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水銀に魅せられて

2015年12月25日 00時42分 JST | 更新 2016年12月23日 19時12分 JST

水銀(Hg)は、数々のユニークで有用な化学的特性を持つ一方で、危険な負の側面を併せ持つ。こうしたHgの二面性について、ミシガン大学のJoel D. Blumが考察する。

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Credit: ISTOCK/THINKSTOCK

80番元素水銀(Hg)はかつて、錬金術研究において中核をなす存在だった。ヨーロッパの錬金術師たちは、全ての金属の主成分はHgであり、Hgと他の金属とを組み合わせれば金(Au)に変わると信じていたのだ。錬金術は現代化学の原理と方法論の基礎を築いた哲学的教義だが、今では錬金術でAuを作れないことは誰もが知っている。とはいえ、HgとAuは全くの無関係ではない。Hgは微細な薄片状のAuを溶かすことから、人力によるAuの小規模採掘に広く用いられているのだ。

Hgの元素記号は、ラテン語の「hydrargyrum」に由来する。hydroは水、argyrumは銀(Ag)を意味し、Hgが水のように流れる光沢のある液体金属であることを表している。quicksilver(生きている銀)というニックネームで呼ばれるのも同様の理由からだ。Hgは室温で液体となる唯一の金属で、この融点の低さは、相対論的効果に起因していることが最近の研究で示されている(参考文献1)。

高密度液体金属であるHgは非常に有用な材料で、これまで温度計や気圧計から、電気スイッチ、電池、歯科用アマルガム、電球に至るまで、実に幅広く利用されてきた。大型望遠鏡の鏡を浮かせるために用いられたこともある。他に、化学品製造業では電気分解にHgが広く利用されていた(陰極にHgを用いる水銀法など)。

特異な性質と広範な用途を持つHgは「驚異の元素」に思えるかもしれない。しかし、Hgには負の側面もある。1950年代、世界のHg供給の大半はアマルガム法によるリチウム同位体(6Li)の分離に用いられていたが、これは水素爆弾を作るためであった。Hgはまた、あらゆる形態で非常に強力な神経毒となる。

実際、毛皮の処理に硝酸水銀(Hg(NO3)2)を用いていた帽子職人に中毒症状が現れ、これが「帽子屋のように狂って(mad as a hatter)」という表現の起源となった。同様に、日本の沿岸都市、熊本県水俣市では1950~1960年代、毒性の強い生体内蓄積性化合物、メチル水銀化合物(CH4HgX;Xは陰イオン)による神経疾患が発生した。近隣の工場排水によって汚染された魚介類の摂取が原因で、この疾患は水俣病として世界的にも知られるようになった。

Hgは石炭鉱床中に天然に存在し、石炭を燃焼するとガス状のHg元素が放出される。こうしたガス状Hg元素は大気中での寿命が1年を超えることもあり、地球の隅々にまで広がっている。大気中のガス状Hgは、一部が樹木の葉と反応して直接森林に沈着する他、光化学反応による酸化を経て水滴に取り込まれ、降水の形で遠方の湖沼や海洋、陸上生態系にまで到達する(参考文献2)。また、Hgは家庭用品に幅広く使用された結果、排水中にも存在するようになった。

一般的に、大気中から堆積する無機Hgは濃度が低いため、それ自体が健康問題を引き起こすことはない。しかしながら、自然界にはこうした無機Hgを極めて有害なメチル水銀に変換する能力を持つ嫌気性細菌が数多く存在する。2013年3月、こうした嫌気性細菌でHgのメチル化に関与する遺伝子が特定されたことで、Hgメチル化能による微生物のスクリーニングが可能になった(参考文献3)。

メチル水銀は、水中および陸地の食物連鎖で共に生物濃縮され、上位にいくほど高濃度化する。そのため、上位栄養段階にある動物を餌とする動物(捕食魚や魚食性哺乳類、昆虫食性鳥類など)ではその濃度が著しく高くなり、毒性を示すようになるのだ。

一方で自然界には、メチル水銀の一部を無機Hgに戻すような微生物反応や光化学反応も存在する。つまり、環境中の最終的なメチル水銀濃度は、メチル化反応と脱メチル化反応のバランスによって決まるのだ(参考文献2)。

環境中におけるHgの挙動、そしてその移動性や毒性を左右するHgの化学変換をよりよく理解するため、研究者たちは今、さまざまな形態のHgを検出する方法を探索している。2007年、私の研究グループは、光化学反応中にHgの磁気同位体が偶数質量同位体と異なる速度で反応する現象を確認、Hgで質量非依存同位体分別(MIF)が起こることを見いだした(参考文献4)。

MIF現象の化学反応は、それ自体が興味深い。MIFは、短寿命ラジカル対が関与する反応中で起こる(磁気同位体効果による)だけでなく、平衡反応中でも起こり得る(核の体積効果による)(参考文献4,5)。

さらに、Hgの質量依存同位体分別(MDF)とMIFの比や、2種類の奇数質量同位体199Hgと201HgのMIF比を用いることで、関連する反応機構や配位子を確認できる可能性がある。このように、Hgの同位体は、この元素が関与する複雑な生物地球化学的過程を解明する上で、非常に有用な手段であることが証明されつつある(参考文献5)。

もう何年も前の話だが、私がHgの研究を始めたとき、ある博識な先輩からこう忠告されたことがある。「いったんHgの化学にのめりこんだら、もう後戻りはできないよ」。当時は、自分には関係ないことと思って取り合わなかったが、気付いた時には遅かった。思わず魅入ってしまう、その揺らめく銀色の輝きさながらに、Hgの多彩な化学は人を惹きつけて離さないのだ。

Nature Chemistry5, 1066 (2013年12月号) | doi:10.1038/nchem.1803

原文: Mesmerized by mercury

doi:10.1038/nchem.1803

著者: JOEL D. BLUM

参考文献:

  1. Calvo, F. et al. Angew. Chem. Int. Ed.52, 7583-7585 (2013).
  2. Blum, J. D. et al. Nature Geosci.4, 139-140 (2013).
  3. Parks, J. M. et al. Science339, 1332-1335 (2013).
  4. Bergquist, B. A. & Blum, J. D. Science318, 417-420 (2007).
  5. Blum, J. D. in Handbook of Environmental Isotope Geochemistry (ed. Baskaran, M.) 229-246 (Springer, 2011).

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