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相模原殺傷事件「差別の反対は無関心、これが一番の曲者で怪物」――藤井克徳さんに聞く

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SAGAMIHARA
ASSOCIATED PRESS
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深夜の凶行から1カ月あまりが経過しました。神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」を襲い、19人の障害者を殺害、職員を含む27人が重軽傷を負った事件の衝撃は深く広がっています。障害者やその家族、支えてきた人たちの心も傷つき、今年4月に「障害者差別解消法」が施行されたばかりの時点で起きた惨劇に言葉にならない悲しみと恐怖、怒りが、私たちの社会に影を投げかけています。
私は、事件の翌日に『「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」の拡散・連鎖の根を絶つために』(2016年7月27日) を緊急寄稿しました。

相模原市内の障害者施設に入所中の障害者を襲撃した大量殺傷事件は、その犠牲者・被害者から戦後最悪となり、また犯行を事前に予告し「襲撃・殺戮行為」を正当化している点でヘイトクライム(憎悪犯罪)としての特質を持つものと受けとめています。

事件直後から、この事件をめぐる「社会の構造」について発言されている藤井克徳さん(日本障害者協議会会長・きょうされん専務理事)を訪ね、お話を聞きました。事件直後から新聞各紙にもコメントや談話を寄せていた藤井さんですが、じっくりお話をうかがって、あらためて「特異な事件」として片づけることなく、裾野の広い社会的背景を提示していただきました。

他の先進工業国では考えられないことですが、日本には障害者を対象とした入所施設が3095カ所あります。また、精神障害者の社会的入院という問題もあります。こういう国は他にはありません。欧米では「医療中心から生活中心へ」「施設から地域へ」という取り組みが行なわれています。

もちろん相模原事件は許せません。無抵抗の重度障害者を標的に、しかも支援体制の薄い深夜に襲いかかかったのです。そのうえで、この事件には特異な部分と特異さだけでは片づけられない部分があります。特異な部分は今後、司直や心理学、精神医療の専門家が追及していくでしょう。問題は特異だけでは片づけられない部分をどう見るかです。

その点について考えるまえに、いったん事件を普通の目線で見ることが大切です。いくつものおかしさに気づかされます。

まず一つ目は、入所施設というものの問題です。一般の青年層・壮年層が大集団で、しかも期限なしで生活するなどということは、普通はないことです。通常の社会にはあり得ないことが、やまゆり園にはあったのです。

事件の舞台となった津久井やまゆり園には、150名近い利用者が在園していました。やまゆり園は高尾山の麓にあり、いまでこそ住宅地が迫って来ていますが、もともとは何もないところでした。地域から隔離された入所施設という状況があったわけです。

「障害者を狙う大量殺人事件」という衝撃のあまり、この点には気づきませんでした。「150名近い青年・壮年の大集団が暮らす入所施設」という藤井さんの指摘は、私たちの社会の日常の光景を問うています。

二つ目に匿名という問題があります。人の死というのは、その方の固有名詞があって、その方の性別や年齢などがあってはじめて悼む気持ちが生まれ、それによって手の合わせ方も変わって来るはずです。匿名報道は遺族の意向と言われますが、これは「この子はいないことになっている」ことの現れではないでしょうか。この発想自体、優生思想の延長線上にあると言っていいのではないでしょうか。20歳以下ならいざ知らず、20歳を超えた方について、たとえ親の意向とはいえ匿名のままでいいのでしょうか。とても違和感があります。

三つ目に、事件のあった敷地内の体育館で90人の方が事件後もずっと長期に暮らしているということです。同胞が惨殺された同じ敷地内で暮らすなどというのは、普通ないことではないでしょうか。厚労省は、「障害者にとっては慣れた環境のほうがいい」と述べていますが、これは本当に障害者を知っている者の発想ではありません。詭弁です。普通の目線では考えられません。

匿名にしても、事件のあった同じ敷地内で暮らしていることにしても、障害者だから許されるとしたらどうでしょう。「障害者差別」以外のなにものでもありません。まさに死後まで続く差別です。事件そのものも問題ですが、事件後も本質的な問題が連なっています。相模原事件は、こうした事件後のおかしさを含めて全体像をとらえることが大切です。

匿名報道についての違和感は、私も持っていました。ダッカで起きた銃撃事件等多くの犠牲者が出た事件では、報道機関は、被害者の人柄や歩みを紹介し、大切な生命を奪われた後に残された家族の嘆きを伝えています。「死後まで続く差別」という言葉が耳にささります。

また、事件後も長期にわたって敷地内の体育館で多くの方が過ごしているという事実は、多くの方が殺傷された事件現場で寝起きしていることに他ならないとした上で、これは一般的にありえる選択なのか、障害者ゆえの扱いなのかと藤井さんは指摘しています。

一番気になるのは優生思想的な考え方です。容疑者が衆院議長に宛てた手紙にしても、その後の供述にしても、優生思想的な立場にあるように思われます。

私は、昨年、NHKと共同して、ナチス時代にくり広げられたT4作戦に焦点をあてて二度にわたりドイツでの取材を行ないました。1939年に第二次世界大戦が始まってから、20万人以上の障害者が殺されました。1939年9月1日(ポーランド侵攻)から1941年8月24日までで20万人以上です。ヒトラーはT4作戦をわざわざ戦争勃発時の9月1日付で開始していますが、ほんとうに始めたのは1940年1月でした。

フォン・ガーレンというカトリックの司教が1941年7〜8月に命を顧みずT4作戦を批判する説教をし、手書きの文書を8月3〜4日に撒きました。ヒトラーはそれに太刀打ちできず、中止命令を出し、8月24日に計画を中止します。

ヒトラーは、早々にT4作戦を切り上げて、かねてからの目的であったユダヤ人の絶滅作戦に移りたかったのです。なお、T4作戦の犠牲者は1941年8月までで約7万人余で、その後T4作戦は「野生化」の状態に入りました。精神科医の手を離れて、看護師、介護士が勝手にやってしまうようになったのです。毒殺、飢餓殺などがあり、合計で20万人以上が殺されました。中止命令以降のほうが、死者が多いのです。

この1カ月の間、ナチス・ドイツによる「T4作戦」による障害者抹殺の経過を調べるために、集中的に読んでみました。印象深かったのは『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(ヒュー・グレゴリー ギャラファー・長瀬修訳・現代書館・1996年) でした。私は、ヒトラーとナチス・ドイツについて注意をはらってきたつもりでしたが、「T4作戦」は正確に知りませんでした。「ユダヤ人大量虐殺」と同時平行で「精神障害者」「同性愛者」なども殺戮されたという漠然とした認識でした。「大量殺害のためのガス室」も、精神病院で医者の手で始まり、その後の「ユダヤ人大量虐殺」に至ったことを改めて知りました。

T4作戦は忽然と現れたのではありません。それに先立って、劣等な遺伝子を消そうと断種が盛んに行なわれました。ヒトラーが政権を掌握した同じ年の1933年7月14日に断種法、つまり遺伝病子孫予防法が制定されました。この日には国民投票法と政党新設禁止法(一党独裁法)も成立しています。ヒトラーにとって断種法が政治的にいかに重視されていたかがうかがわれます。

断種の強行は1934年後半から35年にかけて活発化し、39年に終わります。合計約40万人もが断種されました。T4作戦の前に断種政策があり、T4作戦のガス室での大量殺害方式がその後のユダヤ人大虐殺につながっていったのです。T4作戦に携わった管理者や現場関係者がアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に異動となった証言はいくつもあります。断種法とT4作戦とユダヤ人虐殺の三つを連続的で段階的と見るべきです。

こうして見ていくと、最初の段階で事態を止められなかったことが、最終的に600万人の死につながったのです。歴史学的にわれわれが言えることは、ナチスドイツが行った断種のような初期段階で、事態をどう見るかが問われるということです。「これくらいは、これくらいは」と許してしまったことが問われます。 今回の事件で、植松容疑者の言動が伝えられたときに、真っ先に連想したのが、このT4作戦でした。ちなみに、報道によれば、植松容疑者の家からはT4作戦に関する文献は見つかっていないそうです。彼は「重い障害者は殺してしまおう」とやまゆり園の職員に話したときに、職員からヒトラーと同じだと言われたらしい。

彼は確信犯かどうかわかりませんが、彼の発想には優生思想とつながっているところがあると思います。植松個人は許せないのですが、問題は現代日本社会はどうなのかということです。かつて石原慎太郎氏は、都知事時代に都立府中療育センターで「ああいう人に人格あるのかね」と発言しました。また、去年の(2015年)11月、茨城県教育委員会の長谷川智恵子委員が、障害児について、「こういう子は出生前になんとかならなかったのか、茨城県の障害者はもっと減らせたのではないか」と述べました。

事件が特異であると片づけてはいけないのはこういう理由からです。こういうことがちょいちょい頭をもたげている。こういうことを許している社会の土壌を見なくてはいけません。
今回の事件が、障害者をとりまく日本社会の日常と「地続き」だということに目をそらしてはならないと感じました。そして、日本社会も今、大きく変容しています。藤井さんは続けます。
今日の社会は格差が大きく、不寛容であり、簡単に言ってしまえば生産性、経済性、効率、速度の価値基準で動いている。格差、差別、虐待、虐殺、戦争......と段階的に見えてきます。こういう日本の社会は市場原理競争原理一辺倒です。そして、その延長線上に、もしくは深部において優生思想的なものが息づいている。そういう社会において、重い障害者は邪魔であり、厄介である。競争原理から言えば当然そういうことになります。

そして、政府の対応の問題があります。政府の検証委員会でいま出ている見解は、措置入院後のフォローと福祉施設の防犯策です。何か政治的パフォーマンスをしなくてはいけないということなのでしょうが、措置入院と防犯に議論が終始しています。

これまで、精神障害者政策はいつも事件とセットで動いてきました。ライシャワー駐日大使が統合失調症患者にナイフで刺された事件(ライシャワー事件)でもそうでしたし、池田小学校事件の後には心身喪失者医療制度がつくられました。

もちろん措置入院も防犯も考えなくてはいけませんが、事件に対する薄っぺらな対症療法ではなく、もっと分厚い障害者政策の構築と結びつけなくてはいけません。相模原事件後の政府の対応は的外れです。いま問われるべきは、精神障害者政策では社会的入院の問題です。今日7万もの人びとが無為な長期の社会的入院をしています。そして、74万1000人の知的障害者のうち約13万人が施設に入っています(2015年11月1日現在)。こういうことを放置していること自体が、政府による優生思想の現れと言われても仕方がありません。

もちろん、こうした政策姿勢は国民にも伝播してしまうように思います。くり返しになりますが、容疑者に備わる優生思想的な言動は絶対に許せませんが、それと同根の社会全体の動きや政策の基本にも目を向けなければなりません。余りに不幸な事件ですが、このことを遅れをとっている日本の障害者政策の転換のきっかけにすることが犠牲者の無念を晴らすことにつながるのではないでしょうか。

ノルウェーでは、アンネシェ・ブレイヴィクが起こした大量虐殺事件について1年かけて国会で審議しました。日本でも、この事件をめぐって国会で集中審議をするべきです。いまの厚労省を中心とした政府の対応は政治的パフォーマンスにすぎないように見えて仕方がありません。

sagamihara
津久井やまゆり園前の献花台

問題を深刻に、社会全体のものとして受けとめるために、「国会の集中審議」は有効です。2000年の「耐震偽装事件」では何度も集中審議を行ないました。ただ、今回、私が目を通している限り、政局を追うのに忙しいメディアは「国会の集中審議」を求める問題提起を語っていません。

夏休みが始まったばかりで起きた事件です。私たちは子どもたちや若い世代にどのように語り伝えていけばいいのでしょうか。

いま、ごく一部とはいえ植松容疑者に共感している人がいます。ヒトラーはT4作戦を実施する前に、全国5000カ所の映画館で、障害者にかかる費用をなくせば一般国民の住宅がこれだけつくれると宣伝しました。人間は状況が厳しくなると、自身の中の座標軸が変質したり、強い論理に無意識のうちに身を委ねることがあります。また自分より劣る者にもっと差をつけて優位であることを感じたくなるのです。マスコミの報道の仕方も気になっています。事件の背景、温床にもっと光をあてるべきで、センセーショナルな情報ばかりを流してはいけないと思います。

第二次世界大戦以降の地道な人権獲得の取り組みの中で、また1981年の国際障害者年以降の国際規模での障害分野の発展の集大成として、障害者権利条約が2006年に誕生しました。どの条項を見てもキラキラと光るはずなのですが、残念ながら磨かなければ光りません。まだ原石の段階です。

日本も磨いている途中です。障害者権利条約が生かされれば、相模原事件のような事件は起こるはずはありません。そして、今年の4月に障害者差別解消法が施行されました。その年にこういう事件が起こったことは、私もそうですが、日本中の障害分野にとって本当に大きなショックです。

社会に向かっては、あらためて、相模原事件を障害のある人のことを正しくとらえる新たなきっかけにしてほしい、そう訴えたいです。障害者権利条約の批准、障害者差別解消法の施行が図られたわけで、これらの力を加速させていくことが問われています。

具体的には、精神障害者に対する入院中心主義や知的障害者に対する施設中心主義の政策にメスを入れること、20歳を超えた障害者の相変わらずの親丸抱えを改めること、圧倒的多くの障害者が相対的貧困線以下に閉じ込められている実態から脱却することなどがあげられます。今回の事件を、これらを好転させるターニングポイントにすべきです。そうでなければ、相模原事件のほんとうの総括になりませんし、19人の死、27人の負傷者に報いることにはなりません。

そのうえで、一般の市民、特に小中学生、高校生に対して訴えたいことがあります。それは、差別の反対は何かと言うことです。普通に考えれば、差別の反対は平等とか公平ということになります。いまの社会を見ていると、そうは言いにくいのです。実は、いまの社会にあっては、差別の反対は無関心なのです。この無関心が一番曲者で、怪物のようなものです。これこそ、教育がもっとも力を入れるべきところです。そのためには、障害のある人に直に接してもらうことが大事だと考えています。

小中学生・高校生に向けて「差別の反対は無関心、これが一番の曲者で怪物」という藤井さんの思いを、子どもたちなら受けとめられるはずです。

また「わかっているつもり」がいかに危ういかということも思い知らされました。藤井さんの指摘する「入所施設生活」「匿名にひそむ差別」「事件後の施設内体育館生活」等お話を聞いて、ドキリとする部分がありました。

実は、2016年4月1日、世田谷区役所中庭から「障害者差別解消法」施行を記念する黄色と東ちづるさんが代表をつとめる「Get in touch!」の呼びかける「世界自閉症啓発デー」を記念する青い風船を、300人の障害当事者や支援者、区職員等で大空にあげました。

こうして、「これから歩みが始まる」と考えてきましたが、今回の事件を「特異な事件」として片づけることなく、足元の日常に残っているバリアに目を向けて解消をはかっていかなければと思います。

藤井克徳さんプロフィール

1957年福井大学付属春山小学校入学、1970年青森県立盲学校高等部専攻科卒業後、都立小平養護学校(肢体不自由,現在の都立小平特別支援学校)勤務.その後,教諭資格取得に伴って1976年より同校教諭。1981年共同作業所全国連絡会(現・きょうされん)事務局長、1982年都立小平養護学校退職、あさやけ第2作業所(精神障害者対象)所長、1994年あさやけ第2作業所退職、きょうされん常務理事、社会福祉法人きょうされん第2リサイクル洗びんセンター(精神障害者通所授産施設)施設長,埼玉大学教育学部非常勤講師(2005年まで)。2005年第2リサイクル洗びんセンター施設長退職。国連ESCAPチャンピオン(障害者の権利擁護推進)賞受賞(2012年)。

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