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井上泰浩 Headshot

ハワイが架け橋 オバマ大統領の広島訪問

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オバマ大統領の妹さんとは、入れ違いで職場の同僚になりそこねた。

私は2013-14年にハワイ大学マノア校マツナガ平和研究所の研究員として真珠湾攻撃と広島原爆投下の政治的関連性を研究した。日本に帰国した翌15年、平和教育を教えるマヤ・ストロさんが同研究所の所属となった。

兄は核廃絶を訴えノーベル平和賞受賞者、妹は平和学の研究教育者――「平和」という兄妹の共通項は、家庭にあるのか、それともハワイという環境が影響したのではないか。オバマ大統領の広島訪問が発表された直後、私はマヤさんにメールで尋ねた。

「そのニュースを知ったのは、あなたと同じ時です。びっくりしました。(広島を)訪問すると知ってうれしいと今から兄にメールをするところです」。そして、こう結んだ。

「私の兄が核廃絶と平和と結ぶ架け橋となることの重要性を再認識させてくれ、とてもうれしい」。

これ以上のコメントは差し控えたいとのことだった。当然かもしれない。

マヤさんの考えを聞くことはできなかったが、オバマ大統領の広島訪問は、ハワイが架け橋になったと私は信じている。いや、否定しようがない。

このことは、日米のほとんどの政治学者、そしてメディアも話題にもしない。しかし、マヤさんの上司でハワイ大学の政治学者(私の友人)は、私と同じ意見だ。核廃絶を訴え、そして、広島訪問を決断した下地にあるもの、そして、架け橋になったのは、オバマ大統領が育ったハワイの社会環境、受けた教育、そして、すべての背景にあるアロハ・スピリットである。

ハワイの広島


言うまでもなく、ハワイには日系移民の子孫が多く暮らす。一時はハワイの人口の半数を占め、今なお多い。日系人の多くは、広島出身者の子孫だ。ホノルルには宮島・厳島神社の縮小(といっても十分大きい)鳥居があり、広島県人会はイベントでお好み焼きの屋台を出店したりと(私もお好み焼き作りを手伝った)活発だ。

オバマさんは日系移民が多く住むハワイ大学マノア校近くで生まれ育った。継父の祖国であるインドネシア生活の数年を除けば、生まれてから高校卒業までの60年代から70年代、ハワイにいながら、時おり広島弁を交えた英語を話す日系人さえいる環境の中にいた。自宅近くには日系人の経営する食料品店があった。そこで売っているカツオの刺身や日系人店主から米菓子もらって食べて育った。

そして、この間、広島で被爆した日系人と何らかの接触があったかもしれない。

ハワイには現在でも分かっているだけで100人を越える広島原爆の日系アメリカ人被爆者が暮らしている(注1)。60-70年代ごろまでは1000人前後、それ以上の被爆者がハワイに暮らしていたと推測される。

戦前、ハワイをはじめアメリカの日系人は、自分の子供を「日本人」としても育てるため、日本の親戚に子供を預け小学校や中学校に通わせた。太平洋戦争が始まり、数多くの若い日系アメリカ人が広島に取り残され、原爆が投下された1945年8月6日を迎えた。

そして戦後、被爆しながらも生き抜いた日系人の多くが、親のいる母国アメリカに「帰国」したのだ。正確な数はわからないが、日系アメリカ人の数千人から1万人近くが被爆者となりハワイを含むアメリカに戻ったという。

オバマさんと広島を結んだと推測される一つ目の理由だ。

教育


社会環境のほかに、オバマ大統領がハワイで受けた教育も大きく影響しているはずだ。

母はシングルマザーの大学院生、裕福な家庭ではなかったが、オバマさんは奨学金を得てホノルルの名門校プナホウ学園(幼稚園から高校)に小学校高学年から入学した。後に、マヤさんも入学する。

プナホウ学園は非常に進歩的でリベラルな教育で知られる。現在では、広島平和資料館を訪問し、被爆者の証言を聞き、核廃絶を考えるスタディーツアーが毎年のように行われている。

オバマさんのハワイ青春時代は冷戦の真っ只中だ。この学校では核兵器について批判的に考え、核廃絶についての正面から向き合う課題を生徒に出していたとのではないかと、この学校の教師や方針をよく知る前出のハワイ大学教授は推測する。恩師や当時の教師に尋ねることはできなかったが、核廃絶は道義的義務であるとオバマさんが信念を持つきっかけのひとつである可能性を私は信じている。

広島原爆投下の非人道性や意義を知らずして、核廃絶を考えることは不可能だ。広島の被爆者は、オバマさんの育ったハワイにたくさんいた。「原爆投下が戦争終結を早め、本土決戦によるアメリカ人兵士の100万人の命ばかりか、それ以上の数の日本人の命さえも救った」、「核兵器による戦争抑止」、という典型的なアメリカ本土(ハワイ以外のアメリカ)の原爆・核兵器理解とはまったく異なる考えを持つにいたる条件は整っていた。

アロハ・スピリット


最後に、そして、最も重要なことは、ハワイのアロハ・スピリットだ。

ハワイといえば「アロハ」という言葉が浮かぶだろうが、単にあいさつの言葉やシャツの名前ではない。アロハはハワイに暮らす人々の文化、生活規範、哲学を象徴している。

アロハ・スピリットとは、謙遜、思いやり、そして他者に対する敬意と寛容さである。そして、第一に平和的な手段を考えるというものだ。

真珠湾攻撃で戦争を仕掛けた日本をコテンパンにやっつけろ、原爆投下は当然のことであると考える典型的なアメリカの姿勢とは大きく異なる(注2)。ハワイで育った二人が、核のない世界を訴え広島を訪問する政治家、平和学を研究し教える妹というのは、やはり偶然とは考えたくない。

オバマ大統領と広島を結ぶ架け橋は、ハワイにあるはずだ。

(注1)米国広島長崎原爆被爆者協会、ハワイ被爆者支援団体からの聞き取り調査による。
(注2)広島で被爆し原爆症のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの「折り鶴」のが、真珠湾アリゾナ記念館の展示が実現したことも、ハワイの寛容、融和、平和の文化を象徴している。詳しくは、井上のハフィントンポストブログ「真珠湾に展示された『禎子の折り鶴』 実現の背景と意義」。
参考文献 Obama, Barack. (2004). Dreams from My Father. Three River Press: New York.