的に戦うPKOである。住民保護のためには、時に「特定の紛争当事者に偏る」こともあるし、なにより、PKO自身が紛争当事者となって「交戦」しなければならなくなり、(5)で言うような必要最小限の武器使用という原則も通用しなくなる。つまり、すでに17年前に、日本のPKO参加5原則はほかならぬ国連によって破綻させられていたのである。このことを筆者は長く主張し続けているのだが、残念なことに耳を傾けてくれる人が少ない、というのが日本の現状だ。

「交戦」主体の多様化

このように見てくると、「交戦」という概念が実は非常に重要だということに気が付くはずである。

そもそも「交戦」とは、交戦主体同士による相互の武力行使のことをいう。単純な例を挙げれば、日本が某国からの侵略攻撃を受け、これに自衛隊が反撃をすることで「交戦」となる。逆に言えば「交戦」として規定されない武力の行使などありえず、上記の例は「個別的自衛権の行使」であると同時に「交戦権」を行使していることにもなるのである。

問題なのは、この「交戦」の主体が、過去と現在では様変わりしていることだ。

国連憲章や日本国憲法が生まれた70年以上前、「交戦」主体は主権国家が常識だった。国際人道法=戦時国際法もその常識に則って積み重ねられてきた。

ところが第2次世界大戦後、国際社会は大きく変化していく。イデオロギーや民族、宗教対立による内戦が増加し、交戦の主体が非国家団体にまで拡大していったのだ。

国連憲章での侵略や武力行使の概念は、主権国家を念頭に置いている。だから国際情勢が変化したとき、既存の憲章では解決能力がない。そこで先に述べたように"解釈改憲"をして、中立的な立場のPKOを誕生させなければならなかった。

また、内戦での紛争当事者は、一方が政府軍で一方が反体制の非政府組織だったり、あるいは当事者全てが部族や民族、または宗教やイデオロギーの集団といった組織である。そこで近年では、ある程度組織化されていて指揮命令系統が存在する非政府組織も「交戦」主体とみなす、というのが国際法での常識になりつつある。変な例になるが、日本が某国から侵略攻撃を受けた時に広域指定暴力団がこれに反撃したら、場合によってはその暴力団も「交戦」主体として国際的に認定されることもある、ということなのである。

憲法「9条2項」がはらむ現実との矛盾

では日本における「交戦」概念はどうなっているのか。まずは憲法9条2項を見てみよう。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この条文は、前段の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」という部分だけが、これまで論争の的になってきた。要するに自衛隊は軍隊なのか、戦力なのかという議論である。だが筆者は、これまでスルーされがちだった後段の「国の交戦権は、これを認めない」という部分こそ、もっと論じられるべきだと考えている。というのも、戦力つまり自衛隊のような常備軍がなくても、国家は交戦するからだ。常備軍を持たないコスタリカもそうだ。竹槍でも、素手でも、国家の責任でやる打撃力の行使は「交戦」なのだ。現実に日本は「交戦」するPKOに部隊を参加させている。

PKO参加5原則がまがりなりにも通用していた時代ならまだしも、先述したように、PKOは1999年以降国際人道法に準拠し、自ら「交戦」主体となる形に変容した。このことはPKO参加5原則を破綻させたと同時に、憲法に矛盾し、違反することになる。日本は9条で、交戦権を否認しているからである。

しかも、「交戦」主体は今や、アルカイダや「イスラム国(IS)」のように国家ではなく、国境を越えて活動するものも増えてきた。そうなってくると、国連を中心とする平和活動はPKOだけでは足りず、国連の承認のもとに結成される多国籍軍や有志連合が活動する、いわゆる集団安全保障措置も重要になってくる。その時、国際貢献を理由にこれに参加するにしても、武力行使すなわち「交戦」の可能性が高い場合、やはり憲法との矛盾が生じる。

では現行憲法の交戦権の否定を改正して、世界標準の活動ができる国を目指すのか、あくまで憲法を守って「交戦」主体とならないように活動を縮小するか、それとも従来の既成概念にとらわれない、新しい国際平和への貢献の方法を模索して実行していくか――今ほど9条2項の「交戦」について真剣な議論が求められている時期はないはずだ。現在議論の的となっている南スーダンのPKOも、まさに矛盾のただ中にある。

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伊勢崎賢治
東京外国語大学大学院教授。1957年東京生まれ。内戦初期のシエラレオエネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事し、その後、東ティモールで国連PKO暫定行政府の県知事を務め、再びシエラレオネへ。同じく国連PKOの幹部として武装解除を担当し内戦の終結に貢献する。その後、アフガニスタンにおける武装解除を担当する日本政府特別代表を務める。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)、『武装解除』(講談社現代新書)など。最新刊に『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎新書)。

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(2016年11月4日新潮社フォーサイト」より転載)