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社会は自由になったが、結婚や子育てを考える時間的猶予は短くなった

2015年08月13日 00時17分 JST | 更新 2015年08月13日 00時17分 JST

「何があれば、産めるの?」 - アラサーOLクソ日誌。

 

リンク先は、女性特有の問題や家庭状況の問題などなど、たくさんの着眼点が散りばめられているので、全体について安易なことを言いにくそうな文章だ。

 

それはそうとして、こういう時に私がいつも気にしているのはエイジングの問題だ。

 

個人主義社会が浸透したことにより、イデオロギー上、人間は自由に歳を取れるようになった。が、主に生物学的条件によってエイジングには依然として制約がある。だから「自由に歳を取ったって構わない」「人生の決定を延長したって構わない」的にモラトリアムを延ばし続けていると、ある日、生物学的な意味で(ときには社会的な意味でも)エイジングの選択最適期間を逃していたと気づいて愕然とする――そういう事が往々にして起こるようにもなった。

 

そういう発想のもと、リンク先の文章を読み直すと、現代の二十代後半の男女――特に都市部で生活する男女――にはありそうな迷いが目に浮かぶようで、過去の自分をダブらせたくなるところもある。

お前は結局どうしたいんだと問われ、答えた。

「一生欲しくないと決まっているわけじゃないけど、欲しい・産みたいと言い切れない」

すると彼はこう続けた。

「それはいつ決まるの?何があったら決められるの?」

「・・・わからない。」

二十代後半で「子どもをつくる人生を選ぶ」か「子どもをつくらない人生を選ぶ」かを決めよと迫られ、躊躇する人はそんなに珍しくないと思う。「子どもをつくる」を「この女性と結婚する」に変換すれば、少なからぬ男性にも当てはまるだろうし。

 

にも関わらず、自分自身の生物学的な砂時計は容赦なく進んでいく。二十代後半というと若いように聞こえるが、もうすぐ三十歳なのである。昨今、「三十五歳以降の卵子のコンディション」や「高齢出産」が盛んに語られるけれども、実のところ、歳を取れば精子だってコンディションが悪くなるし、年齢が上がってしまってからの子育ては体力的にもキツいので男性だって他人事じゃない。平均寿命の延びに騙されてはいけない。伸びたのは「余生」であって「若さ」ではないのだから。

 

どれだけ社会が自由になろうとも、人間が年老いていく運命は変わらない。

生物学的制約を無視したライフコースの問題

私は、リンク先の筆者のような悩みに接するたび、「なんて時間的猶予が少ないんだ!」と思うし、そのような時間的猶予の少なさを糊塗し、いつまでも若作りできるかのように装う社会的風潮は(ある面において)残酷だと思う。

 

しかし、「時間がないぞ!」と"啓蒙"すればそれでOKかというと、どうかと思う。そもそも、今日の社会でテンプレートとみなされがちなライフコースデザインは、この件に関して、あまりにも選択のための時間的猶予が乏しい。

 

ホワイトカラー的なライフコースについて考えてみよう。

 

中学高校と勉強して大学に進学し、どうにか就職して22歳。22歳までの人生は進学や就職や遊びのために大忙しだし、実際、高いスキルを身に付けるためにはそれぐらいの準備期間は必要だ。一層高度なスキルを身に付けるためには、くわえて数年の歳月を費やすことになる。

 

その間、結婚や子育ての選択について考える暇はあまりない。学生結婚もなくはないがメジャーではない。人生を生き抜くための試行錯誤は、専ら22歳以降に行われる。

 

それからたったの数年で、「この人と結婚しよう」「この人生に決め撃ちしよう」といった、向こう数十年を左右しかねない決定をするのは、なかなかに酷な話である*1。

 

これが、生まれや身分で人生が早々に決まっていた時代なら、結婚についての決定に選択肢が乏しかったから迷う余地すらなかったろうし、中卒や高卒で早々に就職するなら試行錯誤の時間は早くから始まる。就職後、十年結婚しなくったってまだ二十代なのだ。ところが就学期間が伸びに伸びた社会では、生物学的な時間的猶予が少なくなった時点から結婚や子育てにまつわる思索や試行錯誤が始まるため、十年かそこらで結婚や子育てについてデシジョンを下さなければならなくなってしまう。

 

イデオロギーの面では私達はいくらでも結婚や子育てを延期できるようになった。けれども生物学的な時間的猶予を考えに入れるなら、実質的には、私達は結婚や子育てについて短い時間で決断しなければならなくなってしまった。

 

だから、冒頭リンク先の女性のような悩みの背景には、生物学的条件を無視した現代人の*2ライフコースの問題があると思う。就職してからわずか数年程度で決断せよと言われても、おいそれと出来るものではない。ましてや、今日の社会は身分制の社会ではなく自由な個人主義社会なのだから――少なくとも都市部に住み大学を目指すような人達にとってはそうだろう――。

 

こうした高学歴・上昇志向的なライフコースは、かつては一部の人間だけが選ぶものだったので、生物学的な時間的猶予を意識しなければならない人は少数だった。しかし社会全体が高学歴化し、多くの人が大学や大学院まで進学するようになれば話は変わってくる。多くの人が就職してから十年かそこらで、社会的自由と生物学的加齢のジレンマに直面し、悩むことになる。

 

高学歴を前提としたライフコースは、エイジングについて悩む人が少数だった頃につくられ、先導されてきたものだったわけで、こうした問題に対する処方箋がセットで用意されていたわけではない。まあ、今更これを変えるなんて不可能事のように思えるが、この時間的猶予の乏しさは、ミクロの個人には焦りを・マクロな社会には少子化を促進する影響を与えてやまないものだろうなと思う。手放しで賞賛できるようなものではない。

 

高学歴志向や上昇志向に身を任せ、個人主義的で自由なイデオロギーに浴すること自体は素敵なことだ。しかし、就学年齢の長期化と生物学的制約との板挟みになったかたちで、現代人が結婚や子育てについて決断をくだすための時間的猶予が短くなっている点は、もっともっと認知されて然るべきだと思う。いや、20年ほど前に比べれば、こうした問題意識はだいぶ浸透しているのだろうけど......。

*1:ついでに言うと中学高校の進路決定の時間的猶予もたいがいだが、本題ではないので於いておく。

*2:特に高学歴志向・上昇志向な現代人の

(2015年8月12日「シロクマの屑籠」より転載)