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誰も猫を殺処分したくはない―命の現場が抱える葛藤と現実―

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「猫は、ここで殺処分します。そのスイッチを押して30分間、炭酸ガスにかけて窒息させるんです。今日は多いですね、20頭以上でしょうか......ダンボールの子たちもそうです」

小動物管理センター・山本祐三センター長が指差したダンボールには、生まれて間もない5頭の子猫が、小刻みに震えながら身を寄せ合っていた。まだ目も開いていない子猫たち。か細い声で「にゃー、にゃー」と鳴き続けるその姿は、胸を締め付けるには十分すぎる光景だった。

■「殺処分ゼロ」は理想だが......

小動物管理センターは、高知県内の犬猫の収容や応急措置、そして殺処分等を行う施設だ。2006年度からは、高知県から業務を委託された民間の田邊工務店が施設の管理運営を行っている。施設は、高知市と四万十市の2か所にあり、正社員10名とアルバイト1名で県全域をカバーしている。

現在、日本では犬猫合わせて年間に約16万頭が殺処分されている。全国の都道府県と同様に、高知県の殺処分数も減少傾向にあるが、猫の殺処分数は2012年まで10年連続「人口比で全国ワースト」を記録。2012年度は3487頭が処分された。

「もちろん、殺処分しないで欲しいというご意見はいただきますし、私たちもできるならそうしたいんです。『殺処分ゼロ』はもちろん理想ですよ。でも、その一方で、無責任な飼い主などから『処分してくれ』と、猫が日々持ち込まれているのが現実なんです」

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(猫の中でも、子猫が全体の約90%近くを占めている)
 
ふとインターネットに目をやれば、自由気ままで可愛らしい猫の動画や画像は無数に存在する。なかには数百万、数千万回以上も閲覧されるものもある。数多くの「シェア」がされ、「いいね!」が押され、高い人気を博している。それは、この「ハフィントンポスト」も同様だ。

しかし、これまで私たちの多くは、見て見ぬふりをしてきたのではないだろうか。日本では猫が毎日のように殺処分され、年間で約12万3000頭以上にも上っている現状を。そして何より、その仕事に従事している人々が、どのような思いで日々取り組んでいるのかを。

「殺処分ゼロ」は、近年の動物愛護のキーワードだ。先進的な取り組みで知られる熊本市動物愛護センターをはじめ、「ゼロ」を目標に掲げた自治体がいくつも現れており、実際に達成したセンターもある。また、タレントや著名人が呼びかけるケースも増え、メディアからの注目も高くなってきた。
しかし、それが「理想」である一方で「殺処分せざるを得ない現実」が存在している。

そこで、僕は殺処分を行っている現場から、この問題を捉えたいと思った。また、社会からは「不可視化」されながらも、絶対に「誰かがやらなければいけない仕事」である殺処分の「歪み」を自ら体験したいと考えた。それにより、職員の思いと問題の核心に触れられるのではないかと思ったからだ。
そこで、センターと県の担当部署(健康政策部・食品衛生課)から正式な許可を取った上で、処分機のスイッチを押すことにした。

この行為に対して「残酷だ」「見たくない」という方もいるだろう。僕自身、猫を殺処分したいわけではない。しかし、「見たくない」という思いこそが、まさにこの問題の不可視化につながっているのではないか。それを無視した「殺処分ゼロ」は、空虚な言葉になってしまわないだろうか。
必ずしも取材者が当事者になる必要はない。だが、今回はあえてそれを選択することにした。

■子猫を殺処分する現場で

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(写真左にある機械の中央スイッチを押すことで、炭酸ガスが排出される)

センターの職員が見守る中、スイッチに触れた。軽く押したが、手ごたえは感じられない。意を決して、指先に少しだけ力を込めると、「ガタンッ!!」と言う大きな音が響き渡り、シューーッと勢いよく炭酸ガスが排出された。密閉されたガス室の中を伺い知ることはできない。しばらくの間、「にゃー、にゃー」という鳴き声が漏れ聞こえ、それが頭を離れなかった。

その様子を見つめていた男性職員が僕の隣に立ち、センターに勤めた経緯と、心境の変化について明かしてくれた。
 
「私はたまたま転職先として決まったのがセンターだったので、特に動物に思い入れがあったわけではないんですね。そんな私でも、日々動物と接しているうちに、自分には何が出来るんだろうと考えるようになりました。最初の頃は、殺処分に対して葛藤もありましたね......。今は、動物たちが少しでもストレスや苦痛を感じずに最後を迎えられるようにしてあげたいと考えているんです。殺処分という結果に変わりはないのですが、それが私の責任だと思うんです」

30分後、職員によって処分機が開かれると、わずかながら生存している子猫もいた。そして、まだ生きたいという思いからか、突然大きな鳴き声を上げた。

「子猫の場合、息が浅いために30分では死に至らないケースもあるんです。そのときは、もう1回ガスにかけます」

そう説明してくれた別の男性職員は、子猫が入ったダンボールを処分機に入れると、手慣れた手つきで再セッティングし、スイッチを押した。そして、静かに目を閉じると、両手を合わせ、小さく一礼した。

■たとえ「鬼畜」と呼ばれても――あるセンター職員の思い

その行為は、流れ作業ではなく、一つの儀式のように感じられた。僕は思わず「いつも手を合わせてるんですか」と、口にしていた。

「はい。先輩がやっていたのを見て、僕も始めたんです。『次に生まれるときはこうならないように』って、せめて祈ってあげたいですから」

男性職員は、高知県内で転職先を探す中で、センターの仕事に「やりがい」を感じて応募したと言う。運営が民間委託されていれば職員一人一人に権限が与えられ、自由な取り組みが可能となり、動物愛護が実現できると考えたからだ。

「でも、思ったほど自由にできないなと感じましたね。予算も人も限られてるのが現状です。入ったときは、自分一人でも変えてみせる、殺処分ゼロにしてやる、と思っていたんですけど」

それでも、この仕事を続けている理由はどこにあるのだろうか。

「僕は、これまで何千頭も処分してきました。自分の手が、汚れているのは分かってますよ。血まみれの手......これは綺麗にはならないです。この仕事を『鬼畜や』と言う方もいます。でも、無責任な飼い主や住民がいる以上、誰かがやらなければいけない仕事です。それなら自分がやる、その思いは強いです」

男性職員が、僕を見据えながら広げた両手。この手を汚したのは、猫を見捨てた人間に他ならない。

「僕は、この仕事って身勝手な人間の尻拭いだと思っています。動物を飼うことや、捨てたらどうなるかについて、想像力のない人が多すぎるんですよ」

■不自由な現状の中で日々格闘する職員たち

センターの職員たちは、猫を「処分してほしい」という人々と、「助けてほしい」という動物愛護グループとの間で、板挟みになっている。動物愛護グループからの批判は、時として熾烈を極めることもある。

「一部の動物愛護を叫ぶ人の中には、『なんで殺処分ゼロができないんだ』と僕らに罵声を浴びせる方もいます。でも、そういう行為って『処分しろ』という身勝手な飼い主と同じように醜いと思うんです。僕らは、すぐにゼロに出来ない現実の中で、目の前の命を一つでも救いたいと努力しています。業務外の時間にも、個々で取り組んでいます。だから僕らが偉いと言いたいわけじゃないんです。でも、現実を知らずに『殺処分している』と言う点だけを見て批判されるのは、本当に残念なんです」

職員たちは、限られた裁量と自らを取り巻く不自由さの中で、可能な限りの取り組みを実施していた。それは、処分に持ち込む人への説得や啓発、施設の環境改善、動物のケアなど、多岐に渡る。
しかし、彼らはその取り組みを声高に主張することはない。「外部の声に惑わされず、自分たちができることをやるだけ」――その言葉からは、職員の愚直な姿が感じられた。

男性職員は、一つ一つの質問に対して、取り繕うことなく、ストレートに答えてくれた。僕たちは、処分機の前で延々と立ち話を続けていた。

「菅原さんがセンターを取材するだけじゃなくて、スイッチを押されると言う話を聞いたとき、正直ありがたいなと思いました。こっち側の立場で考えてくれるんだなって感じたので。だから、僕の思いも正直に伝えたいと思ったんです」

■スイッチを押すことは、殺処分に至るプロセスの一つ

再び処分機が開けられると、ダンボールの子猫たちはすべて息絶えていた。僕は、自分が殺処分した1頭を手のひらに乗せた。まだ温かい体温と、サラサラの柔らかな体毛。しかし、硬直化した表情は、命がないことをはっきりと示していた。
子猫から手を離すと、サラサラに感じたはずの体毛の感覚は、いつしか指先でザラザラとしたものに変わり、その感触が消えることはなかった。殺処分したという事実は、スイッチを押した瞬間ではなく、子猫に触れてたことで実感した。

なぜ子猫は死ななければならなかったのか――生々しい感触が想起させたのは、この結末を招くことになった「過程」の問題だ。
僕は、スイッチを押すこともまた「殺処分に至る過程の一つなのだ」と、強く意識するようになった。あえて体験にこだわったことで見えてきたのは、その行為自体が持つ意味以上に、殺処分の現状を取り巻く構造の問題だった。小さな命を奪ったのは、スイッチだけではない。
猫が殺処分となる可能性は、人々が猫をペットとして飼った時点からスタートしている。そしてセンターに持ち込まれてしまえば、当日の殺処分が確定してしまうのが高知県の現状なのだ。

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(この日、殺処分した子猫は27頭。その後冷凍保存され、所定の日に焼却、灰として最終処分された。)

■なぜ高知県の猫は引取り当日に殺処分されるのか

高知県が猫を引き取るようになったのは1984年から。現在まで、引き取った猫については当日殺処分するように定めている。そのため、県から受託しているセンター側には、そもそも「猫を生かす」という選択をする自由が存在しない。なぜ、全国的にも少ない当日殺処分が行われているのか。

県の担当者はその理由について、センターには猫の収容設備がなく、収容・譲渡を行いにくいためだとしている。「そのような施設に長時間おくことが、猫にとって苦痛を与えることになるため、当日殺処分というかたちをとっています」と説明するが、それは今まで対応が出来ていなかったことの裏返しでもある。
現在、県はセンターの一部を改築し、猫を収容できる設備にする計画を進行中だ。猫の譲渡目標を月に2頭として、当日殺処分の見直しも検討している。

だが、センターだけでは人員が限られているため、収容・譲渡する猫の数には限界がある。山本センター長も「この問題を進展させるためには、センターとは別に『動物愛護センター』を作る方向や、ボランティアとの連携、県外含めた譲渡なども考える必要があると思います」と語るが、連携に関する具体的な中身はまだ白紙だ。

■不妊去勢手術の推進も......高知県民は「猫の飼育に対する意識が低い」

現在、高知県が最も注力したいと考えている対策が、不妊去勢手術の推進だ。猫は年に複数回の繁殖期があるほか、1度に複数匹を生むことから、飼い主が飼いきれずに殺処分や捨て猫問題につながるケースが多い。

そこで、県は7月1日から、メス猫の不妊手術推進事業を始める予定だ。また、高知市では今年度から飼い猫だけでなく、飼い主のいない猫に対しても不妊去勢手術費用の一部補助を行っている。

しかし、取材を進めるなかで人々が口をそろえて語ったのが「高知の人は猫の不妊去勢についての理解が低い」ということだ。なかにはそれを「高知人の自由な気質」「県民性」と語る人までいる。
それを裏付けるように、県の担当者も「室内飼いや繁殖制限に関する意識が低い」と指摘。県民に対する啓発と結びついた対策を行えるかが、課題となっている。

■また殺処分することになっても、センターで働きたい

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(小動物管理センターで飼われている猫のメイちゃん。処分目的で持ち込まれたが、職員がお金を出し合って飼い、猫の飼育に関する啓発のモデルとなっている。名前のメイは「命」から来ている)

「いま、センターではメイちゃんを飼って猫の飼育について啓発していますが、まだまだ高知県では意識が低いのが現状です。そこで昨年、非営利団体『Clover』を立ち上げて、飼い主さん向けに不妊去勢や終生飼育について、啓発活動をしています。動物に関心のある方を中心に、少しずつ変化が生まれてきたと実感します」

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そう語ったのは、野村笹乃さん。短大を卒業後、7年間にわたってセンターに勤務した元職員だ。在職中から、自身の思いやセンター職員の仕事などについて、インターネット上で発信。動物愛護グループやボランティアとも、積極的に交流してきた。自宅に伺うと、動物に関する資料が数多く並んでいた。

「センターの仕事は、外から見ると分からないことがすごく多いので、それを少しでも知ってほしいなと思ったんです。殺処分をしていた立場上、批判されることもありましたが、それ以上に理解をしてくれる方が多いです。センターは批判されることで閉じこもりやすいのですが、外部と協力していくことが大事だと思います」

野村さんもまた、在職中は他の職員と同じように、殺処分に対する葛藤を経験してきた。

「最初は、押すのも嫌、見るのも嫌で、涙することもありました。それが、次第に慣れて何も感じなくなっていって......すると、今度は『自分の心がすさんでしまったのかな』と悩むようになりました。でも、そんな私に『それは前に進むために免疫が出来たんだよ』と言ってくれた方がいて、救われましたね。そのおかげで、また前に進めるようになりました」

外部からは殺処分数の多さから、批判を受けることも多いセンター。野村さんからはどのように見えているのだろうか。

「職員一人一人が頑張っているのは間違いないです。ただ、行政から受託している以上、リスクがあることには取り組めていない部分があると思います。動物愛護グループやボランティアさんとの連携もそうですね。私はメリットが上回るなら、思い切ってやることも必要だと思いますが、そこが課題ですね。でも、動物に対する環境はすごく良くなりましたよ。私が勤務し始めた頃は、伝染病が発生するほど衛生面が悪かったり、えさの質が悪かったり、動物を丁寧に扱いきれなかったこともありました。それを、職員みんなで一つ一つ改善していったんです」

センター内外で活躍してきた野村さんだったが、今年の3月にセンターを退職。4月からは、動物系の専門学校に通い始めている。

「今年辞めたのは、これからの私と、センター、そして動物たちの将来を考えた結果なんです。勉強して動物看護師の資格を得れば、獣医師さんと協力しやすくりますし、トレーナーの資格があれば、飼い主からの相談にも乗れます。私は、卒業後にまたセンターに戻って、勉強したことを生かしたいと思っているんです。私がいることで、色々なグループやボランティアさんとも協力が出来るはずですから」

なぜ、そこまでしてセンターの仕事に取り組みたいと思うのだろうか。不躾な質問に、野村さんはまっすぐに答えてくれた。
 
「私は動物の命を救いたいんです。センターは殺処分する場所でもありますけど、命の現場の最前線で、最後の砦ですから」

■身も蓋もない現実から「殺処分ゼロ」へ

センターの職員は、決して「特別な人たち」ではなかった。就職の動機も様々で、動物に対する熱い思いを持っていた人もいれば、とにかく仕事が欲しかっただけの人もいた。しかし、殺処分の現場で葛藤することで、それぞれが動物を救う方法を模索するようになっていった。

職員の誰もが殺処分をしたくはないと思いながらも、繰り返される現実。「私たちは、ずっと殺処分ゼロを目指しているんです」―-何人もの職員が語った言葉は、「猫の殺処分数が人口比で全国ワースト」という事実に霞んで見えるかもしれない。

しかし、「ワースト」の主たる原因は職員にではなく、センターを取り巻く現状のシステムと、何より無責任な人間にある。その不自由さと重い現実が、職員の前に横たわっているのだ。

僕たちは猫を可愛がると同時に、「いらない猫」を排除してきた。しかし、決して自ら手を汚すことはなかった。そこで殺処分という暗部を一手に担ってきたのが職員たちだ。押しつけてきたと言ってもいい。そして、この犠牲の内実は、社会の中で不可視化され、だからこそ「殺処分している」の一点だけで非難の対象ともなってきたのだ。

だが、それを単に批判するのではなく、殺処分の結果に至るまでの過程に存在する問題を、一つ一つ見つめる必要がある。それが、僕の指先に残った生々しい子猫の感触が示してくれたことだ。

「殺処分ゼロ」という言葉は美しい。僕自身、それを否定したいわけではない。しかし、その理想の前にある現実を知らないままでは、いつまでも美しい言葉と愛らしい猫にしか目が向かないままだ。そこで多くの共感が生まれたとしても、不幸な猫を減らすことにはつながらない。

今日も明日も明後日も、その先も、猫は殺処分されていく。いくら声高に叫んだところで、それがすぐに変わることはない。しかし、その「身も蓋もない現実」に向き合うことこそが「殺処分ゼロ」へのスタートになるはずだ。

(この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です。執筆:菅原聖司、デスク:開沼博)