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党内運営の諸問題

2013年07月24日 00時06分 JST | 更新 2013年09月22日 18時12分 JST

今回の参議院選挙については当然、様々な議論がなされるべきだが、一つの切り口として、党内運営の問題を挙げることができるだろう。党の指導部が広い意味での経営者として党内組織をまとめ上げることができたか否かが、選挙の結果に大きく作用した。

政党というのは作りたい人が作るものであるから、うまくいかないなら勝手につぶれればよい。しかし、今回の選挙結果から見えてきたのは、もはや、現存する各政党の命運や存続を超えた、日本の政治環境そのものの問題である。然るべき政党がすくい上げるべき票をすくい上げる──そうした当たり前のことが全くなされないという深刻な事態がいま日本の政治環境の中に広がりつつあるように思われる。

党内運営の問題といえば、何よりもまず民主党の名前を挙げねばならない。民主党の党内運営がうまく行っていないことはもう誰の目にも明らかだった。党本部の方針で鈴木寛氏に候補が一本化されたものの、それに反発した大河原まさ子氏が単独で立候補し、元首相の菅直人氏が後者を応援するというドタバタ劇に陥った東京選挙区はその象徴であろう。

民主党はいわば「学級崩壊」の状態にある。学級崩壊とは、教師の強い権威がないから起こるのではない。学級崩壊は、教師が生徒の一人ひとりに目を配ることができなくなった時に起こる。だから、学級崩壊が起こった時にこそ、教師は権威的になる。他に頼るものがないからである。

民主党もそうだった。候補者一人ひとりに目を配ることができなくなって党内の秩序が乱れたとき、党幹部は、「鈴木寛氏に候補を一本化することにしたので、あなたは候補者ではなくなりました」と電話一本で権威的に大河原氏に告げたのである。

選挙後、民主党本部は、非公認議員を応援し党を混乱させたという理由で菅氏に離党勧告を出した。混乱ここに極まれりといったところであり、先は全く見えない。

その点、自民党の党内運営が実にうまくいっていたことは注目されねばならない。実は自民党は、「圧勝」と報じられてはいるものの、思ったほどには勝っていない。いまのアベノミクス人気を考えれば単独過半数を想像していた人も多かっただろう。しかし、そうはならなかった。確かに大勝ではあるが、圧倒的な勝利ではない。

選挙後の朝日新聞の調査では、自民大勝の理由として「野党に魅力がなかった」を挙げる人が66パーセント。「自民が評価された」を挙げる人はわずか17パーセントに留まった(朝日新聞2013年7月24日付朝刊4面)。この評価はかなり実感を持てるものではないだろうか。確かにアベノミクスはここまで来た以上は継続し、それなりの成果をあげて欲しいが、本当にうまく行くかどうかは分からないし、消費税増税も控えている。原発再稼働や憲法改正などもどうも全面的には賛成できないのだけれども、とはいえ、他にどこかいい党があるかというと......というのが実情ではないか。

たとえば東京選挙区では、丸川珠代氏と武見敬三氏の二人が自民党の候補として立候補したが、丸川氏こそトップ当選したものの、武見氏は最下位でギリギリに滑り込んでいる。しかも今回話題になった山本太郎氏よりも得票数が少ない。自民党候補だから勝てるような選挙ではなかった。つまり、自民党に疑問を持っているひとは相当数存在した。

自民党というのは実は内部に多くの対立を抱えた政党である。かつては農村部を地盤にしていた政党だから、当然、TPPについても異論は多い。現在注目されている人気の若手議員は「憲法改正より被災地復興だ」とはっきり口にしている。原発再稼働に向けて突き進まねばならないと確信している議員は多数派ではない。自民党は脱原発派の有力な論客も抱えている。

つまり自民党は、これだけの対立をまとめ上げつつ、そしてまた政権に対するそれなりの反対もある中で選挙を戦った。だから、この大勝は楽勝ではなかったはずである。おそらくは政権を担当した長いあいだに培われた数々のメソッドが自民党には存在しているのだろう。自民党は、党内の意見をうまくまとめつつ、楽勝ではなかった選挙を大勝に導いた。

自民党に対抗する勢力は、自民党の政策を見習ってはならないが、自民党の党内運営能力は参考にすべきである。自民党並に多様な意見をまとめ上げつつ、自民党並の党内運営を行う、そのようなメソッドを獲得しなければならない。当然、数年前はそれは民主党に求められていた。しかし、鳩山氏、菅氏と、他人の話を全く聞かない人たちが続いて代表となった。それで党内運営がうまく行くはずがない。

これは民主党をどうするかという問題ではない。民主党が再生できるならそれでもいいが、別に民主党でなくともよい。だが、自民党に匹敵する程度には反対派を内部に抱え込みつつ、ある程度の大きさを維持できる政党が出てこなければならない。別に二大政党制を支持するということでもない。ある程度の大きさの党が連立を組めばよい。自民党が巨大化し、それに対抗する政党が出てこないならば、結局は形を変えた五五年体制が再び訪れることになりかねない。そのためには、自民党に匹敵する党内運営能力が必要である。

無所属の山本太郎氏と共産党の吉良よし子氏が、おそらくは若い世代の脱原発派の声を受けて当選したという事実は、この課題を緊急のものとしている。次にこの二人の当選について考えよう。

国会議員になったのだから、山本太郎氏には頑張って欲しい。確かに俳優出身で知名度があったとはいえ、無所属でこれだけの票を集め、自民党候補すら押しのけて当選したことの意義は大きい。山本氏は支持者に、「やってやれないことはない」という気持ちを与えた。

しかし、実際に彼に何ができるかと考えると答えるのはなかなか難しい。彼は数々の政党が跋扈する国会でたった一人である。したがって、そのことに業を煮やした山本氏がどこかの会派に合流する可能性はもちろん考えられるし、その時には失望の声を上げる支持者もでるだろう。もちろん、全く何もできずに失望する支持者が出る可能性もある。

この意味では、なぜ、山本太郎氏を応援したいと思う若い世代の声をきちんと拾い上げる政党がなかったのかと問う必要があるだろう。つまり、多少考えが違うところはあっても、山本太郎氏本人も応援できるような政党がなければならなかった。しかしそうした政党はなかった。山本氏は一人で立候補しなければならなかった。そしてその支持者にも、山本氏以外には投票したいと思える選択肢はなかった。

たとえば、社民党が虫の息になっている。かつての社会党時代を知らない若い層にはおそらく、「弱小なのになぜか立派な政党とみなされていて、おばさんがよく前に出てしゃべってる政党」ぐらいのイメージしかないだろう。だが、雇用やTPP、そして原発についての社民党の主張を知ったら、それなりに共感する若者は少なくないと思われる。それこそ、山本太郎氏を応援した人たちの中にも、社民党の主張に共感する人はかなりの数いるだろう。

しかし、社民党にはその主張を若者に届ける力も、若者の声を聞いて自分たちの主張を練り上げていく力もない。この党も党内運営が全くなっていないからである。社民党の場合は、「学級崩壊」状態の民主党とは事情が異なる。社民党は、いつまでたっても経営に口を出してくる老齢の取締役たちをどうにもできない会社のようなものである。

社民党の組織内部には、未だに五五年体制下の野党時代が続いていると思っている人がいるようだ。先日、あるラジオ番組に社民党の老齢の人物が登場した際の話である。「雇用を守ることが大切」と主張したその人物に、パーソナリティーが「雇用はどうやって作ればよいでしょう?」と質問したところ、「うーん」と黙り込んでしまったという。

ウソでもハッタリでもいいから一言何か言えばいい。それすらできない。そうしたことすら口にする必要のない時代を生きてきたし、生きていると思っているからだ。つまり社民党の、少なくとも一部は、批判していればよく、提案などする必要のなかった五五年体制下の野党時代の夢の中をまだ生きているのだ。社民党の党内運営の課題は、そうした古い世代に対し、波風立てぬようにうまく引導を渡すことだ。その上で、若い世代に自分たちの主張を明確に伝えていくしかない。

今回、もしかしたら誰も注目していなかったかもしれないが、みどりの風もまたほとんど虫の息となった。谷岡郁子代表は代表辞任と政界引退を表明した。谷岡氏も民主党にいた。脱原発派の中にはたとえば谷岡氏のような人物が、民主党程度の大きさの政党にいることを歓迎する人もいるはずである。どうして、民主党は谷岡氏を引きとめられなかったのか。

またみどりの風のもう一人の中心人物、阿部知子氏は社民党の出身である。阿部氏は社民党に現実路線の採用をずっと訴えていたという。なぜ社民党は阿部氏を引きとめられなかったのか。阿部氏を引きとめられなかった社民党の現状は先ほど説明した通りだ。

コアな脱原発派はみどりの風を応援していたと思われるが、そのみどりの風は消えそうになっている。そうした脱原発派の声も、ある程度の規模の政党がきちんと汲み上げてしかるべきだった。だが、そのような政党は現れなかった。既存の政党が頼りにならないので、新しい受け皿を作ろうという気持ちで始められた会派も存亡の危機に陥っている。どれも党内運営の問題である。

以上の文脈から眺めた時、吉良よし子氏の当選は非常に興味深い。共産党は、強力な縦型組織に基づく党内運営を、何十年にもわたって維持し、また維持し続けている政党である(その組織論は「民主集中制」と呼ばれる)。つまり、今回の参議院選挙における共産党の躍進とは、非自民の政党の多くが党内運営でつぶれていく脇で起こった、従来通りの強固な党内運営を続けた政党の躍進なのだ。

吉良よし子氏を応援した層には、若い層が多かった。おそらくその中には、共産党がどういう政党で、これまでどう目で眺められてきたのかなど全く知らない人も多いだろう。そういう人たちの支持を得られたことは、共産党が変わっていくチャンスである。たとえばフランス共産党は、一時期、党内情報の公開を熱心に行い、党の改革をアピールしていた。もし日本共産党が若い人たちの支持をそのまま集めていきたいのならば、改革は必須である。そうでなければ、共産党を支持した若い人たちは早晩、この党の強力な縦型体制の現実を知り、失望するだろう。

実際、吉良氏を支持した若者は共産党を支持したのではなく、吉良氏を支持したのである。もちろん、その際、そのような候補をこのタイミングで用意できた共産党の党内運営の腕は相当なものだと言わねばならない。だが、共産党の強力な縦型組織とその体質は、これまで信念をもって党を支えてきた伝統的な支持者たちには耐えられても、新しい支持者には受け入れられないだろう。その意味で、共産党が変わるか、吉良氏を支持した声をどこかが集約するか、そのどちらかが必要になる。

その他の政党についても簡単に見ておこう。公明党とみんなの党は安定した戦いで安定した結果を得た。どちらも党内運営が安定している。とくにみんなの党は、橋下徹氏の「従軍慰安婦は必要だった」発言を受けて、維新との選挙協力を早々に解消した。これは渡辺喜美氏のすぐれた判断であった。みんなの党の党内事情が特に伝わってこないということは、党内がそれなりにまとまっているということなのだろう。「切るべきところは切る」という判断は党内をまとめるのに役だったはずである。

ただみんなの党は、今の規模だからうまく党内を取りまとめることができていると考えることもできる。みんなの党は、新自由主義派で脱原発派という、今の日本では独特の路線である。規模を大きくするためには多少の路線変更は必要かもしれず、またその際には高い党内運営能力が求められることになるだろう。「切るべきところは切る」だけでは運営はできないはずである。

それに対し、「グローバル化に対応しなければならない」という趣旨のことを普段から述べながらも、自らの発言が瞬時に地球の裏側まで届いてしまうというグローバル化時代の基本的な条件すら分かっていなかった人物をトップに据えていた維新の党は、ネットスラングで言うところの完全な「オワコン」状態になってしまった。維新の党内運営の問題はここのところずっと報じられていた。維新政治塾に入っていた人たちはこれからどうするのだろうか。家族を路頭に迷わせた人もいると聞くが、もちろん、彼らの大好きな「自己責任」でなんとかしてもらいたい。

最後に結論めいたことを書いておきたい。

何十年もの政権担当で与党慣れしている自民党と、何十