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「沈黙の春」ならぬ「沈黙の国民」。デモクラシーが今試されている。

2013年07月03日 16時55分 JST | 更新 2013年09月01日 18時12分 JST

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南相馬市進入禁止チエックポイント前にて(2013年3月)

中学生の頃、レイチェル・カーソンの著書、「沈黙の春」を読んで衝撃を受けた。当時頻繁に使われていた殺虫剤DDTによる環境汚染を告発した本で、この本の出版後、世界各国がDDTの使用を次々に禁止していったという。私自身、少なからず「沈黙の春」に影響を受け、将来は環境保全に貢献したいとこの頃幼ながらに思うようになった。

殺虫剤を散布して年月がたち、しだいに牛や鶏が原因不明の病気にかかり死んでいった。外を歩けば、いつもは咲き乱れていた道路沿いの草や花は枯れていた。途中で小鳥を発見したが体を震わせ死にかけていた。美しい花でいっぱいだった野原も閑散としている。



被害は人間までにも及んだ。数日前まで外で元気に遊んでいた子供が病気で寝込んでいる。そして、大人たちまで病気にかかってしまった。

春になると小鳥たちの鳴き声が聞こえ、野原には花が一面に咲いている......、はずだった。今では小鳥の歌声も聞くことができない。美しい花を見ることもできない。春にもかかわらず、春はただ沈黙を続けるだけである。

なぜ今、「沈黙の春」を思い出したかというと、この「沈黙の春」の冒頭の下りを3.11後、福島第一原発事故を受けた日本とリンクさせてしまったからだ。目先の利益を優先した結果、何という過酷な事態になってしまったものだろうか。

「沈黙の春」に出てくる町の話は寓話だが、福島第一原発事故は現実だ。放射能汚染によって、これからどれほどの被害が出てくるかは分からないが、人類が踏み入ることの出来ない場所を作ってしまったことは事実だ。実際に、高レベル放射性廃棄物の目の前に立つと、数十秒で人は死に至るというし、この現実は直視しなければならない。

3.11は、「沈黙の春」が起こしたような変化を日本に、世界にもたらすものと思っていた。福島第一原発事故を目の当たりにして、きっと日本は率先して原発とは手を切り、再生可能エネルギーへ舵を切るものと期待していた。

しかし結果はどうか。現政権は税収を稼ぐためにベトナムなど海外に原発を輸出しようと躍起になっている。これが前政権時代に国民的議論を行い、過半数が脱原発を望んでいると結論づけた結果として承諾していいのだろうか。民意とは何なのか。民意が無視されたことに、なぜ多くの国民は黙っているのか、理解不能である。これでは「沈黙する国民」だ。

間もなく参院選だ。社会全体がアベノミクスで浮き足立っている感があるが、現実を見て、自分や自分の将来の子孫のために、改めて日本という国が、原子力発電とどう向き合っていくべきなのか関心を寄せて、投票に行って欲しい。原発事故が起きた当事国の日本の決断は、世界が見ていて、世界が参考にする。そしてその影響は、未来の世代へも影響するのだから。

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