ブログ

ハフポストの言論空間を作るブロガーより、新しい視点とリアルタイムの分析をお届けします

黒岩揺光 Headshot

小林麻央さんの死が「早すぎた」と言うのはやめませんか

投稿日: 更新:
MAO KOBAYASHI
時事通信社
印刷

小林麻央さんの死は早すぎたのだろうか? ハフポストの記事の見出しで「早すぎた死」と付けられていたのを見て、違和感があった。

昨年9月、私の妻が長男出産の翌日、大量出血で亡くなった。33歳だった。家族を含め、たくさんの人から「早すぎる」と言われた。その言葉は、突然妻を失ったという事実だけで、生きるか死ぬかのどん底に落とされた私を、さらに追い詰めた。

「早すぎる? 早いか遅いかの判断基準は一体何? それは誰が決めるの? あなたに妻の死を評価できる権利があるの? 120歳まで生きたら、それは遅すぎるの?」

妻については、妻と一番長く時間を過ごした私が一番良く知っているはずだ。その妻の死について、他人が勝手に評価すること自体が嫌だった。それに、「妻のためにもっと○○してやれていたら」とか、ネガティブに考え始めたら翌朝寝床から起き上がれるかどうかわからないような精神状態の時に、「早すぎる」と烙印を押されたら、まるで夫である自分が責められているかのような錯覚にも陥った。

遠距離が長かった私たち夫婦は、「私の友達はあなたの友達」をモットーに、どちらかの友人から誘われた飲み会などのイベントはできるだけ一緒に参加しようと心がけた。職場の飲み会にまで、私たちだけ勝手に配偶者同伴で参加したりし、周りから「そんなにいつも一緒にいて飽きないの?」とか言われたこともあった。

その時、妻の「ヨーコーと一緒にいればいるほど、愛が深まっていく」と真顔で返した一言が、今でも私の生きる糧になっている。その言葉が妻の本心なら、妻は人生で一番愛に満ち溢れた瞬間に旅立つことができたということだからだ。

そして、私は一人の女性を一番幸せな瞬間に見送ることができた幸せ者なのではないか。私が妻より先に旅立っていたら、ひょっとしたら妻は不幸に亡くなっていたかもしれない。私の勝手なこじつけた論理かもしれないけど、私が瀕死の状態から立ち上がり、妻が残してくれた長男の育児に没頭するには必要な論理だった。

だから、小林さんの死について、周りが勝手に評価しないでほしい。本人もブログで「可哀想だと思われたくない」と綴っているように、人が亡くなった時、周りができることは、それぞれがその人の死と自由に向き合えるよう、配慮することではないかと思う。