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横浜線踏切事故に見る「死」と統計

2013年10月03日 22時50分 JST | 更新 2013年12月03日 19時12分 JST

横浜市緑区のJR横浜線踏切で、倒れていた74歳の男性の方を助けようとして40歳の女性会社員が電車にはねられ亡くなるという事故が、1日におきました。

とても私にはできない素晴らしい行為だと思うと共に、かなり心に訴えるものがあったわけですが、今回の事件が何故こうも訴えるものがあったのか、少し考えてみたものです。

1 命の尊さ

あたり前ですが、死んだらお仕舞いです(当たり前だけど死んだらお仕舞い)。何か素晴らしいことをする能力を有していようが、どんなに素晴らしい美貌を備えていようが、死んでしまえばそれまでです。

素晴らしい未来を享受することもできなければ、自分が苦労して、してきたことも大半のことはそこでストップしてしまいます。

ただ、あまりに大勢の人がいて、世界中で毎日大勢の人が亡くなっているので、そうしたことを我が身にあてはめて考えることができないといったところではないかと思います。

より正確に言えば、こうした冷酷な事実をあんまり考えたくないから普段は考えないようにしているというところかもしれません。

2 自分のこと

斯様に普段は自分の生活の外に置いてある「死」ですが、何かのきっかけがあると否応なしに自分の生活に介入していきます。

その最たるものが、近親者や友人など身近な方の死で、今までいた方(いることが当たり前だった方)が、急にいなくなるというのはかなりきついものがあります。

釈迦が、他人の子供をさらって食らっていた鬼子母神の子供を隠して如何に子供というものが母親にとって大事かということを諭したという話があります。これは、モノを盗む場合も、他人(知らない人)にとってはどうということのないものでも自分にとってはすごく大事だということと、そうしたモノの中でも命というものが如何に大切かということを教えてくれているのではないかと考えます。

他人を殺した殺人犯が自分の死刑判決を受けて、いろいろ考えるようになったという話も良くきくものです(女囚が死刑執行される前の写真)

3 死と統計

こうした観点から「命がけ」という言葉が生まれて使われるようになったのではないかと考えていますが、普段「死ぬ」などと言っている人も間違っても本当に死ぬなどと思って使っていないわけで、それだけ「死」が遠くになると思っているから使える言葉かと思います。

ところがこうした事件を起こると否応なしにいろいろ考えさせられ、「死」というものを考えてしまうが故に大きな反響を呼ぶのではないかと考えます。

交通事故で死亡する人は平成24年度の統計によると、1日12人を超えています。自殺者も年間3万人を超えており、1日になおすと80人以上の人が自分で自分の命を絶っているわけです。

今回の事件も、数字にしてしまうと、これらと同じ死亡1件にしか過ぎないわけですが、こうした数字を見ていてもあまり私の心に訴えるものがないというのが本当のところです。

ところが今回の事件はこれだけ私の心に訴えるものがあるわけで、自分の命を捨ててまで、他人を救うという「自己犠牲」の面が大きな影響を与えているのは間違いないかと思います。

4 死んだ人の物語

それ以外に今回はこの亡くなられた方についていろいろ報道されており、この方の物語に触れたということが大きいのではないでしょうか。

大津市でかなりひどいいじめがあり、生徒が自殺をするという事件もありました。その事件は「自己犠牲」とはあまり関係がありませんが、正直かなり訴えてくるものがありました。

その理由として、やはりいろいろいじめの内容等が報道され、亡くなれた方のこと(物語)を知る機会があったというのが大きいかと思います。

数字だけを見ていても何も訴えるてくるものがないわけですが、人として物語を見せられると「死」を実感するわけで、人はこういう形でしか物事を理解できない面もあるのではないかと考えています。

5 最後に

中国で「反日デモ」が起こったとき、「日本」に対し強い反感が示されたわけですが(今回の「反日デモ」のまとめのようなもの)、こうした行動を起こした方々が、具体的に実際に生活している「日本人」を知らないが故にできたという面もあるかと思っています。

 同じように、日本でも韓国に対する「ヘイトデモ」が起こったわけですが、これもどこまで「韓国(人)」を理解して上で行っているのかという思いはあります。

(※2013年10月4日の「政治学に関係するものらしきもの」より転載しました)