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大人

2014年01月15日 20時57分 JST | 更新 2014年03月17日 18時12分 JST

「大人は社会の模範とならなければならない」 

私が子供の頃から持ち続けている大人像だ。 

大人というのはマナー、モラル、エチケットが完璧で、誰かが困ったり、弱ったりしたときに救いの手を差し伸べ、"俺に任せろ"というのが子供の頃に感じた大人だ。  

私が10・20代のときは、同世代や下の世代とは物事に対する考えのズレがあり過ぎて、理解してくれる人は少なかった(その頃から大人と同じ土俵に立つレベルだったのかもしれない)。そして、私より数段年上の方とは話が合い、うまくいく。当然、理解している方も多く、いつも恐縮しきりだった。  

"なぜ、そうなのか?"と考えてみると、今の時代、"20歳で成人(大人の仲間入り)"という定義が崩れているからであろう。顔が子供っぽい大人がいるのは仕方ないとしても、内面が子供のまんまトシをくう若者が多いように思う。  

昔から大人になったら、即1人暮らしというイメージがあった。私は早々に実家を出たが、都会出身者はそのまま実家で過ごす傾向があるようだ。若いのならば大目に見るだろうが、20代中盤になってゆくと、そうもいかない。自立して当然と見られるのは当たり前だ。大人になれば、支えられている立場から支える立場に変わるのだ。  

実際に私が大人になり、20代前半は支えられっぱなしで、情けない思いだった。正直言って"勉強することもない"と思っていた。学生時代にミッチリ勉強して、それを社会に応用すればそれだけでOKという感覚だった。しかし、勉強は学校ではなく、人としての心を享受することも勉強の1つであることに気づいた。  

私は幼少の頃から時代劇や刑事モノといった勧善懲悪作品を見て育ったので、そのヒーローが"理想の大人像"である。それに近づくにはまだまだ時間が必要だと実感しているが、"理想の大人像"を後世に伝えていくことも大人の役目だと思っている。  

いざ、大人の世界に入ってみると、別れのあいさつが「お疲れさまです」であることに驚いた。学生時代は「サヨナラ」、「じゃーね」である。今、「サヨナラ」なんて言われたら、"2度と会えないのではないか?"と不安になってしまう。  

時代劇や刑事モノのような"理想の大人像"の大人には、ほとんどお目にかかったことがなく、冷酷で非道な者が多い。今まで、いろんな会社のお世話になったが、上役という立場の大半は人間を"将棋のコマ"や"機械"としか思っておらず、自分や会社の利益のためなら、手段を選ばない極悪非道と誤解されかねない者が多いように思える。特に1990年代から「リストラ」が日常語と化してしまい、これが原因による自殺者が毎年約3万人いるという。今や日本は「自殺大国」と世界中から思われてしまいそうだ。不祥事をおかしてもいないのに、上役にクビを切られて"悪人"としてうらみ、最終的に"上役に殺された"という思いで自ら命を絶った人間が多いのではないかと懸念する。 

リストラの歯止めがかからない原因の1つとして、インターネットの普及が考えられる。例えば、今まで何か調べあげるのに時間がかかっていたのが、今や短時間で済むメリットがある。デメリットはインターネットが1日中つなぎっぱなしなので、光熱費がかかる。その対策として、社員を減らして、光熱費にまわせば、経営軌道が狂うことなく、倒産を防ごうとしているのではないかと、私は推測する。  

数年前からフリーアルバイターの数が増加して、社会問題になっているが、正社員として雇用しようとしない会社にも責任がある。新聞やニュースの記事で、「長年頑張っているのに、いつまでたっても正社員にさせてくれない」と嘆く人もいると聞く。ヤル気を重視せず、学歴や実績ばかりを重視している会社は絶対に発展しないだろう。また、人間を将棋のコマや機械扱いしている会社がなくならない限り、不況から脱しきれない気がする。

不況の到来と共に染髪する大人が激増し、さらには未成年までもが髪を染めている。例えば、『座頭市』という映画で、ビートたけしは金髪にして役作りに挑んだが、そういう目的で髪を染めるのならば気にしない。かつて、水谷豊も1993年夏に『湘南女子寮物語』(テレビ朝日系のドラマ)で、チンピラふうサーファーの役で髪を染め、髪形まで変えたことがある。

役づくりのための染髪は理解できるが、故意にやっている染髪は理解できないし、不良と周囲から思われて当たり前だ。すべての染髪者がそうでないことぐらい承知しているが、性格のイイ人間が髪を染めているのは大変残念である。なぜ、髪を染めなければならないのだろうか。どうして、そんなことをして、自分を飾ろうとしているのか。私には理解できない。周囲にはありのままの自分を見せるべきじゃないのか。

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この記事を執筆した2003年10月当時、本屋で2ちゃんねるという、インターネットによる掲示板の本を目にすると、タイトルに「逝ってよし」という言葉を使っていた。なんということだ。その言葉をわかりやすく言うと、「死ね」ってことだ。大人であるにもかかわらず、命の尊さをまったくわかっていないとは言語道断。人として、あるまじき行為だ。こんなようでは、見る気もしない。作っている側も恥ずかしくないのかね。2ちゃんねるというものは、愚弄(ぐろう)な人間が使うサイトだと認識している。

社会の模範であるはずの大人。今や悪い見本や手本を見せてばかりで、大人であるにもかかわらず、その自覚がなく、"子供のまんま"が多いように思えてならない。これも世の中が便利になり過ぎた代償だと思っている。特に交通機関では、携帯電話の使用自粛放送を求めているにもかかわらず、平気で通話する姿を見ると、1発お見舞いしてやろうかと思いたくなる。  

こんなことが後世に伝わろうとしているようでは、不況の出口は見えてこない。将来はレベルが低い大人たちによって経済大国から破滅し、砂漠のような国になってしまう恐れもある。

(この記事は、岸田法眼のRailway Blog.「大人」から転載しました。転載に際し、加筆、修正を行なっています。)