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公害対策に取り組んだ宇部市で/「環境首都創造フォーラム」を開催

2017年05月12日 17時04分 JST

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を発信しています。5月号の「時評」では、先駆的な公害対策を進めた山口県宇部市で開かれた「環境首都創造フォーラム」(※)について、松下和夫・京都大学名誉教授が報告しています。

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今年の1月に山口県の宇部市を初めて訪れる機会があった。熊本県水俣市長、長野県飯田市長、岐阜県多治見市長、愛知県新城市長、同安城市長、奈良県斑鳩町長、鳥取県北栄町長、北海道ニセコ町長など環境問題に熱心な自治体の首長やNGOのメンバー、そして研究者などが毎年集う「環境首都創造フォーラム」が開催されたからだ。

大会は久保田后子宇部市長の進行のもと、「創エネ・省エネを活かしたまち・ひと・しごとづくり〜パリ協定の実現に向けて〜」を全体テーマに、①まちとしての創エネ・省エネのしくみ・しごと・地域内資金循環、②自らが関わる・創る「公共」交通、③住宅とエネルギー・健康・環境、自治体PPS(新電力会社)・地域公社・住民・まちづくり、の三つのテーマを巡り、各地域での具体的な実践を踏まえた議論が展開された。そして、「気候変動を軽減する政策と活動により、地域に新しい需要、雇用、イノベーションを生み出し、投資と地域内資金循環を創出する。地域の力を向上するため、持続可能で豊かな社会の基盤となる人材の養成を、さらに進めよう。」などの内容を含む「共同行動宣言」を採択した。

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●ときわ公園のときわ湖水ホール(写真右)=筆者撮影

宇部市は、深刻な大気汚染に市を挙げて取り組んで成果を上げた歴史を持つ。今では「緑と花と彫刻のまち」として知られるが、かつては炭鉱の町として栄え、戦後にはセメント工業が盛んな工業都市として発展した。ところが大量に使用された低品位の石炭の燃焼によって大気汚染が著しくなり、1951年には降下ばいじんが最悪で、「世界一灰の降る街」と報じられるほど大気汚染が深刻になった。そこで導入されたのが、市民の生活と健康を守るため、産・官・学・民が一体となった「宇部方式」と呼ばれる独自の公害対策である。

宇部市では実に1949年から大気汚染の常時測定と疫学調査を開始し、51年には条例に基づく委員会を設け、行政(市)、企業、学識者、市民が一体となり、科学的データに基づき排出源対策、情報の公開、緑化プロジェクト、工場による自発的対策などを進めた。これが宇部方式と呼ばれるものである。

この方式が成果を収め、60年代の日本の高度経済成長期においても、宇部市は他の都市のような激甚な公害にみまわれることなく発展を遂げた。さらに「緑化運動」、「花いっぱい運動」、「宇部を彫刻で飾る運動」などの市民運動が展開され、今では街路樹は10万本を超えるまでに増え、野外彫刻が宇部市の自然とまちに溶け込んでいる。

「環境首都創造フォーラム」は、緑と水と彫刻に彩られたときわ公園のときわ湖水ホールで開催された。宇部市が公害対策の貴重な経験を活かして、脱炭素で持続可能な社会を作るという新たな課題に地域から果敢に挑戦することは、歴史の教訓を踏まえながら時代を先取りしていくことになると思われる。

※「環境首都創造フォーラム」については、環境首都創造NGO全国ネットワークのHPを参照のこと。