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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (4)

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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第4弾は、茶木久実子(ちゃき くみこ)さんのお話をお届けします。好きな学問を追求した結果、国連の職員となり、人事の仕事でフィールドに出向いて、国連の仕事でのやりがいを強く感じたそうです。ベテランの人事担当者として「様々な経験をし、自信をつけて、日本を客観的に見ることができる視点を身に付けてください」と日本の若者に向けてエールを送ります。

第4回 国連事務局Umojaプロジェクト人事管理部門チームリーダー:茶木久実子さん

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【1979年国際基督教大学卒。同大学で国際法の修士号、アメリカン大学で法学修士号、そして国際基督教大学に戻り国際法の博士号を取得。1988-96年ニューヨークの国連本部人事部に勤務。1997年から2年間ジャマイカの国際海底機構に勤める。その後国連本部人事部に戻り、2006年から人事部(給与トラベル業務を含む)を代表して"Umoja"(国連の新しい統合業務システム)の開発に尽力】


誰かのために働くことの喜び

― これまでの仕事の中で、今だから話せるエピソードはありますか?

今だから話せるということではありませんが、あまり人に話さなかったエピソードをお話ししたいと思います。

2003年8月、バグダッドの国連オフィスに爆発物を積んだトラックが突入しました。その中には重傷を負ってアメリカ軍の病院に搬送された7人の職員がいました。私は当時平和維持活動の人事を担当しており、その7人を支援するニューヨーク本部のフォーカルポイントになりました。

負傷者の中の一人はソマリア人の現地職員でしたが、その後、後遺症のために国連で働き続けることができなくなり傷病年金を得て退職を余儀なくされました。通常は職務遂行中の事故によって退職した職員は母国なり所属オフィスが面倒をみるものですが、当時彼の母国は無政府状態で保護を期待することはできませんでした。

そこで、私は、私が国連にいる限り、彼の支援を続ける決心をしました。彼の支援には年金の受け取りの手助け、後遺症の治療のため国外渡航、費用の請求などがありました。更に、年金の継続受け取りのために、生存証明として郵便で毎年年金本部に書類を提出する義務があります。しかし、政府もなく郵便制度も存在しないソマリアで「書類を郵送する」というのは不可能です。そこで、私はソマリアにあるUNHCRの事務所と連絡を取り、国連の外交行嚢を利用して彼が書類を提出できるように計らいました。

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2003年8月バグダッド国連本部オフィスへの自爆テロで、セルジオ・デメロ事務総長イラク特別代表ら22人が亡くなった UN Photo

また、後遺症治療の渡航のためには、適切な医療機関でのアポイントメントを取りつけ、ヴィザ、航空券、ホテルなどを手配する必要がありました。これを実現するためには国連本部内外の職員の協力を得る必要がありましたが、大抵の職員は、彼の置かれている状況を理解し、とても協力的でした。

こういう支援は多くの人にとって通常の任務を超えたものですが、イラクでの職務遂行のために負傷し職を失わなければならなかった一人の職員を支援し続けることは国連職員として当然の義務であるという強い思いが皆にありました。国連のような大きい組織の中では自分の貢献などほんの小さなものですが、この職員の退職後の人生には私たちの支援が何がしかの役に立ったことは、この上もない喜びでした。


国連の仕事の面白さは、フィールドにあり

― 国連の仕事の中で、最も印象に残った出来事は何でしたか?

それは1994年に南アフリカ最初の総選挙の選挙監視委員をしたことです。私の任務は北部のノーザントランスバール Northern Transvaalで八つの投票所をまわり選挙が公正に行われるように監視することでした。

八つの投票所の中には小さな集落の学校を投票所として使っているところもありましたが、そういう小学校の教室の一面には壁がありません。そこからは、中庭にある井戸に集まる集落の人々だけでなく、にわとりや子豚も水を飲みにきているところが丸見えでした。これらの投票所は首都のプレトリアから遠く投票箱が届いていない所もありました。そのような投票所では段ボールを貼り合わせて作った手作りの箱を投票箱として使っていました。しかしながら、住民の選挙への関心は極めて高く、舗装もされていない道路をお嫁さんが年老いた義母を大八車に乗せて運んできたり、遠路はるばる歩いて投票所にたどり着いた人々が炎天下の中、列をなして辛抱強く投票の開始を待っていました。

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1994年南アフリカで初めて全人種参加で行われた選挙の様子。選挙監視の活動を通じ、一票を投じられる有権者の喜びを感じた。選挙の結果、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に選ばれた UN Photo/Chris Sattlberger

その中のおばあさんに聞くと、「私の寿命は長くはないけれど、自分のためにではなく子どもや孫のために選挙に来たんだ」といいます。私たち監視員はその思いに涙したことを覚えています。

識字率が低いので投票用紙には政党の名前とロゴの他に党首の名前と写真も印刷されていました。しかし、目の不自由な人も多く、その場合は投票所長が口頭で「誰に投票したいんですか」と尋ね、私たち選挙監視員の目の前で投票したい政党に丸をつけます。

ある投票所でおばあさんと投票所長が押し問答しています。私たちが近寄っていくと、おばあさんは、「誰に投票するかは言う必要はない、言わなくてもあなたは私が誰に投票したいか知っているはずだ」、と断固として譲りません。その地域はネルソン・マンデラが党首のアフリカ民族会議(ANC)を支持する地域だったので、ほとんどの住民がANCに投票すると見られていました。投票所長が辛抱強く説得すると、おばあさんはようやく、「1回だけ言うからね」と言い「マンデラ」とささやきました。

ところが、全国議会と州議会選挙の投票箱は別だったので、州議会の投票所でさらにもう1度誰に投票するかを言ってもらわなければなりません。おばあさんは声を荒げて「今言ったばかりなのになぜもう一回聞くのか」と怒り、同じ押し問答が繰り返されましたが、周りからはクスクスと笑う声が聞こえました。

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ニューヨークの国連本部で、ブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長から、アパルトヘイトと国連の歴史に関する本を贈られた黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏 UN Photo/James Bu

この選挙では、アパルトヘイト下で選挙権のなかった人々が初めて政治に参加できる喜びとこの国の将来に多くの期待を持って選挙に臨んでいることをひしひしと感じました。

私は、国連がこの歴史的な出来事を可能にしたことを誇りに思い、私自身が大きな歴史的出来事に居合わせたことをとても幸運に思いました。この時は、国連の仕事の面白さはフィールドにある、とつくづく感じた瞬間で、その後、ジャマイカの国際海底機構に出向したり、好んで平和維持活動に関わったのは、ここでの経験が基となりました。

― 人事の仕事では、具体的どのようなことをしたのですか?

小学校6年か中学1年の時に国連の存在を知りなんとなく国連で働きたいと思ってから20年後の1988年に競争試験[i]に合格し法務官として国連本部人事部で人事規則の解釈、改訂、人事政策の案文を作成するセクションに赴任しました。そこで与えられた業務は私の博士論文のテーマから遠くない仕事で大変興味深く、上司もゆっくり丁寧に指導してくれたので、入ってすぐは学びながらお給料をもらえる幸せで楽しい日々を送りました。

4年ほどたったある日、私のやっている業務は机上の仕事で、人事の現場を知らないことにはたと気が付き、人事規則・政策が現場ではどう適用されているのか、つまり、規則より"人"を見てみたいと思うようになりました。こうした動機から人事管理の部署に異動し、職員の契約、給与、昇進、異動などを扱う仕事を始め、その後15年ほどは様々な人事行政に携わりました。

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1991年(国連に入って3年目)、ニューヨークのオフィスで

人事官になってしばらくして、国連では行政業務に初めてコンピューターを導入することになりました。私は人事機能のテストに参加しましたが、人事業務のニーズを満たすにはほど遠く、こちらの希望を言うと「お金がないからそれはできない」あるいは「時間がない」と言われ、結局私たち現場の希望はほとんど聞き遂げられませんでした。この時、コンピューターのシステムを変更する次の機会には、最初から関わろうと思いました。 2016-07-01-1467351488-5979987-201606171120066.jpg

1997年、就任直後に国連の各部署をあいさつにまわる当時のアナン事務総長。アナン事務総長は人事部に長く務め、私を含め人事スタッフは彼の就任をとても誇りに思いました。私が国連に赴任した1988年の7月当時、アナン氏は人事部長でした

2006年の終わりにその機会が訪れました。国連はそれまで使っていた自前のシステムから既成のシステムを導入するプロジェクトを立ち上げることにしたのです。そこで私はこの大きなプロジェクトに、人事部の代表として最初から参加することにしました。

これが"Umoja(ウモジャ スワヒリ語で統一という意味)"という国連の統合業務システムの開発プロジェクトです。このプロジェクトはただのシステムの交換ではなく、基本的な業務のやり方を変えることを目指しました。それまで、人事データは人事局の職員が維持管理していましたが、新しいシステムでは、根本的な思想の転換を目指して、職員自身が自分の人事データの維持管理するという"セルフサーヴィス"をできうる限り導入する方針が立てられました。

私ども人事チームはこの方針を受けスタッフ自身が自らの人事データを維持することを前提に"Umoja"をデザインしました。国連創設当初から続いてきたこれまでの考え方をシステムの導入とともに一新するという非常に大胆な改革です。

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2006年にジュバにあった国連スーダン・ミッションに出張したとき宿=テントの前で

この"Umoja"は数々の困難を乗り越え2014年から徐々に国連内で導入されています。システムはいまだ導入初期に特有の問題を抱えており、さらに、ユーザーの適応やトレーニングの問題はありますが、おおむね良好に機能しています。これは、私の国連の最後の大きな仕事でしたが、国連行政の根本的変革を担ってチームとともにumoja 導入にこぎつけたことをとても誇りに思っています。

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2014年、新しい統合業務システム(Umoja) の人事モジュールが2014年ハイチ平和協力隊で初めてパイロット導入された。国連警察官たちと

ルートから外れてもいい、様々な経験をして

― 国連職員を目指すにあたって、必要な素質は何だと思いますか?

第一にある程度の英語力が必要です。これは文法が完璧であるとか、ネイティブのように英語をしゃべるということではなく、自分の意見を論理立てて口頭であるいは書面で述べることができる英語力という意味です。

第二に、国連では自分の意見を持ちそれを表明できなくてはいけません。日本では人と違う考えを述べたり人と違うことをしたりする事を躊躇する風潮があるように思いますが、国連では自分の意見が言えないと仕事に貢献していないと思われます。ただ、自分の意見を述べる時には不必要に攻撃的になる必要はなく、状況に応じて、言葉を選んで、空気を読んで、その場所にふさわしい表現方法で効果的に意見を述べることが求められます。

第三に同僚、上司、部下と信頼関係を築くことが大切です。仕事を遂行するためには、目標によって、いろいろなやり方で自分の目指す方向に物事を進めていきますが、そのためには、他の人との信頼関係や影響力を常日頃から培っておかなければなりません。私の場合、umojaの仕事では、同じころに国連に入り一緒に育ってきた同僚たちがそれぞれの場所で責任ある立場になっていて、彼らの協力を得て問題を克服したり目標を達成することができました。

信頼関係を築くためには、同僚の悪口を言わないこと、そのためには自分に自信があることが必要です。自分に自信があれば、価値観が揺るがないので、自分を見失わず行動に一貫性ができ、周りの人から信頼されるようになります。自分に自信のない人は、価値観が揺らぎ行動が不安定になりがちで人の悪口を言い周りの人と軋轢を生むことになるのです。

自信をつけるためにはどうすればいいかというと、様々な経験をし多くの失敗を積み重ねることで、困難にあったときにそれを乗り越える力を養うことです。私の場合には、英語も満足にできないときにアメリカに留学し、人に助けられながら何とか単位を取って卒業し、また、異なる価値観、文化、習慣にふれたことは、かけがえのない経験になりました。日本の若い人の多くは、高校を卒業してすぐに大学に入りその後すぐに就職しますが、これから外れてみてもよいと思います。海外留学でなくても、普段の生活とは離れてボランティアをすることもよいでしょう。自分と異なる価値観に触れたり、他の人と暮らしたり、勉強したりするのはとても大切な経験になります。

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2015年11月に退官する職員の1人として、表彰式に臨む。事務総長が出張中だったので、マルコーラ官房長(左)と高須管理局長(右)から感謝状を受け取りました

― 日本の若者、特に国連職員を目指す若者に対して何を期待しますか?

日本の若い皆さんには、外に目を向けて欲しいですね。でもその前に、日本のことをよく知らなければなりません。特に、日本を色々な角度から見ることが必要でしょう。

例えば、戦争を被害者の視点からだけではなく、加害者の視点からも自分の国を見ることも大切です。日本は唯一の被爆国だけれども、他国に侵略したことで加害者であったことを忘れてはいけません。その中で、他国の人から日本はどう見えたのかを知ること、そして、実際に何が起きたのかという事実を客観的に知る努力が必要でしょうね。

このように、物事を客観的に見る態度、相手の視点で物が見えることが国際社会において求められ、そして真のグローバル市民になるために必要なことだと思います。

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茶木さんを囲んで。インターンの 稲垣葉子(左)と 村山南(右)