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明治維新を裏で支え、日本の救世主となったサツマイモ

2016年04月27日 01時42分 JST | 更新 2017年04月26日 18時12分 JST

日本の人口は江戸時代にかけて増加の一途をたどりました。

その為、大規模な開墾をしても慢性的な食料不足が続いていました。

30~40年に一度は飢饉が起こり、その度多くの人命が失われました。

江戸時代の三大飢饉、享保の飢饉(1732)・天明の飢饉(1782~1787)・天保の飢饉(1833~1839)の時には、240万人もの死者を出しています。

そんな人口と食物のバランスの取れない日本に救世主として登場した食物があります。

それが...、サツマイモです。

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写真:写真AC

米よりもサツマイモ

サツマイモは栄養価が高く、多収でありました。

エネルギー源としてのデンプンの含有量が多く、全ての作物の中で単位面積当たりのカロリー生産量が最も高く、稲の1.7倍もあります。

ビタミンB1、ビタミンCも多く、カルシウムもかなりあってこの点でも米よりも優れています。

また、サツマイモは食物繊維を多く含んでいます。

食物繊維は腸の働きを活発にし、排便を良くします。

さらに、アラピンという便通をよくする成分も多く含まれており、便秘解消にはうってつけの食材です。

ちなみに、サツマイモを食べるとおならがよく出るとされていますが、サツマイモを食べた時に出るおならは乳酸菌などによるものなので臭いものではありません。

優れた栽培能力

肥沃な土地より荒地を好むという便利な作物で肥料いらず。

乾燥地を好む事から、灌漑水路いらず。

寒冷地での栽培や冬の貯蔵は難しかったが、旱魃や多雨に強い事に加えてイモが地下にあるため害虫にも強く、暖かい土地では素人でも簡単に栽培できました。

明治維新を支えたサツマイモ

サツマイモの栽培に適していた、中国、四国、九州地方では江戸時代に餓死者が出なかったどころか人口が増加しています。

そして、サツマイモは明治維新を支えるようになります。

薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の4藩はサツマイモ常食藩だった為、維新戦争に動員する兵力が他の藩に比べて格段に多かったのです。

例えば、25万石の彦根藩が動員した兵力が2,500人なのに比べて、77万石の薩摩藩はなんと4万余人を動員し得た。

イモ侍がコメ侍を圧倒していた事が分かります。

サツマイモを大規模に栽培していた地域では、明治維新を推進する兵力を生み出す事が出来たのです。

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写真:写真AC

サツマイモ伝来とまとめ

さて、サツマイモは何時、何処から日本に伝わってきたのでしょうか?

1609年頃には琉球王国を属国としていた薩摩に入っているはずという説もありますが、薩摩藩のサツマイモ導入者として有名な前田利右衛門という人物がいます。

この前田利右衛門という人物は一介の漁師でしたが、1705年に琉球でサツマイモと出会い、種イモ3個を貰い受け、持ち帰ったという記録があります。

そして、サツマイモは18世紀に急速に全国に拡がっていきます。

明治維新を裏で支え、戦後の日本を救ってくれたサツマイモ。

日本国民にとって、サツマイモは無くてはならない食材となっていきます。

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