東芝「出直し新体制」を操る「最高実力者」の危険な影響力

粉飾決算で経営陣の解体的刷新を迫られた東芝。だが、9月下旬に発足する新体制はクビを捻りたくなる陣容だ。
JAPAN - NOVEMBER 15: Toshiba Corp. Chairman Taizo Nishimuro adjusts his glasses at a press briefing at the 41st Japan-U.S. Business Conference in Tokyo on Monday, November 15, 2004. (Photo by Michael Caronna/Bloomberg via Getty Images)
JAPAN - NOVEMBER 15: Toshiba Corp. Chairman Taizo Nishimuro adjusts his glasses at a press briefing at the 41st Japan-U.S. Business Conference in Tokyo on Monday, November 15, 2004. (Photo by Michael Caronna/Bloomberg via Getty Images)
Bloomberg via Getty Images

粉飾決算で経営陣の解体的刷新を迫られた東芝。だが、9月下旬に発足する新体制はクビを捻りたくなる陣容だ。体質転換の旗頭になる新社長は、旧体制で会長を務め一度は自ら辞意を固めた室町正志(65)であり、11人中7人を社外から招く取締役会の議長には、畑違いも甚だしい資生堂相談役の前田新造(68)が就くと報じられている。

一連のトップ人事を主導したのが、不祥事の背景にある歴代社長の内紛の"元凶"と名指しされている相談役の西室泰三(79)というのだから、東芝社内に一向に「出直しムード」が広がらないのも無理はない。目先の収益にこだわる短期的視点のリストラを繰り返す一方、官邸や経済産業省と一体になって国策事業の受注獲得に血道をあげる「エレキのゼネコン」へと化した昨今の東芝を作り上げたのは、他ならぬ5代前の社長、西室その人である。12月に傘寿を迎える老人とこの会社は心中するつもりなのか――。

西室の意向通り

「実は、ご本人は辞めると言っていたんですね。それで、私が東芝の相談役として絶対に辞めないでくれと。1人はリーダーシップを取る人がいなければ困るから、残る方がつらいかもしれないけれど、それをあなたに期待するということで残ってもらいました」

7月22日午後、日本郵政社長として定例記者会見に臨んだ西室は、前日東芝が発表した粉飾決算問題の処分人事に絡んでこんな内輪話を明らかにした。

現職社長だった田中久雄(64)、副会長の佐々木則夫(66)、相談役の西田厚聰(71)と歴代3人の社長が引責辞任するという異常事態。ところが、会長として経営の中枢にいた室町に限っては、田中に代わり暫定的に社長を兼務するという発表だった。その7月21日の記者会見で室町は「(不適切な会計処理に)私は関与していない」と釈明に努めたが、同29日に発表された責任者の追加処分では、月額報酬の削減幅が従来(5月以降)の20%から、8月以降は90%へと拡大されている。

身に覚えがあったか、少なくとも引責に値するという責任感があったからこそ、室町は東芝のドン(首領)に辞意を漏らしたのだろうが、それを押しとどめ考え直させたと公の場で当の西室が披露する。欧米なら刑事事件に発展するのは必至とされる今回の粉飾問題に対して、西室は「非常に大きなショック」「悲しい」などと表明しているが、そこに自身の経営者としての反省は感じられず、むしろ「私どもが相談を受けたとすれば、あのようなことを容認するはずもない」といった開き直りの弁ばかりが目立つ。

さらに、8月18日に発表された9月下旬の臨時株主総会後の新体制で、室町は暫定ではなく正式に新社長に就任(会長職は返上)する運びとなった。先の日本郵政での記者会見で「(東芝の)中身がわかって、実際にコーポレートガバナンス(企業統治)がよくわかっている人の方がいい」と、しきりに室町続投を臭わせていた西室の意向通りにトップ人事が決まったわけだ。

実は「佐々木外し」首謀者の1人

「室町さんが西室さんの大のお気に入りであることを知らない幹部は、よほどの"人事音痴"でしょう」

室町続投のウワサが社内に流れ始めた7月半ば、ある東芝関係者はこんな解説をしている。

1975年に早稲田大学理工学部電気通信学科修士課程を修了し、東芝に入社した室町は、半導体部門のエースとして頭角を表した。1984年に世界に先駆けて東芝が開発した1メガビットDRAMの技術陣の主役の1人が室町であり、それを米国はじめ世界で売りまくって社長の座を射止めたのが西室なのである。功に報いるため、西室は社長時代(1996~2000年)に室町を四日市工場長や大分工場長に抜擢。会長時代(2000~2005年)には執行役常務に引き上げ、社内分社であるセミコンダクター社の社長を任せている。

2008年には室町は副社長に昇格。2009年のポスト西田の社長レースでは有力候補と目されたが、前年のリーマン・ショックのあおりで半導体部門の営業損益が約2800億円の巨額赤字(2009年3月期)に転落していたことが響き、結局原子力発電部門出身の佐々木に競り負けた。

2012年に顧問となり、一度は経営の第一線から退いたのだが、(室町にとって"幸運"なことに)翌年の社長人事を巡って「西田vs.佐々木」の内紛が勃発。社長から引きずり降ろされる佐々木の会長就任を阻止するべく、まず佐々木を副会長に棚上げし、代わりに室町を2013年6月25日の株主総会で取締役に復帰させ、同日の取締役会で次期会長に選任するという「極めて異例の人事」が行われた。当時、西田が佐々木の社長としての能力の無さを週刊誌上(「週刊現代」2013年6月1日号)で暴露したことはよく知られているが、実は同誌上では西室も取材に応じて佐々木を以下のように評している。

「佐々木さんは自分のスピーチに熱心な人で、(部下が)そのスピーチ原稿を50回以上も書き直させられたということもあったようです。(中略)佐々木さんは独身ですし、そういう意味で配慮が足りないところがあったのではないでしょうか」

要は、トップ人事の実権を掌握していた西田と西室が結託して佐々木を更迭し、その際に室町を"当て馬"に使ったということである。「西田vs.佐々木」戦争について、西室は門外漢を装っているが、現実には2013年の「佐々木外し」のトップ人事に関して西室は首謀者の1人なのだ。「佐々木さんの後任として西田さん子飼いの田中さんが社長になり、西室さんの懐刀である室町さんが会長に就いたのが何よりの証拠」と前出の東芝関係者は指摘する。

「実力者の地位を失いたくない」

7月22日の記者会見で、西室は室町の慰留のほかに、もう1つ"お手つき"といえる失言をしている。2日前の20日に第三者委員会(委員長=上田広一・元東京高検検事長)がまとめた報告書を受け、東芝は同29日に経営刷新委員会を立ち上げるのだが、その委員長人事を決定前に漏らしてしまったのだ。東芝のガバナンスの欠点を今後どう補っていくのかという記者の質問に西室が答えた以下のくだりである。

「どう補っていくのかということの第一歩は、経営刷新委員会を設置する。これは社外の方に参加していただきますが、その責任者を東京理科大学の教授である伊丹(敬之)先生にやっていただく」

東芝は21日の田中の辞任会見当日に配布したニュースリリースで刷新委の設置に触れてはいるが、委員長については「選定次第別途お知らせいたします」と留保。29日になって「本日開催の取締役会で決議、選定いたしました」と伊丹敬之(70)の委員長就任を公表している。「21日に決まった伊丹氏の監査委員会委員長就任と刷新委の人事を混同したのではないか」と一部の関係者に庇う向きもあるが、前述した西室の物言いははっきりと刷新委を指しての内容だ。なぜ、西室はこんな"お手つき"を犯したのか。

「この期に及んで、まだ東芝の実力者としての地位を失いたくないということではないか」

東京証券取引所会長時代(2005~2010年)の西室をよく知る証券市場関係者はこう推測する。

すべて「西室人脈」

8月18日に東芝が発表した9月下旬の臨時株主総会後の新体制では、室町の社長続投のほか、4人から7人に増やした社外取締役の人選も注目を集めたが、ことごとくが「西室人脈」だった。

三菱ケミカルホールディングス会長の小林喜光(68)やアサヒグループホールディングス相談役の池田弘一(75)、資生堂相談役の前田という企業経営者出身の3人のところへ出向き、「東芝を助けてやってください」と西室は頭を下げて回ったと取材に訪れた記者らに話している。だが、池田と前田はともに西室が会長時代に導入した経営諮問委員会のメンバーだったし、小林は経済同友会代表幹事を兼務しており、財界の大物の1人で安倍政権と懇ろな関係にある西室からのたっての頼みを断るのは難しい。

他の社外取締役候補の4人も同様で、公認会計士の野田晃子(76)は元東芝社員で、西室とは「昭和36年入社」の同期の仲。従来の社外取締役の中でただ1人留任した東京理科大教授の伊丹は前述のように西室の信任が厚いのだが、それはパナソニック社長時代の中村邦夫(76)を絶賛していたように、「経営者に甘い経営学者」として有名だから。今回の東芝の粉飾決算問題でも、3年前から社外取締役を務めながら、案の定不正を見抜けなかったことで、アナリストたちの評判は芳しくない。

ちなみに、法曹界から招いた弁護士の古田佑紀(73)は元法務官僚であり、2005~2012年に最高裁判事を務めている。この古田が霞が関で名を上げたのは2002年、検察をめぐる「調査活動費」(調活費)の流用疑惑が沸騰している最中のこと。内部告発をしようとした元大阪高検公安部長の三井環(71)がテレビ出演直前に大阪地検に逮捕されるという、いわゆる「三井環事件」をご記憶の読者も少なくないと思われるが、当時法務省刑事局長として世論の批判の矢面に立ったのが古田だった。組織のために正義を曲げ、その後の検察の権威失墜につながる道を開いた人物が、果たして不正の一掃を監視する社外取締役にふさわしいといえるのか。

2度の激怒

東芝本社ビル38階の役員フロアには社長、会長の執務室に加え、相談役の個室もある。社員から「スーパートップ」とも呼ばれる西室は12月19日に80歳となり、相談役を退いて特別顧問になる予定だが、今回の粉飾問題と歴代3人の社長の一斉辞任で存在感を増したことで、「西室院政」が続くとの見方も社内で広がっている。

そんな西室が最近、激怒したことが2度ある。1度は、7月22日の日本郵政の記者会見で「東芝が当期利益至上主義になったのは現経営陣が(西室ら)諸先輩の活動を支えるために配慮して利益のかさ上げに走ったためではないかとの見方があるが、どう思うか」と記者から質問を受けた時のこと。西室はこの質問の意図を曲解したのか、「我々が政府の仕事のお手伝い(日本郵政社長のこと)をしている時、東芝のためになるからこの仕事を引っ張ってこようなんて全然考えたことはない。そういうことを本気で質問しているなら悲しいだけでなく怒りすら感じます」と激昂。居合わせた関係者は、「東芝スキャンダルが日本郵政社長の辞任問題に発展することを恐れているのだな」との印象を持ったという。

もう1度は、7月29日付日本経済新聞に「東芝取締役会議長 槍田・三井物産前会長が浮上」との見出しの記事が掲載された時である。三井物産社長、会長を歴任した槍田松瑩(72)は商社マンとしては珍しい東京大学工学部卒のトップで、下積み時代は重電プラント畑を歩んだ。半導体営業が長かった西室は重電部門とはソリが合わず、かつての本流の巻き返しを警戒していたうえに、自分の与り知らない人事報道が癇に障ったようだ。この日経報道は槍田本人が強く否定したうえに、いまや東芝の最高実力者に復帰した感のある西室が一顧だにしなかったことから、すぐに立ち消えになった。

「有報」提出できなければ進退問題に発展

その取締役会議長人事は、冒頭に触れたように資生堂相談役の前田に白羽の矢が立った。西室は伊丹の起用にこだわったようだが、「甘い経営学者」のレッテルを貼られた人物に対する機関投資家の反発を回避するため、最終的に譲歩を余儀なくされたらしい。ただ、慶応大学文学部卒で化粧品企画やマーケティングの実績をバネに資生堂社長の座をつかんだという前田に、原発からシェーバー(ひげ剃り機)まで製品分野の幅が広い総合エレクトロニクス産業の経営が果たして理解できるのか。アナリストたちの間では危惧する見方が少なくない。

粉飾決算に「関与していない」と断言して社長続投の道を進む室町についても、「『関与』を示唆する新たな内部告発があるかもしれない。なぜ、そんなリスクのある人を社長に残したのか」と先行きを危ぶむ声が社内から漏れてくる。8月31日に提出予定だった2015年3月期の有価証券報告書が確定できず、当日になって期限は9月7日に再延長された。31日の会見の場で「それでも提出できないことがあるのか」と記者に問われた室町は、「提出できなかった場合は進退問題も含めて考えたい」と悲痛な返答を余儀なくされている。東芝の混乱は未だ収まることなく、経営危機は一段と深まっている感さえある。(敬称略)

杜耕次

ジャーナリスト

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(2015年9月1日フォーサイトより転載)

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