オバマ大統領が去った広島で、23歳のボランティアガイドが思うこと。

広島へのオバマ大統領の訪問について、平和公園でボランティアガイドをしている目線から感じたこと・考えたことを書きたいと思います。

2016年5月27日。

アメリカの現職大統領が、初めて広島の地を踏みました。

これは誰がなんと言おうと歴史的な訪問です。

今回の訪問について賛否は分かれますが、平和公園でボランティアガイドをしている目線から感じたこと・考えたことを書きたいと思います。

まず、今回の訪問を迎えるにあたって、考えのギャップを感じました。

それは被爆者や専門家、平和活動(自分はこの表現はあまり好きではないけど)をしている、または関心が高い人達と、一般の市民との間にあるギャップです。

自分は両方の考えと触れ合える機会があるので、このギャップを感じることが出来ました。

そして自分は平和公園で、この前者(被爆者、専門家、平和活動家など)と後者(一般の市民)の橋渡し役を担っていきたいと思っています。これは、原爆を経験していないし身内に被爆者がいない自分だからこそ出来る役割だと思っています。

考えのギャップについて1つ、〝謝罪〟について、前者と後者に分けて考えてみたいと思います。

前者に聞くと謝罪は「必要だ」、「必要ではない」、「必要だけど今回は我慢する」、の3つに分かれました。

自分が話した人達の中では圧倒的に「謝罪は必要だ」という声の人が多かったと思います。それは、1945年に亡くなった約14万人、そして現在までに亡くなった約30万人への謝罪。そして今生きている被爆者の長年の苦悩への謝罪。ただそれだけではなくこの過ちを二度と繰り返さないということを誓う未来の為の謝罪です。過ちを認めない限りはまた同じことが繰り返されてしまう。という思いからです。

必要ではないという人は、こう考えているようです。謝罪も大事だけど、それよりも今ある核廃絶をしてほしい。謝罪は1つの区切りにはなるかもしれないけど、オバマ大統領が原爆を落としたわけではないし、71年前のこと。これから使われない為に今、なにが出来るかを考えないといけない。ニュースをみると、この割合が一番多かったのではないかと思います。

最後の「必要だけど今回は我慢する」というのは被爆者の葛藤だと思います。

実際に多くの謝罪を求めてきた被爆者が、今回の訪問が決まった後に意見を変えています。それは、謝罪を求めて核兵器廃絶への道がもし進まないのであればよくない。だから今回はまず、広島に来てもらう為に我慢しよう。という思いです。あとは、求めなくても、広島に来ていろいろなものを見れば必ずこの悲惨さが伝わるはずだという思いです。

共通しているのは、なんとしてでもこの核兵器が二度と使われてはいけない。今すぐにでもなくさないといけない。という思いです。

もう1つは謝罪が必要かどうか悩んで考えた結果、自分の意見を選び発信しているという事です。そこから一人一人の意見が分かれているように感じました。

では、後者、一般の市民の中での〝謝罪〟についての考えはどうか。

これは直接聞いたり、twitterやFacebookを見たりしていて感じたことですが、ほとんどの人が必要ないという考えでした。それは、大事なのはこれからだから、という思いからです。

原爆は71年前に起きたことだから謝罪はいらない、過去を振り返って謝罪を求めるのではなくてこれからのことを考えていこうという考えです。

実は自分はこれに危機感を感じています。

この結論に危機感を抱いているのではなくて、この過程についてです。

自分はガイドを始めるまで原爆や歴史についての知識がほとんどなかったので分かるのですが、自分達の世代は歴史について無知です。それは学校の中でほとんど歴史と触れ合う機会がないからです。

平和教育が盛んと言われている広島でもです。確かに平和教育は盛んですが、それは小学校、もしくは中学校での話で、高校や大学ではほとんど原爆について勉強する機会がありません。だから原爆について、表面的なことは知っていても歴史や中身は知りません。

しかし、平和教育を受けていて、自分は知っていると思っているので、大人になった時に平和公園を訪れたり改めて原爆について勉強したりすることがあまりありません。だから実は原爆について深く知っている人は少ないのです。極端な言い方をすれば、広島の人が一番知らない、と思います。

(これは、日にちは言えるし、鶴は折れるし歌は歌える。そして被爆者の話も聞いたことがある。けど中身は理解していなかったり忘れてしまったりしている人が多いというのを比喩した表現です。)

広島でもそういう状況があります。

だから何が言いたいかというと、結論にいたるまでの過程において、知識が極端に少ないのです。

結論自体は自分達の世代のいいところ(未来志向)だし、グローバル化が進む中でとても可能性を秘めているのが若い世代だと思います。

自分も大事なのはこれからだと思っています。

しかし過去を投げ捨てての未来はないし、過去を知ったうえでの未来だと思います。

これはガイドグループのリーダーである三登浩成さんの言葉を借りると「過去があって、今があって、未来があって全部繋がってるんだから、切り離して考えることは出来ない」ということです。

そういう意味では過去を知ったうえで今やこれからのことを考えていくことが大事なのではないかと思います。

なぜ、過去が大事かというと、過去を忘れてしまうとまた同じことを繰り返すからです。

例えば、自分はよくキッチンの上の扉で頭を打ちます。これは扉が開けっ放しになっているのが原因ですが、頭を打ったことを忘れて何度も開けっ放しにしてしまうからです。(ただどんくさいだけ!っていう声もありますが、、)

けど、もしちゃんと覚えていて閉めておけば、また繰り返さなくてすみます。

これは1つの例だし、原爆や戦争をこんなにちっちゃなことに例えるのもよくないかもしれませんが、過去から学ぶっていうのはとても大事なんです。

これは自分がガイドをしていて学んだことです。

だから〝謝罪〟について、未来の為に必要ない、とシンプルに答えを出すのではなくて、もっと何が起きたかを知って考えて欲しいと思います。

その結果、自分で考えた意見はとても意味があるし、それが未来に繋がるのだと思います。

さて、これを踏まえて、今回のオバマ大統領の訪問を終えて自分が感じたことを書きたいと思います。

まず、最初の謝罪の中でも触れたように、被爆者の中でも捉え方はばらつきがあります。

歴史的な訪問ではあるけど、みんなが手を叩いて喜んだ訳ではないということ。

ある被爆者は「オバマ大統領は見たくない」と言っていました。

けど大多数の人が、この歴史的な訪問を待ちわびていたし、発言に注目していたことは間違いないと思います。

発言についてですが、とにかく、、

長い!

約17分間のスピーチでした。

しかしこれは慎重に慎重に選んだ言葉達。自分の思いだけではとうてい発することのできないいろいろな制限の中で作られていったということの象徴だと思います。

聞いていて外交の難しさを感じました。

スピーチを聞いて、長い中で気になったことが2つ。

1つは冒頭の空から死が降ってきたというところ。(翻訳によってニュアンスは異なります)

もちろん英語独特の表現というのは分かっていますが、

落ちてきたのは死ではなくて原子爆弾で、落としたのはアメリカのB29爆撃機エノラゲイです。そして落とすスイッチを押したのは〝人〟です。

だから死が降ってくるっていう表現は曖昧だなと思いました。

〝原爆で死んだ人は死んだんじゃなくて殺されました。

原爆を落とした人は爆弾を落とすことによって人を殺しました。〟

(これはいつかどこかで読んだ言葉です)

これは原爆だけに限らず、戦争全般に言えることだと思います。

戦争は人が死ぬのではなくて、殺すか殺されるです。

この戦争の本質は絶対に忘れてはいけないと思います。

だからどんな戦争も仕方なかったで終わらないようにしないといけないと思います。

第二次世界大戦だけでも世界中で何千万人もの命が奪われました。

この一人一人に家族があって夢があって生活があったと考えると、本当に悲しいです。

曖昧な表現で終わらずに、なぜ起きたのか、何が起きたのか、これを機にもっと日米でちゃんと話し合っていくことが求められているのではないかと思います。

これは実はすごい大事なことで、長い間日米の間では、原爆については触れないでおこう、ノータッチでいこう、そのような空気すらありました。

「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる」というワイツゼッカー元ドイツ大統領の有名な言葉もありますが、本当に未来について考えるのならばしっかりと過去を見つめないといけないとおもいます。

それはお互いの意見をいい合って、対話を重ねることで共通の考えが作っていけると思います。そこから逃げないで欲しいと思います。

それは日米間だけではなくて、日中、日韓の間でも同じです。

日本も加害の歴史としっかり向き合っていかなければなりません。

スピーチについてもう1つは良いこと。

これはオバマ大統領の特徴なのですが、We という言葉をよく使います。

Weとは私たち。

もちろんそれにはオバマ大統領も含まれているので彼が広島で発したことに責任を持たないといけません。

しかし同時にこの発言を聞いた自分達も含まれています。

これは、オバマ大統領だけの問題ではなくて、自分達の問題だということです。

一人一人がしっかりと過去と向き合って、よい未来を作っていけたらと思います。

よりよい未来というのはふわふわしたものではなくて、核兵器のない、戦争のない世界ということ。これが前提としてあったうえで、初めて一人一人が自分の未来を描けるんだと思います。

よく、原爆を伝えることと、核兵器をなくすこと、は切り離して考えられますが自分は同じだと思っています。

自分も核兵器を無くすためにガイドを始めた訳ではなくてこんな悲しいことが起きたことを知って欲しいという思いでガイドを始めました。そして今でも核兵器を無くすためだけにガイドをしているかというとそうではなくて、広島に来た人に満足してもらいたい、そして当初と同じような思いでガイドをしています。その上で当たり前のように核兵器は絶対にあってはいけないと思っています。

だから両方大事。

原爆を伝えるということは核兵器をなくすということ、戦争を否定するということ。そして今や未来のことを考えるということ。

今世界に約15850発(2015年1月現在)の核兵器があります。

1発の威力を見ると、広島・長崎に落ちた原爆の何倍、何十倍、何百倍もの威力があるのが今の核兵器です。

そして今でも世界中で毎日多くの人の命が失われています。

一人一人が、オバマ大統領が来たことで満足するのではなくて、これをきっかけに学び、考え、伝えていくことが大事です。

一人一人が少しずつ。

2016年5月27日はスタート。

71年たつ今だからこそ学ぼう。

そして伝えていこう。

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