日本で3人だけの「銭湯絵師」。 最年少の銭湯絵師と地域の人々が描く風景

銭湯絵を描くことのおもしろさとはなんだったのだろうか。

あなたのご近所には銭湯があるだろうか?

銭湯に行った際に、壁に大きな富士山などの絵が描かれているのを見たことがあるかもしれない。一般的に富士山などが描かれることが多い銭湯絵。誰が描いているか想像したことがあるだろうか。

銭湯絵をペンキで描く「銭湯絵師」という仕事がある。

銭湯の壁面に大きなペンキ絵を描く銭湯絵師。全国でも現役で活躍するのは3人のみだ。今回登場するのはその中でも唯一の若手、田中みずきさん。

美術史を学んでいた大学生時代に銭湯絵と出会った。その世界に魅力を感じて、ベテラン銭湯絵師の中島盛夫さんに弟子入り。8年間の弟子入り期間を経て独立した現在は、銭湯のペンキ絵はもちろん個人宅のお風呂や旅館の壁など多様なフィールドで活躍している。

銭湯絵を描く上で、依頼者である銭湯のご主人にはそれぞれの思いがある。そこに田中さんの感性が加わることで、思いもかけなかったものが生まれる。田中さんと依頼者、そして地域の人々が織りなすストーリーを伺った。

「絵の中に入りこんでしまうよう」銭湯絵に惹かれて弟子入りした大学生

大学時代は美術史を専攻していた田中さん。なぜ銭湯絵の世界に入ったのか。

「卒業論文のテーマを考えていたときに、好きなアーティストが銭湯の作品を作っていることに気づきました。『好きなアーティストさんが作品にしているような場所なら、まずは行ってみよう』と思ったんです。それが最初のきっかけでした。初めて銭湯に行ってみて、壁に描かれているペンキ絵に衝撃を受けましたね。『こんな絵の見方があったんだ』という驚きでした」

田中さんが初めて銭湯に行ったのは大学3年生の冬のことだった。

湯船の中からもくもくと湯気が上がって、その湯気がだんだん絵の中に描かれた雲に重なっていく。湯船の中で自分の体もゆらゆらと揺れている。

描かれた絵の中に体ひとつで入っていってしまうような、不思議な感覚がそこにはあった。

「しかもみんながじっくり見ているわけではないんですよね。ここまで日常生活に溶け込んでいる絵は他にないと思いました。美術館だと、額縁があって、しっかりと絵を鑑賞しますよね。触ったらいけないし。湿度が高くて管理しづらい場所に絵があるというのも含めて、これまで接してきていた絵と全く違う、おもしろい!と感じました」

卒業論文のテーマは銭湯絵に決めた。

そんなとき、お台場で銭湯絵のライブペイントが行われた。ペンキ絵を描いているところを生で見ることができるイベントだった。

イベントを見に行った田中さんは、その舞台裏で休憩をしていたベテラン銭湯絵師の中島盛夫さんにご挨拶。イベント後に、中島さんが実際に銭湯絵を描いている現場を見学させてもらったのだった。

見学だけではなく、中島さんのもとでペンキ絵の見習いも始めた。大学の授業の合間をぬって、荷物運びからのスタート。最初に筆を持ったのは、空を青一色でひたすら塗っていく作業だった。

「師匠(中島さん)は一瞬のうちに描いていくんですけど、それとは全然違う感じになってしまいましたね。銭湯の壁は表面がでこぼこしているんです。何度もペンキ絵で塗り重ねていたり、壁面が傷んではがれていたりするので。ローラーのペンキのつけ方によって、塗り残しやムラができてしまったりとか、一色で塗るとムラが目立ってしまったりとか。難しいものだなというのが最初の印象でした」

卒業後、会社勤めやアルバイトと並行しながら見習いを続けた。弟子入り期間は8年間にわたった。

浮世絵スカイツリー、アジアンリゾート富士山......若い感性を生かして

田中さんにとって、銭湯絵を描くことのおもしろさとはなんだったのだろうか。

「銭湯のご主人の好みが絵の中に反映されることがあるんです。絵を描く前の打ち合わせの際に、『富士山と一緒にうちで飼っている犬を小さく入れてほしい』という要望を頂いたり。猫も描いたことがありますね。あとは『ゴルフが好きだからゴルフ場を入れてほしい』『すごく太陽の塔が好きだから太陽の塔を入れてほしい』とか。銭湯絵には、その依頼者である銭湯のご主人の趣味が反映されることがあるんです」

銭湯に珍しいものが描いてあったときには、銭湯のご主人が好きなものなのかもしれないと想像しているそうだ。

田中さんに依頼をするのは、銭湯のご主人の中でも若い年代が多い。その感性を生かしたペンキ絵も多く生まれている。

ある銭湯を運営している若いご夫婦には「スカイツリーを入れてほしい」という希望があった。調べていく中で、昔の浮世絵の中にスカイツリーのようなものが描かれているものを発見した田中さんは、スカイツリーを浮世絵風にアレンジした。

更にご主人は「ライブペイント」のイベントを企画。地元の人たち100人程度の前で田中さんがペンキ絵を描いた。

「それまでその銭湯に通っていた皆さんが、描いている様子を見に来てくださったんです。その銭湯がお客さんから愛されていることがわかって、すごくいい体験でした」

一方、苦労するのはペンキ絵のイメージのすり合わせだ。

明確なイメージを伝えることが難しいと感じる銭湯のご主人も多い。その一方で、描かれたものになんとなく違和感を覚えるケースも。

本当はどういうものを求めているのか掴むのに苦労するという。

「そんなときはイメージ図を3パターン作るんです。1つ目は要望通りのもの、2つ目はスタンダードな銭湯らしいペンキ絵。そして最後の1つは打ち合わせやお店の雰囲気から探った、マッチしそうなイメージを提出しています。そうするとだいたい3つの中から選んでいただけるんです」

大阪のあるスーパー銭湯では「北斎の浮世絵のようなものを描いてほしい」という希望があった。しかし、実際にその銭湯に伺ってみると、アジアンリゾートのような雰囲気。

「浮世絵より、もっとお店の雰囲気に合う絵があるのでは」そう感じた田中さんは、浮世絵のイメージ図と、スタンダードな富士山の絵の他に、アジアンリゾート風の富士山の絵を描いた。実際にその銭湯を訪れて感じた雰囲気を絵にしたのだ。

黄色の空、オレンジ色の赤い富士山。アジアンリゾートをイメージした、大胆な色調の絵だった。結果的に「これがいい」と選んで頂けたのはアジアンリゾート風のイメージ。

本当に求められているのは、言葉とは別のところにあるのではないか。探り探りの作業だ。

「依頼者の方も驚きのようなものがほしいのではないでしょうか。ご自身の希望や好みももちろんあるんだけど、『ちょっと新しいものを提案してもらえたらいいな』という思いを言葉の裏に感じます」

そんな思いに応えるために日々依頼主との関係づくりに励む。

銭湯だけではなく、個人の依頼主も多い。若いご夫婦の自宅のリノベーションの仕事では、浴室の壁に子供たちのシルエットを描いた。成長ごとに描き変えていく予定だという。

地域愛が銭湯絵のモチーフに

田中さんは地方でペンキ絵を手がけることも多い。そこで驚くのが地域への思い入れの深さだいう。

地域の観光名所や食べ物を次から次へと勧めてくれるのだそうだ。更に、それらをペンキ絵に織り込んで欲しい、という依頼も多い。

「先日も熊本の一富士旅館さんに描いていたんですが、1日かけてご主人が描いてほしい観光名所を案内してくださったんです。うんすんカルタという手描きのような模様のカルタがおもしろくて。これも絵に入れてほしいっておっしゃってました。手描きモチーフのものを手描きで描くのか。どうやって描こうかなって悩みましたね(笑)」

SLや近くの神社。そんな地域の名物を撮影し、ひとつひとつ丁寧に描きこんでいった。ときには打ち合わせに依頼者の家族の方が来ることも。自分の推し名所をやいのやいのと言いあうのだ。

「地域に対する愛着がすごい、と感じました」

田中さんが熊本で出会ったモチーフたち(撮影:田中さん)

熊本県・人吉市の一富士旅館(撮影は田中さん)

出張の際にはその地域の銭湯や温泉に入ることも多い。地域の温泉では地元の人と話す機会も多い。独特の温泉の入り方を教えてくれたり、土産物店を教えてくれたり。

「人との距離が近いのが温泉や銭湯の魅力」と田中さんは語る。

そんな田中さんが今後やってみたいのは、子どもたちと銭湯に絵を描くことだ。

「子どもたちと壁に絵を描いてみたいですね。もし子どもの頃に自分が好きな絵を描いた銭湯があったら、すごく親しみを持てるんじゃないでしょうか。」

今は子どもでも安全な塗料がないか模索中だ。

9月30日から東京の文京区の銭湯で開催される展示「文京の湯 銭湯MUSEUM」に合わせ、10月1日にも子ども向けのワークショップを開催した。田中さんの下絵の上に、子どもたちが思い思いの絵を自由に描いていくというものだ。実際に銭湯の脱衣所に展示もされる。

「近くの銭湯にずっと自分の絵があってずっと通えたら、自慢したくなりますよね。家族で行ってもらったりして、銭湯に親しんでもらえたらいいと思います」

編集後記

ご主人の隠れたご希望に真摯に向き合う田中さんの姿勢が印象的でした。銭湯絵ひとつひとつに、絵師さんはもちろん、銭湯のご主人や地域の人たちの思いが込められていることがわかりました。

個人的によく銭湯に行くのですが、今度はぜひ絵をじっくりと見てみたいです。

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(この記事は、"ハートに火をつける"がコンセプトのWebメディア「70seeds」から転載しました)

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