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都市と地方の「情報格差」とは何だったのか(後編)

2015年03月02日 16時08分 JST | 更新 2015年05月01日 18時12分 JST
ViktorCap via Getty Images

前回は、人口が1万人を切るような小規模市町村の「情報格差」の問題について取り上げました。

依然として都市と地方の情報格差は存在し、とりわけ「文化的成熟度の高い情報との偶然の出会い」が少ない特徴があります。文化的成熟度の高い情報とは、ホワイトカラー寄りの職業情報やハイテク産業など、いわば都市に生まれる職業や、カルチャー、デザインなど。

田舎ですと、職業においては役所や消防などの公務員や、そして土木・建築業、農業・漁業が大半で、あとはパチンコや飲み屋、小売りなど。個人事業が多いため「親の仕事を継ぐ」などの関係もあることを考慮する必要もありますが、文化的成熟度の高い領域の将来・進路が狭まっているのは事実です。

他の道が狭まってしまう情報、損してしまう情報としては「社会保障」の領域が挙げられるでしょうか。医療費を抑える方法や、子育て世代への手当、介護保険、福祉など。セーフティネットの存在を認知しているかしていないかの差は大きいです。

職業でも教育でも福祉でも何でも、人間、知らないものに対しては選択肢に入りませんし、欲望も生まれません。ゲームに不利な手札のカードとなってしまうかもしれません。

■無視される競争相手

昨今話題の「特産物」はもちろん、U・Iターンを巡る施策もそうなのですが、地方創世などの施策で忘れられがちなのが「そこは競争が激しい環境である」と認識すること(意図してかどうかは存じませんが)。

地方といっても市町村数では1718、都道府県単位や他のレイヤーも含めると、ざっくり2000ほどにはなるでしょう。

まずはこの環境をしっかりと認識することから始まります。

■地方の人材はどこへゆく?

半年ほど前に、話題になったこちらの件を覚えておられますでしょうか。

高3生に自衛隊の募集案内が、個人宛に続々と届く

http://matome.naver.jp/odai/2140429499827623501

「召集令状っぽいのがきた」 ネットで「徴兵制」への不安

http://dot.asahi.com/news/politics/2014071500108.html

自衛隊が隊員募集のプロモーションを強化している例です。

自衛隊の駐屯地が近い地方では、自衛隊の親を持つ人は珍しくなく、学校でよく書かされる「将来の夢」にも登場しやすい職業のひとつ。日常風景として、通学路を自衛隊のトラックが横切ったりと、自然接触が多い情報となっています。

また、最近では消防の求人広告が、高校生・大学生層のファッション誌にドドーンと掲載されているのをちらほらと見かけたり、国交省が建設人材の獲得のために学校へのリクルーティングが進められそうとのことで、公または公との距離が違い産業では、プロモーションに多大な予算をつぎこんでいます。

さらに、中学校は最強の社会装置であるように、人口が1万人を切るような町では、学区的に中学校はひとつのみで、そこは1学年全員の横のつながりができることから、彼らの親の仕事情報が自然と耳に入る環境でもあります。

このように、地方においては将来の進路の選択肢は少ないが、自然接触量の多い職の吸引力はとても強いものです。本人によっぽどの強い意志が無い限りは、なんとなくで周囲に合わせて流れていくものですので、地方の人材がこれらの職種に流れていきやすい構造になっています。

■組織をとるか、個をとるかのジレンマ

先ほどは組織としての利益追求のための人材獲得の話でしたが、個々人としても利益最大化を目指すものです。

地方においては「個人の利益最大化」と比べて「ある特定組織の引力」が強すぎると感じるため、ここの「パワーバランスを整えることも考える必要があるのではないでしょうか。

とはいえ、まちづくりの観点で考えれば、小規模市町村の運営(自治)ができる人的資本の確保、また人材育成環境の整備か必要。二転三転していますが、要は、常に個と様々な組織の成長のジレンマが潜んでいます。

■介入せよ、情報格差是正のために

これから必要なのはパワーバランスを整える情報生態系の再構築ではないでしょうか。良い意味で、情報流通をハックしよう、というのが私の提案です。

競争が激しく、勝者が固定化されている環境にハックして、情報と時代にあった新しい価値判断の基準となる「ものさし」を輸入していくのです。

情報の届け方を考えてみましょう。

まず極端に発想の幅を広げるならば、最も到達効果が高い小規模市町村最強のプッシュメディアは、役場庁舎にある災害サイレンです。しかし、日常的に運用できるわけがありません。

前回のブログのとおり、テレビ、新聞、雑誌、ラジオなどの商業ルートでの情報流通は経済合理性の理由で困難です。規模的にもフリーペーパーやローカルラジオ、ケーブルテレビは採算的に困難でしょう。

となれば、非商業ルートでしょうか。お隣のモバイル大国こと韓国では、情報格差の是正を目指す韓国の国家事業「情報化村」という事例がありました。

これと近しい施策を自治体単位でやるとして、人口数十万人クラスであれば予算をかけられるかもしれませんが、人口が1万人を切るような小さな町にはそのようなシステムを構築する予算は割けないでしょう。

■情報に矢印を

ですので、実現可能性を考慮すると、届け先はこれからの小規模市町村を担う10代~40代ほどの若い層であることからも、ネットが適しているのではないのでしょうか。

運用について詳しく書けばキリがないので省略しますが、「手を伸ばしたら届く位置にあること」、「手を伸ばすことができない人にはプッシュ営業の姿勢で届けること」が重要になるかと思います。

前者は静的に用意すればいいのですが、後者は情報に「矢印」が必要です。そのためには、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのソーシャルメディア活用がいいのではないでしょうか。

はじめはサイトはなくてもいいと思います。スモールスタートで。あとは小さな自治体ではわりと自治体発行の広報誌の精読率は高いので、既存の広報誌とミックスしたりするのも良いかと思います。

■「矢印」の根元は誰が引き受けるか

ネットの情報というのは、勝手にあがっているわけではなく、誰かがネットにあげた情報。ネットの情報とは、誰かの足跡であり、誰かの爪痕。

ここも誰かがやってくれる、と待っているだけでは解決できないでしょう。田舎はただでさえ人的資本が少ないに加え、何か企てをしたい人はたいてい都市圏に仕掛けるものですから。

ということで、持続可能な運用を考えれば、その町の出身者が取り組むのが一番いい方法なのだと思います。「利」と「徳」のバランスは大事という前提の話ですが、大義名分をうまくデザインして、実績づくりの場などとしても活用してもらえばいいのではないのでしょうか。

■鮮度が大切

また、発信者は「新しい人」「新鮮な人」が主体となって取り組むのがよいでしょう。

理由1:人間には好き嫌いや合う合わないの問題があったり、その地域で長年かけてつくられたソーシャルグラフや、人間に対する認識のフィルターはガッチリとできあがっているため、「慣れた人」により発信された情報では、フィルターによって歪んで捉えたり、聞く耳をもたぬ人が現れてしまうからです。

せっかくの情報でもスルーされてしまったり、意図しない解釈をされてしまっては意味がありません。受け手の情報リテラシーや、情報接触後の態度変容の可能性などもあわせて考える必要がありますし、情報への接触態度が「興味がまったく持てない科目の学校の教科書」と同じようになってしまってはすべてが水の泡ですので。

理由2:さらには、なぜ新しいひとが必要かというと、小規模市町村では人材の流動性は限りなくゼロだからです。そのため、前述の人間関係の問題も絡みますが、情報流通のハブの役割を果たせたり、「あのひとの頼みなら...」などの理由で引き受けてもらうためも必要です。

また、従来では過度な平等意識や閉塞的な空気ゆえに発信できなかった情報でも「そこが発信するなら許容できる」などの結界の役割も果たすでしょう。

■メディアは熱量

ここが言いたいだけなのかもしれませんが、「ほっといても誰かがアクションを起こすような町ではない」こともあります。「札幌を元気に!」「北海道を元気に!」「日本を元気に!」という声は挙がりやすいものの、そうでない町はたくさんありますよね。

誰もやっていなくても、やってみるといいです。はじめはひとりだけかもしれないですが、メディアはコンテンツを通じてコミュニティを生み、そしてコミュニティ内でコミュニケーションが生まれ、それがメディアを大きくする力になりますから。

■解消はできないけど、マシにはできる

そもそも現代のシステムに乗っかっている以上は、勝とうとする者(より多くの利益を求める者)がより多くの情報を集めようと働くからこそ、そこに情報の格差は生まれる。各人にメディアリテラシーの差もあって当然でしょう。

だから、情報格差の解消なんてことは絶対にありえない。人口やハイテク産業や集積している都市部に良質な情報が集まるのは当たり前。これは田舎を否定しているわけでもなんでもなく、ただただそうなっているだけです。

しかしながら、まちづくりのゲームに不利な情報流通構造によって、生まれ育った町が縮こまっていくのは、とても悲しいものです。

地元から出ている方なら共感できるかもしれませんが、誰しもの地元には親や友人、また友人の親などが暮らしており、そこの生活が縮こまっていく様子が生々しくイメージできるため、見て見ぬ振りはできぬ、そう感じるのでしょうか。

■運命は必然という偶然でできてる

企業活動と同じように、「ここはふんばりどころだぜ」というときには、労働力はいつも以上に必要とされます。いつものペースのままではやがて転んで、立ち上がれないほどのケガをしてしまうかもしれません。

そこで、小さな小さな町においては、その地で育った者たちで手を差しのべてみたらいかがでしょうか。もう何年も地元と関わっていない...なんて方も、思いきって飛び込んでみてはいかがでしょうか。

情報格差の現状を少しでもマシするためには、情報接触ポイントを人力でつくるしかない。それがYUKIさんの『JOY』の詞の「運命は必然という偶然でできてる」の私の解釈です。

地方を襲う情報格差というモンスターを倒すのに必要なのは、天空の剣でもなければアルテマウェポンでもない。同郷の後輩へ知恵を継承する「おせっかい」なのだと思います。

安心な僕らは地方の情報流通構造をハックしようぜ。誰もが住みたい町に住み続けられて、人生を思い切り泣いたり笑ったりできるようにしようぜ。