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創造性を取り戻すための「ソーシャル断食」とは

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都市の発展は、地縁や血縁に縛られない「無縁」で「匿名」の世界が担保されたことにより実現した。多様な人々が集い、創造性を発揮できるからだ。しかし、都市の匿名性は、いつでも誰かとつながっているソーシャルメディアの普及により、丸裸にされようとしている。特に、「デジタルネイティブ」とも呼ばれる大学生たちにとっては、せっかく都会で一人暮らしを始めても、過去のつながりでがんじがらめだ。「無縁」の世界を取り戻すためには、何が必要なのだろうか。

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■匿名性の高い「無縁」の悪所が消えつつある

前回の記事でも紹介したように、都市では、誰にも気づかれない「匿名性」の世界があるからこそ、多様な人々による新たな交流が生まれてきた。そのためには、一般の社会規範からある程度外れた状況であっても、それをあいまいなままに許容されてきた場所もあった。白鴎大学の小笠原伸教授はその一例を挙げる。

都市の「悪所」というのがあります。遊里や芝居町がまさにそれに当たりますが、その維持管理には複数の主体が慎重に関わっていたことが歴史資料などから伺えます。自分の価値観としては望まなくても、誰かが求めているというものを都市の装置としてはどう対応すればいいのでしょうか。遊興空間を社会が管理していくときのあいまいさは日本にはずいぶんあったのだろうと思います。

こういった「悪所」は、かつては匿名性の高い場所だったといえるだろう。まさに関係性や情報が外に出ることのない「無縁」の世界だ。しかし、現在では、ソーシャルメディアでさらけ出されるようになって、匿名性はどんどん低下している。こういった世界を前回の記事では自由な聖域「アジール」として紹介した。その「アジール」の維持について、小笠原氏は、

都市の多様性やある種の魅力を生み続ける「アジール」のような場をこれからの社会でどう都市にデザインするのかを考える必要があります。そのためには、個人の安全や安心というものの意味合いも変わってゆくことになります。一面的には悪い部分を持っている人も社会にはいるでしょう。でもそういうものを内包しつつ乗り越えた自由な都市ができないと、新しいものを生み出す能力に欠ける非常につまらない社会を形成することになるのです。

「アジール」のある社会とは、ある程度危険な部分があったとしても自由が保証された社会だといえる。では、「アジール」のある「無縁」の社会を取り戻すためには、どうすればいいのだろうか。特に、ソーシャルメディアへの依存度の高い若年層から考えてみると、解決策が見えてくるかもしれない。

■いくつになっても親や地元の友人から束縛

都会に出てきた大学生には、新しい出会いがあり、これまでとは違う人間関係が形成できるはずだ。今までの「縁」は自然と切れていくことになる。地方から都市に出てきた大学生は、都市における「無縁」の象徴的な存在かもしれない。法政大学の藤代裕之准教授によると、

大学も社会に出る前の自由が与えられたアジールでしょう。さらに、「無縁」の状況を作り出す装置でもあります。小学校から高校までの友人や家族と離れ、大学で出会う友人は地縁をリセットした新しい関係性です。学生によってはこれまでのレッテルから逃れることが出来たかもしれないし、新しい自分を作って行くチャンスでもあったはずです。

地縁、血縁に関係なく、新たにやり直すことが可能になる。地元の時の自分とは様変わりする「大学デビュー」という言葉も以前から使われてきた。しかし、やはりソーシャルメディアの普及によって、「無縁」の世界を作りだすことが難しくなっているという。都市部で知り合った人たちともLINEなどのソーシャルメディアでつながり、さらには家族や地元の友人とつながっているケースが多いからだ。

いまは大学の地元志向も強くなり、実家から通う学生が増えています。また、ソーシャルメディアの登場によって、大学に来ても地元の友達とつながり続けていて、関係を新たにすることが難しくなっているように感じます。

ヤフーニュース編集部の伊藤儀雄氏は、自らが大学に進学した時の「縁切り」について振り返る。

大学進学後、それまでの友人とは意図的に連絡しないようにしました。可処分時間は限られているので、新しい人間関係により時間を多くかけたほうが自分にとって良い気がした、ということです。当時(2001年)は現在ほどソーシャルメディアが普及してはいませんでしたので、ネットでつながる手段は携帯メールと「レンタル掲示板」ぐらい。LINEやFacebookでリアルタイムにつながっている現在より「縁切り」が容易だった環境もあると思います。

インターネットは初期のころ、リアルな生活空間と遮断されたものだったが、今では逆に生活空間を束縛するものになっているのかもしれない。弁護士ドットコムトピックス編集長の亀松太郎氏は、

これまではネット自体が縁の切れた空間でした。ソーシャルメディアが出てきても、社会人になってから始めるのであれば、同級生とはつながっていないので、縁は切れたままです。しかし、今の大学生はネットを始めたのが中高生の時ですので、ネットが縁切りの場所ではなくなっています。

時代によって、大学生のメディアに接する態度は大きく変わってくる。いわゆる「デジタルネイティブ」であれば、つながりが切れないまま、ライフステージを歩み続けることになるのかもしれない。数十年後、どんなつながりが形成されているのかは想像もつかない。

■見えないところに新しい「アジール」は存在している?

せっかく都市に出てきたのに、「縁切り」ができないまま、ソーシャルメディアでのつながりに縛られてしまう。そんな事態を打開するために、藤代氏はつながりを断ち切る「ソーシャル断食」を提案する。

ソーシャル断食を大学1年生からやってもいいのではないでしょうか。地元というリアルな下方圧力がかからないためにも、成長しそうな大学生を無縁にしてあげた方がいいのです。

徹底的に切り離すためには、全寮制のようなものが求められているのかもしれない。一方、都会で人知れず過ごせる「アジール」は、本当に消えてしまったのだろうか。立命館大学の西田亮介・特別招聘准教授は、

「アジール」は形を変えて、先行世代から見えにくくなっているだけで、なくなったというわけではないかもしれません。僕たちが知らないコンテキストで存在するかもしれません。例えば、昔は若い人たちでにぎわっていたクラブも高齢化しているようです。でも、若年世代は、その場所からいなくなっただけで、別のところにいるのかもしれません。

確かに、都市は「無縁」の場所だけあって、よりつかみにくいところに潜行しているのかもしれない。大学生も、地元とつながっているフリをしながらも、実は好き勝手に都会の生活を謳歌しているのかもしれない。駒沢大学の山口浩教授は、

都市もローカルコミュニティの集まりなので、その中に「縁」は残ります。都市でも都市でなくても、「縁」が切れる場を作ることができるのかどうかが重要になってくるでしょう。昔、市場はしばしば、お寺や神社の境内で開かれましたが、それはこうした場所では「無縁」、つまりヒト、モノ、カネが世俗の縁と切り離されると考えられていたからです。人から人へモノや金銭が渡っていくときに「それは元々誰々のものだから返せ」などといわれると、取引の安全が保証できず、経済活動の支障となります。「縁」を断ち切れる場所で市場を開くことで、安心して取引を行うことができ、経済が発展したのです。楽市楽座はこれを制度的に保証したものです。

「無縁」は貨幣経済の成立にも関わってきたということだろう。情報の場合はどうなるのだろうか。

情報メディアの世界でも、ソーシャル化によって「無縁」の場が消失していることが問題を引き起こしています。ソーシャルメディアの中にも、人が日常の「縁」を断ち切り、自由にふるまえる場や状況を意図的、制度的に作り出す、そうしたものの価値を社会的に認めていく、といったことが必要ではないかと思います。

結局、放っておけば、「匿名性」はますます縮小して、「無縁」の世界が生まれにくくなる。我々が見えない場所に「アジール」が存在しているのであれば、下手に手出しをせずに放っておくのも一つの手だが、もしなくなっているのであれば、「断食」のように、強制的に遮断するような工夫も求められているのかもしれない。(編集:新志有裕)

※「誰もが情報発信者時代」の課題解決策や制度設計を提案する情報ネットワーク法学会の連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」の第9回討議(14年2月開催)を中心に、記事を構成しています。

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