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天皇の生前退位と首相公選制

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今上陛下は去る8月8日に「生前退位」を強く示唆するご意思を表明された。それに対して、政府は皇室典範を改正しないで、今上陛下に限って生前退位を可能とする特別措置法の整備を検討している。

生前退位への反対意見


しかし、明治以来確立された終身在位制にこだわる識者からは、生前退位が結果的に天皇制の破壊を招来するとして、反対意見が相次いでいる。こうした反対論者は概ね1984年4月の国会における山本悟・宮内庁次長(当時)の答弁を踏襲していると言ってよいだろう。

山本次長は当時、天皇の生前退位を否定する理由として次の三点を挙げている。①「歴史上見られたような上皇とか法皇とかいったような存在がでて」くる。②「必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る」。③「天皇が恣意的に退位をすることができるということになる」。さらに反対論者の一人は③を踏まえて、④「天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる」ことを理由に挙げている(『朝日新聞(朝刊)』2016年9月10日付け)。

筆者は②は論外であるとしても、①③④を理由に天皇の生前退位に反対することに対して、疑問を抱かざるを得ない。生前退位を望まれるという今上陛下の断固たるご意思を、無下に否定してまで守らなければなければならない天皇制とはそもそも一体何なのか?そもそも天皇制を守るということは、今上陛下のそうした断固たるご意思を尊重することから始めるべきではないのか?筆者を含めて、今上陛下を敬愛する一般国民は、当然のことながら以上のような疑問を抱くのではないだろうか。

島田裕巳氏の意見


では、①③④を前提とした上で、天皇制を守るにはどのような方策が考えられるだろうか。ここで島田裕巳氏の近著に注目してみることにしよう。島田氏は万が一将来、悠仁様に男の子のお子様がお生まれにならなかった場合のことを念頭に置いて、次のように述べている。「もしも皇位継承資格者がいないという事態が起これば、(中略)超法規的措置をとらない限り、内閣総理大臣も任命できなければ、国会も開けないという事態が訪れるのだ」。島田氏はこうした事態を避けるために、象徴天皇制に近い大統領制を導入し、天皇の国事行為の大半を大統領に移管すべきであると主張している。

さらに島田氏は、生前退位の問題も含めて、皇位を「どう継承するかを、天皇家の主体的な判断で決定できるように」すれば、「皇位継承を容易にする可能性がある」として、「天皇の地位その他を憲法によっては規定しない」ことを主張している(『天皇と憲法』)。

島田氏の提言はラディカルではあるが、①③④を実現することが可能な合理的な解決方法だと言えるだろう。しかし天皇の地位が憲法によってではなく、特別立法や伝統・慣習によって規定されるに過ぎないということは、法的には事実上天皇制の廃止と共和制への移行を意味していると捉える向きも出てくるにちがいない。そのために反対運動の激化を招くと予想されることから、実現の見込みは薄いと言わざるを得ないだろう。

天皇と将軍の関係


ここで、①③④を前提とする天皇制のあり方を検討するために、旧皇室典範制定以前の歴史を顧みることにしよう。特に江戸時代における天皇と将軍の関係について、新井白石の論に基づいて見ていくことにする。白石は、閑院宮家を創立したことからも明らかなように、もとより尊王家であり、天皇と将軍との間に君臣関係を認めていた。

しかしその一方で、白石は北朝成立以来、徳川家を含む代々の武家の将軍が天皇の庇護者としての役割を果たしてきたとも指摘している。さらに「わが神祖(家康)は天から勇気と知恵を授かり、天下を統一なされたが、これは御先祖代々が徳を積まれたためであり...」(新井白石著・桑原武夫現代語訳『折りたく柴の記』)と述べているように、将軍の権力の正統性を天皇に求めないで、儒教に則って天と徳に求めようとしていた(藤田覚『近世天皇論』)。

要するに白石は、片や神国思想、片や儒教といったように正統性の原理を異にする天皇と将軍という二人の支配者が、相互に依存しながら並び立つ状況を認めていたのである。もっとも周知のように、江戸時代を通して、天皇は将軍の陰に隠れがちであった。しかし幕末における「日本国」と「日本国民統合」の危機に際して、それらの象徴とも言うべき天皇が存在感を高めるようになり、やがて将軍をも凌駕するようになる。

首相公選制


さて、こうした江戸時代における天皇と将軍の関係性を現代に再現しようとすると、どのような制度設計が必要になるだろうか。筆者は、小泉首相時代に設置された「首相公選制を考える懇談会」の「報告書」における「Ⅰ案」、すなわち「国民が首相指名選挙を直接行う案」がそうした制度設計の叩き台になると考える。「報告書」は、首相は国民が直接選挙によって指名し、天皇が任命すると明記しつつも、いみじくも「首相がいわば大統領的地位を兼ね備える」と指摘している。事実上、伝統的正統性に基づく天皇と民主的正統性に基づく公選首相が、ともに元首的な存在として並び立つ状況が是認されていると言ってよいだろう。

一般的に首相公選制の目的は、首相の民主的正統性を確固たるものにし、首相の強力な指導を実現することにあると理解されてきた。一方、池田実氏は、首相公選制の目的が「国政に反映される多様な意見を一つの国家(国民)意思にまとめあげること、すなわち、民意の『統合』にある」と指摘している(「首相公選制導入の憲法改正試案」)。そして「天皇の統合機能」と「公選首相の統合機能」には「それぞれに異なる持ち味と限界がある」とした上で、「両者を組み合わせることで相補い、それによってはじめて『国民統合の実』をあげることができる」と主張している(「首相公選論二〇〇Ⅹに向けての予備的考察」)。

筆者は池田氏の上記の見解を踏まえた上で、さらに平時か非常時かに応じて、「天皇の統合機能」と「公選首相の統合機能」の組み合わせの比重を変えていくべきだと考える。平時においては、徳川将軍がかつてそうであったように、公選首相が前面に立って、主として統合機能を発揮すべきではないだろうか。無論のことながら、それを具体化するに当たっては、検討の余地が大いにあるだろう。

場合によっては、宮中祭祀を除いて、天皇の首相任命以外の国事行為と公的行為の大半を、公選首相とその代理が担うということもあり得るだろう。そのようになれば、天皇の公務のご負担は格段に減ることになる。また万が一、将来的に天皇が一時的に国民の崇敬を集めることが困難な事態に陥ったとしても、動揺を最小限に抑えることができるだろう。なおそうした困難な事態としては、上皇と天皇が並び立つこと以外にも、女性天皇が登場したり、女系による皇位の継承がなされたり、天皇家の養子となった旧宮家の男性が即位したりすることなどが想定される。

ただし日本国と日本国民統合の危機といった非常時には、幕末期の天皇がそうであったように、天皇が憲法の枠内でという条件付きながらも、前面に出て、十全に統合機能を発揮されることが望ましいだろう。