『知らない』は社会の責任だ -保毛尾田保毛男 の一件に関して-

この想いを広めることに、みんなが少しずつ力を貸してもらえたら嬉しいです。
杉山文野

「ごめんね、知らなかったのよ」

30歳の時、母から言われた。

清く、正しくを絵に書いたような母は、セクシュアル・マイノリティの存在を長年「いけないこと」と思っていた。

14歳の冬、そんな母に意を決してカミングアウトしたら

「頭がおかしいから病院に行きなさい。」

母は目も合わせてくれなかった。

僕には絶望しかなかった。

でも、そんな母も知ることによって変わってくれた。

知ることで、人も社会も変わる。

9月28日の番組をみて、僕は世の中の人にもっと知って欲しいと思い、久々にブログを書くことにした。

フジテレビに対しては9月29日付で有志の個人・団体と共に抗議の文書を提出した。(文書はこちらからご覧ください http://sogihara.com/ )

宮内社長が素早く対応してくださったことに安心を覚えた。

以前から、フジテレビの中でもセクシュアル・マイノリティに理解があり、応援してくれている方が沢山いる。抗議の文書は決してフジテレビを糾弾しようというものではない。

番組制作に携わった人や世間のみんなに正しい情報を知ってもらう、とても大事なきっかけになるのではないかと思ったからだ。

「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」の番組内コーナーで、石橋貴明氏が「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターで登場、他の出演者とともに、「ホモ」という単語を繰り返し、番組全体として男性同性愛者を嘲笑の対象とする表現がされた。

その番組をみて、笑う人の気持は僕にもわかる気がする。

僕らがどんな気持であったか、理解しようと努力をしてもらうことを願うことは許されるだろうか。

昔、家のコタツで両親と一緒にテレビを見ていて「保毛尾田保毛男」が登場して

「いやぁねぇ、こうゆう人」

と言うひと言を聞いた時、僕はその場に普通の顔をして居続けることができなかった。胸が潰れるほど苦しくなった。

そして、次の日、学校でみんながそのホモキャラをマネし「キモい!キモい!」とふざけ合っているのを見て、いじめられたらどうしよう、居場所がなくなっちゃったらどうしようと想像して、学校に行くのが怖くなった。でも、休んだら休んだで、その原因を追求されてバレるのも怖い。学校へ行き、むしろ一緒になってマネをしてみんなの笑いをとっていた。

僕は「人権を意識してエンタメを作るべきだ」と主張するつもりはない。

しかし、「悪気のない」笑いの裏でどれだけ多くの人が傷つき、時には自殺にまで追い込まれているという現実を知ってほしい。

笑いを生み出す想像力を、ほんのすこし、僕らのところまで広げてもらえたら、どれだけ多くの人が救われるだろう。

幸い僕は生き残れた。

今の僕は、トランスジェンダーである自分のセクシュアリティをオープンにし、家族や仲間に囲まれて、その当時からは想像もつかないほど毎日を自分らしく楽しく生きている。

その一方で、未だに誰にも言えなくて苦しいというメッセージ、特に子どもたちからの切実な悩み相談は多い。

「いやいや、まさかうちの子に限ってそんなことがあるはずはない!」

と思うかもしれないが、僕の親も思っていた。「まさかうちの子に限って」と。

当事者が最もカミングアウトできないのは親と職場、何故なら自分の居場所がなくなってしまっては困る、一番大切な場所だからだ。

「親だけには言えない」

「職場だけには言えない」

これがまだまだ当事者の現実である。

社会はちょっとずつ変わってきた。でも、この悲しい苦しみを減らすには、もっと変わる必要があるし、今は変われるいい時期なのではないか。

冒頭の「ごめんね、知らなかったのよ」という母の言葉には続きがある。

「でもあなたのおかげで、この年になって視野が広がったわ。ありがとう。」

番組制作に関わる方たちは、すばらしい想像力をもっている。社会で話題になるもの、真似をしたくなるものをこれだけたくさん作れるのだから。

今までは「知らなかった」のだと思う。僕の身の周りですら知らない人はまだたくさんいる。でもその「知らない」は個人の責任ではなく、社会の責任だ。

僕の母も僕以上に苦しんでいたかもしれない。セクシュアル・マイノリティに関する正確な情報を知る機会はどこにもなかった。最初のカミングアウトから母が僕を受け入れてくれるまでには長い時間がかかった。

何の情報もない母は「私がボーイッシュに育てたせいで、文野がこんなになってしまった」と、僕と同じように自分を責め続けていた。情報がないことは当事者だけでなく、その周りの人も苦しめる。

僕たちは活動を行うことで正確なセクシュアル・マイノリティに関する情報に誰もがたどり着けるように社会を変えたい。そしてこんな活動をしなくても誰もが安心して暮らせる「居場所」を社会につくりたい。

そのために、もう少し、僕らの気持ちを知ってはもらえないだろうか。

この想いを広めることに、みんなが少しずつ力を貸してもらえたら嬉しいです。

(2017年9月29日noteより転載)