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そろそろやめませんか?「右翼/左翼」「保守/リベラル」って分類は。

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政治用語が混乱しています。

「おれは保守だ」と言う人がいれば、「あんなのは本物の保守ではない」と言う人がいます。「日本のリベラルは終わった」と言う人がいれば、「あんなのは本物のリベラルではない」と言う人がいます。

保守、リベラル、右翼、左翼──。

政治的立場を示すこれらの言葉は、論者それぞれが自分独自の定義で使うようになってしまいました。誤解や混乱を避けるため、うかつに使うのをためらうほどです。一度これらの言葉から離れて、政策そのものをベースに政治的立場を整理する必要があるでしょう。

     ◆

あなたは「社会」と「個人」のどちらを大切だと考えますか?

有史以来、これは神話や戯曲に繰り返し選ばれてきたテーマです。人は1人では生きていけません。生存には「社会」が必須です。しかし社会の目的が、個人の目的と一致するとは限りません。社会の繁栄のために、個人の自由はどこまで犠牲にできるのか。これが政治的立場を計るための最初の軸になりそうです。

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たとえば女性は家事と子育てに専念すべきだと考える人がいるようです。反面、性別を問わず、どんな生き方を選ぶかは個人の自由に任せるべきだと考える人もいます。後者は「個人」を重視するので、軸の下のほうにプロットできるでしょう。前者は個人よりも伝統、すなわち社会のあり方を重視しているので、軸の上のほうにプロットできるはずです。

またオリンピックでメダルを取れなかった選手に対して、「日本人に恥をかかせた」として謝罪を求める人がいるようです。一方、国籍や人種を問わずアスリートのスーパープレーに賞賛を送ろうと考える人もいます。前者は「日本民族」という集団・社会を重視しているので、軸の上のほうにプロットできるでしょう。後者は国や民族よりも個人を重視しているので、軸の下方にプロットできます。

たとえば外国人を「○○人だから」という理由だけで嫌う人がいます。こういう人は軸の上のほうにプロットできます。なぜなら、個人を重視する人は、相手を国籍や出自で判断しないからです。相手の独自の人柄や能力──つまり「個性」──から、好き・嫌いの評価を決める。それが個人を重視する人であり、軸の下のほうにプロットできます。

この軸は上に行くほど、全体主義的な価値観になります。一方、個人をどこまでも大切にすれば、そのうち「シートベルトの着用や飲酒年齢の規制さえも個人の自由に任せるべきで、政府が介入するべきではない」という考え方になってしまいます。軸を下に降りていけば、究極には無政府主義に行き着きます。

個人と政府のどちらの権限をより大切だと考えるか。

言い換えれば、何を犯罪だと見なし、何を見なさないのか。

この「権限の軸」が、政治的立場を決める最初の軸です。

     ◆

「犯罪になる行為を決める」ことだけが政策ではありません。

政府にはもう1つ重要な役割があります。それは税金を集めることと、その使い道を決めることです。

社会福祉を充実させたり、景気回復のために大規模な財政出動をしたり──。政府の使うカネが増えれば、それだけ税金も重くなります。反面、税金を減らせば政府にできることも少なくなりますが、民間企業が自由に経済活動を行えるようになります。いわゆる「大きな政府」と「小さな政府」のどちらが望ましいか。20世紀末から21世紀初頭にかけて、盛んに議論されてきました。

これが政治的立場を決める2つ目の軸、「経済政策の軸」です。

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たとえば「大型の公共事業」を批判しながら、社会福祉の充実を訴える人がいます。これは「大きな政府」を容認したうえで、そのカネの使い道について議論しているのです。一方で、大きな政府そのものに懐疑の目を向ける人もいます。国営の企業はできるだけ民営化するべきだし、経済活動への政府介入はできるだけ減らすべきだと考える人がいます。この人は「小さな政府」を指向していると言えます。

経済学的には、政府の経済介入は「市場の失敗」の場合に限るべきだと言われています。

たとえば、ある民間企業が公害を出している場合を考えてみましょう。この企業は本来なら自分たちで負担すべき環境浄化のコストを周辺住民に押し付けていることになります。これは「外部不経済」と呼ばれ、政府の介入の対象になります。政府は汚染物質の排出に税金をかけるなどの方法で、公害の発生を止めなければなりません。

また寡占・独占も問題です。市場競争が不完全になり、消費者は財やサービスを得るのに不当に高いコストを支払わなければなりません。そのため、多くの国で独占が禁止されています。

これら「市場の失敗」の場合には、政府の経済介入は歓迎されます。

旧ソ連のような社会主義国では、介入どころか、政府の首脳陣が経済のすべてを計画すべきだと考えられていました。究極の「大きな政府」だと言えるでしょう。

また経済のすべてと言わないまでも、不況時には景気刺激のために大規模な財政出動をするべきだという考え方があります。いわゆるケインズ主義と呼ばれる考え方です。この考えに基づいたニューディール政策は、世界恐慌後のアメリカ経済を救いました。軸のやや右側、やや「大きな政府」側にプロットできる政策です。

財政出動は、一時的には好景気を作ることができます。しかし将来的には政府は債務の返済に追われるようになり、不況に対応できなくなるという考え方があります。また政府の経済介入は利権を生み、カネやモノが効率的に分配されなくなってしまいます。だから政府の経済介入は最小限にすべきで、公共事業も社会福祉も小さくするべき──。新自由主義(ネオリベ)と呼ばれる政治思想が、20世紀末には注目されていました。軸の左側、「小さな政府」側にプロットできる考え方です。

「権限の軸」と「経済政策の軸」──。

2本の軸を置いたことで、政治的立場や思想を第Ⅰ象限~第Ⅳ象限のどこかにプロットできるようになりました。

たとえば旧ソ連のような社会主義国は「大きな政府」の究極形です。同時に、個人の自由よりも社会秩序のほうが重視されていました。スターリン時代の大粛正を見れば明らかです。したがって第Ⅰ象限の極端に右上にプロットできると言えます。

政府の経済介入を歓迎し、個人の自由よりも社会秩序を重視する。よく似た政治思想がもう1つあります。ファシズムです。

ドイツでナチス党が勃興したとき、ヨーロッパの知識層にはそれを歓迎する人もいたそうです。ロシアの共産主義勢力への防波堤になるだろうと考えたからです。しかし共産主義は「左翼」、ナチスは「右翼」と呼ばれましたが、目指している政治体制はよく似ていました。

「大きな政府」でありながら、個人の自由を重視する政治体制もあります。

たとえば北欧の福祉国家です。高税率・高福祉の経済政策は、「大きな政府」以外の何者でもありません。しかし同時に、これらの国では個人の自由にも多大な関心が払われているようです。第Ⅳ象限にプロットできる政治体制だと言えます。

なお、日本共産党は「共産」を標榜しながら、実際には北欧諸国のような「大きな政府+個人の自由」の組み合わせを指向しているようです。旧ソ連のような共産主義とはまったくの別物だと考えるべきでしょう。

また自民党と民主党は、政治的立場ではよく似ていました。どちらも巨大な政党であるがゆえに、所属する政治家は4つの象限に幅広く分布しています。同じ党内に、ケインズ主義者とネオリベが共存する。それが自民党と民主党でした。

では2つの党の違いがどこにあったかといえば、政治思想を実現する技術的な部分でした。

自民党が長い与党時代に行政運営のノウハウを蓄積していたのに対して、民主党にはそれが欠けていました。失敗を繰り返しながら行政運営を上達していく道もあったはずですが、日本の有権者はそこまで寛容ではありませんでした。

なお、政権交代で野党になった自民党は、民主党との差別化を迫られました。その結果、表の中心よりやや第Ⅰ象限に近い政治的立場を取るようになったのではないかと私は感じています。

ちなみにネオリベと呼ばれる人々は、「右派」に分類される場合が多いようです。経済政策では政府の介入を嫌い、税金・福祉・公共事業の削減を訴えますが、民族主義的な価値観を持っている人が少なくありませんでした。

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「権限の軸」と「経済政策の軸」の2つを組み合わせれば、政治的立場をうまく分類できそうです。しかし、これで充分ではありません。

たとえば貿易自由化を考えてみましょう。

比較優位の原則から言えば、貿易は自由であるほどいいと言えます。最近ではTPPで農産物の関税が話題になっていますが、関税が無ければ消費者はより安く食料品を入手できるようになり、多大なメリットを得られます。しかし、明日から急に関税をゼロにすれば、国内の農家が窮乏するのは明らかです。

将来的には好ましい政策でも、今すぐやるのがいいとは限りません。

あらゆる政策には、「いつやるか」という時間の軸がつきまといます。

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どんな政策であれ、急進的に実現すれば弊害が出ます。

急進的な教育改革は「ゆとり世代」の学力低下を招きました。急進的な消費税の導入は、日本経済を疲弊させ、失われた20年をもたらしました。反面、世界の経済情勢や国際関係はめまぐるしく変化しています。政策の実行に慎重になりすぎれば──漸進的になりすぎれば──時代の変化に対応できなくなってしまいます。

「権限の軸」と「経済政策の軸」で、その人の理想とする政治体制が分かります。が、その理想を実現するのにどれくらいの時間をかけるのか。それが第三の軸、「時間の軸」です。極端に急進的な人は革命主義者と呼ばれます。

先日、ある元衆議院議員の方とお話する機会がありました。

その人は「自分は保守派だ」とおっしゃっていたのですが、話を聞くとどうも保守派には思えない。「日本は『永遠のゼロ』がウケるような国であってはいけない」とまでおっしゃっていました。経済政策の軸ではほぼ中道、権限の軸では社会よりも個人を重視していらっしゃると感じました。

では、その人がなぜ「保守」を自称していたかといえば、漸進的な思想をお持ちだったからでしょう。「権限の軸」や「経済政策の軸」では保守ではないけれど、「時間の軸」で保守派だったのだろうと推察しています。

     ◆

第二次大戦前夜、共産主義は「左翼」と呼ばれ、ファシズムは「右翼」と呼ばれていました。しかし実際には、2つの思想が理想としている政治体制はよく似通っていました。

ここから分かるとおり、「右翼/左翼」という分類は政治的立場を必ずしも正確に表すことはできません。

また、「保守」を自称する人であっても、その内情は様々です。

佐々木俊尚さんが「オレオレ保守」と呼ぶ歴史観に欠けた層の人もいれば、「急進的ではない」という意味で保守を自称する人もいます。また橘玲さんは、日本のリベラル層は変化を嫌うという意味で極めて保守的だと指摘しています。「保守/リベラル」という分類も、ある人の政治的立場や思想を判断するのに適切ではなくなりつつあります。

今回の記事で、私は「右翼/左翼」「保守/リベラル」に代わる新しい政治的立場の基準を提案してみました。

ある人の政治的立場・思想は、三つの軸から評価できます。

まず第一に、社会と個人のどちらを重視するかという「権限の軸」

第二に、大きな政府と小さな政府のどちらを重視するかという「経済政策の軸」

そして第三に、理想の実現にどれだけの時間をかけるのかという「時間の軸」

以上の三つの軸を使えば、ある人物の考え方をうまく分類できるのではないでしょうか。

とくに急進派か漸進派かを問う「時間の軸」は、かなり重要な視点ではないかと思います。急激な変化を目指せば、必ず変化についていけない人が出ます。したがって、政治的な理想の実現にはできるだけ時間をかけるべきだと私は考えています。しかし、無限に時間をかけていいわけではありません。変化の激しい時代に適応できなくなりますし、長期的には私たちは全員死んでいるからです。

社会のために個人の自由はどこまで制限されうるのか。

政府の「大きさ」はどれぐらいが適切なのか。

そして、理想を実現するのにどれだけの時間をかけるべきなのか。

三つの軸にもとづいて議論すれば、少なくとも「ネトウヨ」「サヨク」と罵倒しあうよりは建設的な議論ができるのではないかと思います。

民主主義は、多数決ではありません。

その社会の構成員すべてが納得できる、妥協できる案を、議論によって探し出すこと。それが民主主義だと思います。

私たちが議論を上手くなれば世界はもっとずっと良くなる。

私は、そう信じています。

マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術

(2014年2月16日「デマこいてんじゃねえ!」より転載)

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