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いま、何の話をしているのか。

2014年08月21日 22時58分 JST
Jason Hetherington via Getty Images

ひさしぶりに「議論の組み立て方」系の記事を書きます。

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議論が苦手な人は、情報の整理が苦手な人だ。相手の"言っていること"を体系的に理解できないから、うまく反論することができない。自分の感情を"主張"へと昇華できないから、自分が"何を言っているのか"さえ、あやふやになっていく。情報を整理する力は、議論に強い・弱い以前の問題だ。

「現状分析をしているのか、それとも理想や目標について話しているのか」

「全体の話をしているのか、それとも個別の話をしているのか」

少なくとも、この2つの軸だけは見失わないようにしたい。

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たとえば、こちらの記事:

国民国家とグローバル資本主義について‐内田樹の研究室

http://blog.tatsuru.com/2012/12/19_1126.php

私は以前から、「充分に豊かになった国・地域では"政治"の力が弱くなる」と考えていた。なぜなら民主的で豊かな国では、"優秀な人"にとって政治家が魅力的な職業ではなくなるからだ。自由にプロダクトやサービスを提供したほうが、より効果的に世の中を変えることができる。現代の日本の"政治家"にロクなやつがいない人材不足が深刻なのは、このためだ。

同じ状況を指して、内田先生は次のように分析している。

いま日本を含めて地球上のすべての人々は「国民国家とグローバル資本主義の利益相反」という前代未聞の状況を前にしている。

国民国家というのは、別に太古から存在したものではない。1648年のウェストファリア条約で基礎づけられた近代の統治システムである。(中略)国民国家が標準的な政治単位になってそろそろ400年である。賞味期限が切れかけてきたらしく、20世紀末になって脱領域国家的なグローバル資本主義が登場してきた。

私よりもはるかに俯瞰的で、本質的な現状分析をしている。「やっぱり内田先生ってすげえな......」と嘆息せずにはいられなかった。そして、この現状から、今後どのようなことが起きるのか:内田先生は次のように指摘している。

グローバル企業は特定の国の国民経済の健全な維持や、領域内での雇用の創出や、国庫への法人税の納税を「自分の義務だ」と考えない。(中略)そのせいで雇用は失われ、地域経済は崩壊し、歳入は減り、国民国家の解体は加速することになる。

対策としては、ベタなやり方だが、愛国主義教育や隣国との軍事的緊張関係を政府が意図的に仕掛けるくらいしか手がない。

とても説得力のある予言だ。

事実として、ナショナリズムを煽ることで"政治"の力を取り戻そうとする兆候はすでに見られるし、経済と文化の世界的な変化 (※内田先生はそれを「グローバル資本主義の台頭」と呼び、私は「自由で豊かな世界の到来」と呼ぶ)から取り残された人々は、そういう国家主義的な価値観に熱狂しつつある。日本の外に出られない人々にとって、"海外を知っている"ことは、ただそれだけで憎しみの対象になる。嫉妬と羨望を向けずにはいられなくなる。

海外生活経験者「日本って住みづらいな」←たまにこういう奴いるよな‐VIPPERな俺

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4359859.html

経済と文化の世界的な変化についての私の見解は、こちら:

グローバル化・IT化はただの社会変化ではない、人類史上の大事件だ。

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111109/1320829167

内田先生は「グローバル企業」を主語にしているが、実際には企業に限らない。頭がよく、創造的で、適応力が高い――。そういう"優秀な人"は、続々と世界に羽ばたいている。そういう「グローバル個人」たちも、グローバル企業と同じような行動を取るはずだ。ヒトである以上、生まれ故郷や育った地域に対する愛着はあるだろう。しかし"国民国家"への帰属意識を持つのは難しい。"国家"と"郷土"は、似て非なるものだ。

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さて、重要なのはここからだ。

ここまでの話は、あくまでも「現状分析」にすぎない。「国家や政治というものの力が弱くなっていく」のも、「愛国主義や軍事的緊張が利用される」のも、あくまでも現実世界に対する分析にすぎない。「政治の力が弱くなるべきだ」とは主張していないし、「愛国心を利用するべきだ」とも主張していない。

これが情報を整理するときの、1つめの軸だ。

「現状分析をしているのか、それとも理想や目標について話しているのか」

この部分を見誤ると、議論が噛み合わなくなる。ダメな議論になってしまう。

「政治家の人材不足が深刻だ」という現状分析に対して、「優秀な政治家が必要だ」と反論されても、私は「はいそうですね」としか答えられない。というか、それは反論ではない。

現状分析に対して理想をぶつけても、それは反論にはならない。現状分析に対しては、「その分析は間違っている」という方法でしか反論できない。つまり「人材不足などではない、優秀な人ばかりだ」と主張する以外に、反論の方法はない。「雨が降っている」という現状分析に対して、「晴れているほうがいい」という理想をぶつけても無意味なのと同じだ。雨天のときに必要なのは、「雨など降っていない」という現実逃避ではなく、傘である。

また私の分析も、内田先生の予言も、どちらも「全体の話」をしている。

私の貯金が (20代後半にもかかわらず)ゼロ円に等しいのも、仕事が少なくて困っていることも、あくまでも私個人の問題だ。個別の問題だ。

「政治の力が弱くなっている」という全体の問題が、私個人の現状の遠因であることは認めよう。しかし同じ社会のなかで、うなるほどの貯蓄を作り、引く手あまたで仕事をこなしている人がいる。この差はどうして生まれたのか:全体の現状分析をしているだけでは、絶対に分からない。私と"成功者"との違いを知るためには、それぞれ個別の現状を分析する必要がある。

あの人に貯蓄があるのは、私よりも"いい仕事"につき、なおかつ浪費をしないからだ。

あの人が引く手あまたなのは、私よりも"能力"があり、なおかつ営業努力を欠かさないからだ。

不景気や政治空白などの「全体の問題」が解決されれば、たしかに私の"チャンス"は増えるだろう。しかしチャンスが増えたからといって、"いい仕事"にありつけるとは限らない。個別の問題には、個別の対策――浪費を押さえて能力を磨く――をする以外に、解決策はない。自分で人生を変える力のない人ほど、政治に頼ろうとするのだ。

全体の話をしてもムダだ、と言いたいのではない。ただ、全体の話は全体の話で、個別の話は個別の話で、分けたほうがいいと言っているのだ。

「全体の現状」と「個別の現状」は、基本的に分けて考えたほうがいい。もちろん両者は遠くのほうで関係しているのだが、個々人の生き方のレベルまで落とし込んで議論する場合には、分けたほうが無難だ。たとえば、カネに糸目をつけずに酒を飲んでいる人間が「貯蓄がゼロなのは不景気が悪いからだ」と訴えても、なんの説得力もない。全体の現状分析から個別の現状を語るには、細心の注意が必要になる。

これが情報を整理する際の2つ目の軸だ。

「全体の話をしているのか、それとも個別の話をしているのか」

この部分を見誤ると、議論が噛み合わず、結論が行方不明になってしまう。

現状分析について「全体」と「個別」の違いを説明してきた。しかし、これは現状分析に限らず、「理想」についても同じだ。全体の理想と、個人の理想は、しばしば一致しない。"国民国家の解体"という現状を打破するために、"国家主義の復活"を理想にかかげたとしよう。全体の理想だ。しかし、その理想が"個々人の幸福追求"を阻害することは――個別の理想からかけ離れていることは、すでに歴史が証明している。国家主義、全体主義がどんなに成功を収めても、平穏で退屈なディストピアしかもたらさない。

いままでの話をまとめると、次のとおりだ:

2014-08-22-20140822_rootport_01.jpg

この表に基づいて、内田先生と私の考え方を比較してみよう。

まず表の左上の部分「全体の現状」については、ほぼ同じことを見て、同じようなことを考えているようだ。"国家"や"政治"の力が弱くなりつつあること、その背景には文化や経済 (ヒト、モノ、カネ、情報)の急速なグローバル化があること。原因を人材の流動に求めるか、それとも企業による政治の支配に求めるかの違いはあるけれど、目の前で起きている社会現象についてはおおむね同じような分析をしている。さらに内田先生は「愛国主義や軍事的緊張の利用」を予測しており、強く納得させられた。やっぱすげーわ。

続いて、表の右上の部分「個別の現状」について考えてみよう。内田先生は大学の研究者であり、専門はフランス現代思想を土台に幅広い。一方、私はしがない流しのブロガーwだ。個別の現状については、もっとも深い部分は本人にしか分からない。

ただし、第三者について語る場合にも「全体」と「個別」の分類は有効だ。たとえば最近、パナソニックへの批判を色々な場所で目にした。それらの批判がパナソニック個社に対するものなのか、それとも日本の家電メーカー全体に対するものなのか、きちんと分けて考えたほうがいい。

さらに表の左下、全体の理想について。内田先生はグローバル資本主義を批判しつつ、かといって愛国主義にも憂いを感じているらしい。「グローバル化が進むことで国民国家が解体されつつある」という現状分析をしながら、グローバル化も、国家主義も、どちらも受け入れがたいと考えているようだ。"望ましい社会のあり方"について、着地点がどのへんなのかイマイチ分からない。

この"着地点がぼんやりしている感じ"は、内田先生の"個別の現状"と無関係ではないだろう。内田先生は大学の研究者であり、(自由で無所属な個人というよりも)どちらかといえば"国家的なもの""大きなもの"に属している人だ。だからグローバリズムに対して懐疑的になるのは当然だし、反面、アカデミズムの一端を担う者として自由の番人でなければいけない。"大学の研究者"という出自ゆえに、グローバル化にも国家主義にも批判的にならざるをえないのだ。たぶん。

人類の繁栄のカギは"多様性"だと私は考えている。国家の繁栄でも、民族の繁栄でもなく、人類の繁栄のために"多様性"は欠かせない。そして多様性を担保するために、内田先生のような立場から発言する人は必要だ。

私たちが「豊かな生き方」をするのに必要なもの/競争でも平等でもなく、多様化を!

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111206/1323172032

グローバル化は地域の特性をつぶし、世界の多様性を失わせるという主張がある。が、それは誤りだ。時代の変遷により失われていく文化や思想があるように、新しい文化や思想、価値観は生まれ続けている。グローバル化の影響で、より広範な地域を舞台に、より劇的に多様性が生み出されていくだろう。

そもそもグローバル化は、いまに始まった話ではない。ここ十数年で急加速しただけで、シルクロードが(あるいはアウトリガーカヌーが)世界を結んだときから始まっていた。文化や思想、価値観、技術――等々が、ほんとうに優れているのなら、多くの人から支持されて、いつまでも生き残る。だからこそ法隆寺の柱は丸みを帯び、世界中で火薬と羅針盤と紙が使われて、スコットランドの民謡が毎夜、日本全土で鳴り響くのだ。

とはいえ、地域の特徴が急速な勢いで失われているのも事実だ。カンブリア期の大絶滅のような、文化の大量絶滅の時期に入っているのかもしれない。しかしグールドの断続平衡説ではないが、多様性の一時的な減退は、新たな多様性によって、またたく間に埋め合わされるだろう。

私がもっとも重要視するのは、表の右下「個別の理想」だ。

70億人のヒトが、70億通りの「個別の理想」をかかげられること。

私たちは、まだ道半ばである。

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話を「議論の組み立て方」に戻そう。

「現状分析をしているのか、それとも理想や目標について話しているのか」

「全体の話をしているのか、それとも個別の話をしているのか」

この二つの軸を見失うと、わけの分からないことになる。

しかし、必ずしも別々に議論しなければいけないわけではない。

ものの値段が安すぎる!‐24時間残念営業

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633

たとえば上掲の記事では、「コンビニに置く商品の価格」という個別の現状から、日本や世界を覆う経済全体の現状を推測している。本を読んで学んだ借りものの知識ではなく、現場での実感からこうした本質的なことを考えられるのは、ちょっとすごい。たぶん「地頭がいい」とは、こういうことを言うのだ。しかも、面白く伝える文章術を持っている。残念営業さんのブログが人気を集めるのは、やはり理由があるのだ。

そして、最後に応用編として、以下の記事を紹介したい。

「ものの値段が安すぎる!」のは当然の帰結、とマルクス先生は仰った‐はてな匿名ダイアリー