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もし「第三のブログ」があるとしたら

2013年12月30日 00時32分 JST | 更新 2014年02月28日 19時12分 JST

2013年の秋から12月にかけて、はてなブロゴスフィア、特にはてなブログ周辺では「サードブロガー」という新語を巡って様々な言葉が飛び交っていた。あまり巻き込まれたくない話題だったので静観していたけれど、そろそろ話題として落ち着いたようにみえるので、自分の所感をまとめる。

 

「サードブロガーより第三のブログっぽいブログ」とは

私の「サードブロガー」という新語に対する印象は、こちらとそれほど違わない気がする。ただ、全くイコールというわけでもなさそうなので私見を書くと、

 

 

1.PVや影響力を第一とするアルファブロガー的価値体系とは無縁で

 

2.数多のブログサービスで無数に綴られる日記的ブログや、お隣さん同士で「拍手」をつけあい「あしあと」を気にしあうような、プライベート的ブログとも違う

 

 

そうしたものを持ち合わせてはじめて「第三のブログ」たり得るとのではないかと思っていた。

 

ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。

 

じゃあ、どういうブログなら「第三のブログ」たり得るのか?

 

私の回答はシンプルだ。さきに挙げた1.2.どちらもほとんど意識しておらず、にも関わらずアーカイブとディスカッションを蓄積し続けるブログで、それでいて、ブロゴスフィアの一定領域の雰囲気をつくりあげ、PVや影響力では買えない何かを提供し続け、影響しあっているブログだ。そういうブログのほうが、よほど第三のブログと呼べるのではないか。

 

それらは「知っている人は知っているけれど、知らない人は知らない」ようなブログかもしれない。だが、山の天気のようなインターネットのフローに流されることなく、知的な、情緒的な、政治的な article を一定頻度で提供し続けるブログは確かに存在する。

 

参考までに、私個人が「第三のブログ」として真っ先に連想したブログを幾つか挙げてみる。これらのなかには、もう記事の更新が途絶えてしまったものも含まれている。また、私自身の趣味が反映されたリストアップになっているかもしれないが、私が「第三のブログ」という言葉に込めたくなるイメージは伝わるかと思う。

 

・NATROMの日記

・新小児科医のつぶやき

・finalventの日記

・shorebird 進化心理学中心の書評など

・火薬と鋼

・山形浩生の「経済のトリセツ」

 

これらのブログは、PV崇拝主義とも「あしあと」的な狭さとも、ほぼ無関係に、ブログを読んで読者があれこれ考える材料を提供し続けている。はてなブロゴスフィアに、こうしたブログが多数存在することを嬉しく思う。

 

また、メディアに親和的な背景を持っている人のアカウントながら、第三のブログに近そうなブログ記事を書いている(書いていた)ブログとしては、

 

・orangestarの日記

・さて次の企画は

・ぼうずコンニャクの寿司図鑑

・Ohnoblog2

 

などを挙げたい。これらのブログは職業的に1.との親和性を一定レベルで持ち合わせているので、純粋に第三のブログとは言えないかもしれない。しかし、これらのブログもまた、日照時間に関係なく咲き続ける野草の花のようなところがある(あった)と思う。

 

もちろん、第三のブログ的なものは専門性に偏ったブログだけでなく、

 

・平和の温故知新@はてな

・物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

・偏読日記@はてな

 

のようなサブカルチャー領域で頑張っている多くのブログも含むし、

 

・Marginal Soldier

・飲めヨーグルト

・デス日本研究者の不倶戴天blog

・24時間残念営業

 

独自の世界観や問題提起を追及してやまないブログも含む。

 

これらのブログで扱われる議論や考察の妥当性は、まあ様々だろう。だが、私が第三のブログとして挙げたいブログには皆、「観られたい」「有名になりたい」という欲求や「拍手」「あしあと」だけでは説明のつかない動機が、少なくとも30%、たいてい50%以上含まれている。そしてインターネットの潮の流れや時事の話題に対してブレにくい。周囲に考察の材料を提供しつつ、なにやら、自分自身に語りかけているようなふしも見受けられる。

 

伝聞によれば、2006年以前のはてなダイアリーには、こうした第三のブログに該当しそうなブログがもっとあったらしい。私も大昔のことはよく知らないが、それでも2007年あたりまでは、そうした雰囲気ははてなブロゴスフィアにあったと思う。当時の私は、それが「ブログの当たり前」だと思っていたから、第三のブログなどという語彙を連想することは無かった。

 

ところが、有名人がアメブロで天文学的PVを叩き出すようになり、2chまとめサイト系の栄枯盛衰があり、「ブログを書くことはともかく」「ブログを読むこと」は一般化し......そうしたなかで、私が馴染んでいたブロゴスフィアが少数派だったらしいと気付くようになってきた。そもそも、はてなブロゴスフィアにも、そのようなPVを重視したブログが殖えてきてもいた。

 

だから私は、こうした旧はてなダイアリー的なブログをもって、第三のブログと呼びたくなる。インターネットが日向化し、マーケティングによって舗装されていくなか、こうした野花のようなブログは貴重だと思う。PVや馴れ合いや数の論理とは比較的無関係に言葉を紡いでくれる、第三のオピニオンとは、まさにこうしたブログではないか。そして、これらのブログ抜きの、PVや馴れ合いや数の論理だけでブログ大戦略が進行していくブロゴスフィアに比べれば、これらのブログを含んだブロゴスフィアのほうが、多様性を孕み、ユーザーが自分の頭で考え判断する雰囲気を醸成しやすいのではないかと思う。

 

強調したいことなので二度書く。そのような第三のブログに該当するようなブログを、はてなブロゴスフィアが多く擁していることを、私は嬉しく思う。

 

 

はてなブロゴスフィア自体が、第三のブロゴスフィアじゃないか

もっと言うなら、(株)はてなが提供する一連のサービス――はてなブックマーク、はてなダイアリー、はてなRSS、はてなスター等――によって構成される、この はてなブロゴスフィア自体が、日本語インターネット圏のなかで第三のブロゴスフィア的に位置づけられるものではないか、とも思うのだ。

 

ときに、はてなブロゴスフィアは「駄目なインテリの集まり」「ミサワの巣窟」と揶揄される。そうかもしれない。それでも、はてなブックマークには思想信条の様々なブックマーカー、最も短絡的なブックマーカーから最も思慮深いブックマーカーまで、多様性のあるコメントが一覧できるようになっている。そしてはてなブックマークを介してはてなユーザー同士・ブロガー同士が顔見知り的な環境をつくりあげ、個々の意見の相違はあれど、一定の共存環境をキープしている。最近あまり目立たなくなったが、はてなグループも頑張っていた。どれも、札束で買えるようなものじゃない。

 

もちろん、個々のブックマーカーやブロガーの判断やコメントの是非はさまざまだろうし、(株)はてなには、はてなブックマークのスパムや犯罪的書き込みを厳に取り締まって頂きたいとは思う。それはそれとして、個々のブックマーカーやブログ記事の是非は読者自身が自分の頭で考えて判定すれば良いし、また、そのような自己判断を促すようなオープンな雰囲気が はてなブロゴスフィアにはまだ残っていると思う。たとえ、ブックマーカー同士の間に党派性のようなものをときに認めるとしても、である。

 

「サードブロガー」なんてわざわざ言わなくても、野に咲くブログはまだまだたくさんある。それらの野花は、市場に並ぶ花よりもずっと自然に、あるがままに、表現したいように、咲いている。昔はそういうブログやウェブサイトのほうが目立ったけれども、時代が変わり、インターネットが変わり、そういう古風なウェブの営みこそが第三の極っぽく見えるようになった。幸い、そういうブログの世界がまだ残っていて、そうした精神と呼応するようなブロガーやブックマーカーが はてなブロゴスフィアにはまだ残っている。そういうものを、もっと愛してもいいんじゃなかろうか。

(※この記事は、2013年12月27日の「シロクマの屑籠」より転載しました)