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霞が関の視点から「シン・ゴジラ」を見る:危機管理とポピュリズム

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「シン・ゴジラ」は、政府における危機管理を描いた映画として、とてもよくできている。筆者は、かつて通商産業省から内閣官房の危機管理担当の部局に出向したことがある。映画にも出てくる「内閣危機管理監」の下、当時、東海村JCO臨界事故(1999年)や、西暦2000年の正月(コンピュータ誤作動による問題発生のおそれがあったことから警戒態勢をとっていた)など、オペレーションルームでの対応にあたった経験があるが、それに照らしても違和感はほとんどない。それぐらい、よく関係者に取材して作られていると思う。

よく取材され過ぎたが故か、この分野の専門用語が当たり前のように使われている。例えば、冒頭で出てくる「緊急参集チーム」や「官邸連絡室を官邸対策室に改組」など、馴染みのない人にはなかなか理解できないのでないかと心配になるぐらいだ。これから映画をみられる方は、あらかじめ以下のページにざっとでも目を通されておくとよいかもしれない。【内閣官房ホームページの「内閣官房副長官補」の項】

「問題提起」と「解決策」

エンターテインメントとしての面白さは脇において、ここでは敢えて、この映画を「政府の危機管理」に関するレポートと読み替えてみたい。レポートの構成に直してみると、要するにこんなことだと思う。
 
1、問題提起: 日本政府の危機管理では、以下のような要素が混乱・阻害要因になりがちだ。
(1)形骸化した会議や、無用な形式にとらわれた意思決定メカニズム
(2)危機感や判断・決断能力の欠けた政治家
(3)パニック回避に偏りがちな国民向け情報提供
(4)縦割りで硬直的な官僚機構
(5)緊急時の対処に貢献できない御用学者
(6)自衛隊の活動に関する強固な制約
(7)過剰な対米配慮

2、解決策: だが、優れた政治家が、的確に官僚機構や専門家集団を活用することで、危機管理を成功に導くことができる。

このレポート構成は標準的な内容で、筆者も概ね違和感がない。このため、映画の前半の「1、問題提起」部分も、よくあることだなと思いながらみていた。

「中途半端」ゆえのリアルさ

ネタバレを避けるため個々の項目につき詳細を紹介することはやめておくが、全般に、かなりリアルで、現実に即した指摘がなされている。

例えば、(1)では、初期段階の官邸での会議で、官僚に渡されたメモを早口で次々読み上げる大臣たちが出てくる。戯画化された情景と思われるかもしれないが、実際、危機管理時でなく平時の官邸の会議でもよくみられる状態だ(平時の場合は、大臣の発言時間が「ひとり2分」などと限定されて、早口になるのだが)。

また、(2)で、緊急事態にもかかわらず、有権者向けのアピールばかり意識する政治家、それを見越して、作戦プランに政治家の名前をつけることを提案する官僚なども、残念ながら現実にありそうな話だ。

(3)では東日本大震災時の「メルトダウン」否定の暗喩と思しき場面など、以下いずれも、これまでもたびたび問題になってきた事柄が列挙されていく。
 
興味深かったのは、この映画では、決定的にダメな政治家は描かれていないことだ。ちょっとダメそうにみえた大臣たちも、それなりに頑張ったりする。おそらくエンターテインメントとしては、もっとダメな政治家を描き、それとの対比で主人公を際立たせることもありえただろうが、この点では中途半端で、だからこそいかにもリアルだ。要するに、危機管理の機能不全は、特に無能な総理大臣などといった特殊ケースでのみ顕在化するわけではなく、さまざまな要因によって現実の多くのケースで起こりがちであることが的確に「問題提起」された、優れたレポートになっている。

「矢口チーム」の優秀さ

そのうえで、「2、解決策」では、「優れた政治家が、的確に官僚機構や専門家集団を活用する」という方策が示される。ここでも、エンターテインメントとしては、例えば、機能不全に陥る政府機構の枠外から人材が現れて活躍するなどといった展開もありえただろうが(過去のゴジラ作品にはある)、「シン・ゴジラ」はあくまで現実的だ。官邸の矢口官房副長官のもと、関係省庁(文部科学省・環境省・厚生労働省・経済産業省など)の官僚や研究者を集めた特命チームが結成され、彼らが核となり、自衛隊や民間の協力事業者などが実行部隊となって事を成し遂げていく。
 
実は、このように、重大課題に対応して内閣官房に関係省庁から人を集めて特命チームを設ける方式は、現実にもよくとられる。その意味で、斬新性には欠けるが、現実的で有効な「解決策」が示されているといってよい。
 
なお、若干映画の中味に立ち入るが補足しておくと、矢口官房副長官のもとには、「出世とは無縁のはぐれものの官僚や研究者たち」が集められたとの説明がある。しかし、その後の働きぶりをみると、必ずしもそんな感じではなさそうだ。彼らは、出身省庁の枠を外れて活動しながらも、必要なときには出身省庁と連携し、そのリソースとネットワークをフル活用して、役割を果たしていく。筆者からみれば、これは内閣官房に出向する官僚のお手本のような仕事ぶりだ。その意味で、矢口チームには優秀な官僚たちが集められて機能したと考えてよいと思う。

「ポピュリズム」と「専門家の専制」の間

危機管理から話を少し広げると、ポピュリズム的風潮(あるいは、既成の政治家・官僚などの専門家集団への不信)が社会に広がる中で、敢えてこうした解決策が提示され、多くの観客から支持されていることも、筆者にとっては興味深い。
 
政治家や官僚に対する信頼は低迷を続けている。大企業、マスコミ、自衛隊、医療機関など各種機関への国民の信頼感調査では、政治家と官僚が常に最下位争いの状態だ【『「議員、官僚、大企業、警察等の信頼感」調査』参照】。このため、最近の舛添要一前都知事のケースもそうだが、何かあると大きなうねりとなって不信が噴出する。我が国に限らず、米国のトランプ現象、英国のEU(欧州連合)離脱なども、背景には、これまで政策を担ってきた専門家たちへの不信がある。
 
専門家集団への不信は、それ自体はもっともなことだ。特定の専門家たちが政策運営を担い続ければ、いわば「専門家の専制」状態が生まれ、癒着や歪み、新たな状況への対応の遅れなどが生じがちだ。健全な不信感に基づくチェックは欠かせない。しかし、不信が行き過ぎて、既成の専門家集団を否定・排除するような「ポピュリズム」に流されればどうなるか。我が国ではすでに、先の政権交代時に経験済みだ。

「ポピュリズム」と「専門家の専制」という両極端に振り子が動くことをどう回避したらよいのか。解決策のひとつは、通常の行政機構のライン外に別働隊チーム(ないし特命チーム)を設け、そこで専門家集団を活用して、「専門家の専制」をチェック・軌道修正していく方式だ。制作者にそこまでの意図があったかは別として、「矢口チーム」はその模範例といえる。
 
最後に、危機管理に話を戻すと、永田町と霞が関では、この映画のように、およそあり得ない事象を想定して、リアルな事態対処訓練をしておくべきだ。危機管理では、マニュアル整備が重要であることは論を俟たない。いちいち迷ったり、協議に時間を要して対応が遅れることのないよう、一定事象が起きた場合の行動はできるだけ明確にしておくことが重要であり、これは相当程度既になされてきている(例えば、「東京23区内で震度5強の地震があったら直ちに官邸に参集」など)。

しかし、考えうるあらゆるケースを想定してマニュアルを整備しても、どうしても「想定外」の事象は起きる。ここ数年でも、「想定外だった」というコメントを何度も耳にしたはずだ。したがって、マニュアル整備は最大限に行いつつ、そのうえで、およそあり得ないはずだったことが起きた場合にも備えた訓練を行っておく必要がある。「シン・ゴジラ」はそのための良い参考にもなるだろう。

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原英史
1966年東京都生れ。東京大学法学部卒、米シカゴ大学院修了。89年通商産業省(現・経済産業省)入省。大臣官房企画官、中小企業庁制度審議室長などを経て、2007年から安倍・福田内閣で行政改革・規制改革担当大臣の補佐官を務める。09年7月退職。株式会社政策工房を設立し、政策コンサルティング業を営む。大阪府・市特別顧問、国家戦略特区ワーキンググループ委員(内閣府)、社会保障審議会年金事業管理部会委員(厚生労働省)を務めるほか、NPO法人万年野党理事、「地方議会を変える国民会議」発起人など。著書に『官僚のレトリック』(2010年、新潮社)、『「規制」を変えれば電気も足りる』(2011年、小学館101新書)、『日本人を縛りつける役人の掟/岩盤規制を打ち破れ』(2014年、小学館)、『国家と官僚』(2015年、祥伝社新書)。

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(2015年8月26日フォーサイトより転載)