国連「事務総長選挙」に注目せよ(上)「密室」から「公開」へと脱皮

任期を終える潘基文・国連事務総長の後任選びがだんだんと熱を帯びてきている。

今年で2期10年の任期を終える潘基文国連事務総長の後任選びがだんだんと熱を帯びてきている。4月には国連史上初めてとなる、事務総長候補者による立会演説会が行われ、国連職員だけでなく、加盟国も次期事務総長となる人物の品定めに余念がない。

国連事務総長は国連行政のトップであり、国連という組織の価値や役割を左右する重要な人物であり、同時に、国連財政に責任を負う立場でもある。そのため、国連職員からみれば、次期事務総長選挙は自分の組織のトップ人事というだけでなく、新事務総長の方針次第では自分のポストにも関わる問題である。

そのため、国連事務総長選挙は常に国連組織の中では重要な話題になるのだが、今回はかつてなく議論が盛り上がっている。というのも、密室の中で決められていた事務総長選挙が、今回は立候補段階からその情報が公開され、透明性が確保されているからである。これまでは噂話やゴシップであった事務総長選挙が、一気に政策論議や人物評価の議論に転化しており、大変興味深い状況となっている。

「常任理事国が反対しない人」を選ぶ選挙

国連事務総長は国連憲章第97条で定められているように「事務総長は、安全保障理事会の勧告に基いて総会が任命する」ことになっており、安保理勧告で推薦された人物が国連総会で審議され、投票の上で選出される。この手続きは一見最終的な決定権を国連総会に与え、全ての加盟国が選挙に参加しているようにみえる。

しかし、現実問題としては安保理、特に拒否権を持つ常任理事国が推薦しない限り事務総長にはなれないため、事務総長の候補となる人は入り口の段階から「常任理事国が反対しない人」に絞られる。言い方を変えれば、安保理常任理事国が1カ国でも反対すれば、その候補は国連事務総長にはなれない。

常任理事国が事務総長選挙で最も強い影響力を発揮したのは、ブトロス=ガリ事務総長の再任を阻んだ時であろう。冷戦が終わり、国連が新しい世界における秩序形成に大きな役割を果たすと期待された中で、ブトロス=ガリ事務総長は『平和のための課題(Agenda for Peace)』を提唱し、国連PKO活動を発展させようとした。

しかし、彼の試みはアメリカが深く関与したソマリアにおける介入が失敗し、米海兵隊員が殺害され、テレビカメラの前に死体が引きずり回されるシーンが放送されたことで、アメリカは国連に対する反発を強めるようになった。

またブトロス=ガリ事務総長の組織運営や人事計画、強引なまでの政策スタイルもアメリカとの対立を招き、通常2期10年を務めるところ1期5年が終わる段階で再任が拒否され、代わりに同じアフリカ出身で国連生え抜きの官僚であるコフィ・アナン事務次長(政務担当)を事務総長に据えることとなった。

アナンは国連での職務経験が長く、加盟国(特に常任理事国)との政治的な機微もわかっていると期待されていただけでなく、国連内部の出身だけに政治経験は浅く、エジプト外相を務めたブトロス=ガリのような政治力を発揮することはないと思われたからである。

地域グループの重要性

ブトロス=ガリが再任されず、アナンが選ばれたのは「アフリカ出身」という要素が大きく作用している。国連には5つの地域グループがあり、「アジア」「アフリカ」「ラテンアメリカ・カリブ海」「東欧」「西欧その他」である。

これらの地域グループは国連組織を運営する上で非常に重要な意味を持っている。それは、安保理の非常任理事国や経済社会理事会、人権理事会など、総会以外の様々な選挙で地域グループごとに議席数が決まっているからである。安保理の非常任理事国は全部で10カ国だが、アフリカが3、アジアが2、ラテンアメリカが2、東欧が1、西欧その他が2となっている。日本はアジアグループに属するが、オーストラリアやニュージーランド、カナダは「西欧その他」に含まれる。またアメリカ、イスラエル、キリバスはどこにも属していない。

この地域グループは国連事務総長を選出する上でも重要な役割を果たす。国連事務総長は初代のトリグブ・リー(ノルウェー)、ダグ・ハマーショルド(スウェーデン)こそ「西欧その他」の出身だが、その後は以下の通りとなっている。

○ウ・タント(出身国・ビルマ、地域グループ・アジア)

○クルト・ワルトハイム(オーストリア、西欧その他)

○ハビエル・ペレス・デクエヤル(ペルー、ラテンアメリカ)

○ブトロス・ブトロス=ガリ(エジプト、アフリカ)

○コフィ・アナン(ガーナ、アフリカ)

○潘基文(韓国、アジア)

このように国連事務総長職は1つの地域グループに固まることなく地理的に均等配分するということが暗黙の了解になっている。国連はただでさえ多様な国家の集まりで、効率性よりも公正さや平等性を重視する傾向があるだけに、地域グループのバランスは明文化されていないとはいえ重要な要素とみられている。

そしてご覧の通り、これまで1度も事務総長を輩出していない地域がある。それが東欧グループである。東欧グループは東西冷戦の中で旧共産圏の国々が中心となって作られた地域グループだが、他の地域と比較すると加盟国数が少なく、安保理常任理事国の議席も1つしかない。また、東欧地域ではロシアの影響力が強く、ロシアが推薦する候補者に対してアメリカなどが反対するといった状況もあり、事務総長を輩出する機会を得ることがなかった。

しかし、冷戦が終わってから25年以上経ち、多くの国がEUに加盟する状況で、ロシアの影響力も低下し、市場経済や民主主義が根付いてきたこと、また国際機関で活躍する人物が増えてきたことなどから、今回は東欧グループから選出されるということが概ねの了解になっている。そのため、現在候補として挙がっている9人のうち、7人が東欧グループに属する国の出身である。

新しい事務総長選出ルール

しかし、今回の国連事務総長選挙は新しい方式が導入されることとなっており、これまでの常識や暗黙の了解が通用しない可能性もある。この新しい方式とはどのようなものであろうか。

国連事務総長選挙は、事実上安保理常任理事国5カ国が合意し、安保理で拒否権を発動されない人物が選ばれてきた。しかし、これは国連の基本理念である平等な主権を持つ加盟国による民主的な決定とは対極にある選出方法である。しかし、事務総長選出ルールを変更するとなると、国連憲章の改正が必要となり、安保理の決定に加え、総会での3分の2の議決と加盟国3分の2の批准が必要となる、大変手間のかかる手続き変更をしなければならなくなる。

また、国連憲章の改正となると事務総長選出の手続きだけでなく、他の様々なルール改正も議論の対象となってしまうため、いつまでたってもルールが変更されないという状況が生まれてしまう。

そのため、国連憲章上の手続きは変更しないが、より透明性を高め、常任理事国が密室で彼らだけの利益で事務総長を選出しないような方法がデンマークを中心とした加盟国によって提唱された。それが2015年の総会決議69/321号である。この決議は、全加盟国に事務総長候補者となる人物を申請し、履歴書などを公表すること、また、立会演説会を開き、全ての加盟国が候補者の意見を聞き、質疑応答が出来るようにすることなどを安保理に求める勧告となっている。

この決議を受けて、国連総会議長と安保理議長の間で覚書が交わされ、総会決議69/321号を受け入れることが約束されたが、同時に新ルールではない方法で選ぶ可能性も残している。つまり、もし常任理事国が望ましいと思う候補者がいなかった場合や、新ルールの手続きが常任理事国にとって不利益と思われる場合は、昔ながらのやり方で事務総長を選出する可能性を残した。

常任理事国の「横暴」を抑える効果

しかし、この新ルールは事務総長選挙に全く新しい風を吹き込んだ。これまでは噂レベルの情報しか手に入らず、最後まで誰が事務総長になるかわからなかったため、加盟国にとっても国連職員にとっても他人事のような感覚で事務総長選挙を眺めるのが当たり前であり、イギリスのブックメーカーでは賭け事の対象になっていた。

しかし、既に9人の候補者が名乗りを上げ、4月中旬に候補者1人あたり2時間を使った立会演説会が3日間かけて行われ、それがネット中継されて世界中に配信された(各候補の演説および質疑応答は国連TVのウェブサイトで見られる)。

この立会演説会はメディアを通じて広く報道されただけでなく、ネットを通じて多くの人が候補の話を直接聞き、その受け答えの姿を見ることが出来た。また、その演説内容や質疑でのやり取りは、その候補者の能力や国連事務総長としてふさわしいかどうかを見定める絶好の機会となった。これだけ多くの人が見守る中で、常任理事国が自らの利益のために自分たちに都合の良い候補を連れてくることは考えにくい。事務総長選挙の新しいルールは、確実に透明性を高め、それが結果として常任理事国の横暴を許さないような状況を作っていることは間違いない。

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鈴木一人

すずき・かずと 北海道大学大学院法学研究科教授。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授を経て、2008年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(日本経済評論社、共編)、『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(岩波書店、編者)などがある。

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(2016年5月13日フォーサイトより転載)

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