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大災害を記録・記憶するための方法とは? 「東北六魂祭2015 秋田」を訪ねて考えたこと 

2015年07月09日 22時10分 JST | 更新 2016年07月09日 18時12分 JST
三上義一

70回目の終戦記念日が迫ってきている中、戦争の記憶をどう残すべきかという問題が脳裏を横切る。とはいえ、70年前となると遠い昔に思え、忘却の彼方に沈む歴史の1ページでしかないように感じられる。 

では、2011年の東日本大震災はどうなのだろうか。大災害を忘れないために、我々には何ができるのだろうか。

これはあの大震災が日本人に突きつけた問いの一つであろう。あの大災害から4年以上が過ぎ、その記憶が風化しているといわれている昨今、この問いは我々にとって切実な問題だといえる。

そんなことを考え巡らせながら、私は「東北六魂祭2015 秋田」を訪れた。この「東北六魂祭」とは、東日本大震災が起こった年に始まり、第1回目が宮城県仙台市(同年7月)、2回目が岩手県盛岡市(12年5月)、第3回が福島県福島市(13年6月)、第4回が山形県山形市(14年5月)、そして第5回が今年の5月30・31日に秋田県秋田市で開催された。

「六魂祭」の趣旨は、大震災の直後全国的に祭りやイベント開催に対し自粛ムードが広がる中、暗いムードを吹き飛ばすと同時に震災の鎮魂と復興を願うことであった。主たる催しは、東北6県の代表的な夏祭りを一同に集めた「6大祭りパレード」。例えば青森からは「ねぶた祭り」、秋田からは「竿頭まつり」(かんとう)、岩手は「さんさ踊り」などが参加してきた。今年の秋田の祭りの副題が示すように、「東北の心はひとつ、さらに前へ」と、人々の心を鼓舞しようというのが狙いである。事実、6県の代表的な祭りを集めたパレードは、26万人以上もの観客を集め、迫力に満ちていた。

とはいえ、気になったことがいくつかあった。パレードやライブコンサートがこの祭りのメインイベントであるが、シンポジウムなどの東北復興に関する討論の場はなかった。私は市役所の幹部や関係者との意見交換することができたとはいえ、公式プログラムには東北の未来を考える機会は設けられていなかった。そもそもそれが問題だという意識もなかったようで、一時的には盛り上がりを見せるだけでいいのかという意見も聞かれなかった。

加えて、東京の大手メディアによる「六魂祭」の取材は非常に限られていた。全国に向けてさらなる復興の必要性を訴える良いチャンスであったはずだが、東北のローカルニュースに終わったようだ。

 

・秋田は「影の被災地」か

それだけではない。今回の「六魂祭」は大震災後の東北6県が置かれている状況の違いをも浮き彫りにしたといえる。例えば、今回の祭りの開催地の秋田は、震災の被害がほとんどなかった代わりに復興需要、復興景気もなく、実際、秋田が「影の被災地」ではないかという声さえ聞かれた。

「大震災が起こった瞬間、直感的に秋田は経済を失ったのではないか」と、心配したと述懐するのは、秋田県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、松村讓裕(よしやす)氏だ。松村氏によると、秋田の観光収入は2011年の大震災以降右肩下がりで、いまだそれ以前の水準に回復していないという。あえて観光客が東北地方に行くとしたら被災にあった県であり、秋田まで足を伸ばす観光客は少ないという。

「この問題をどう解決するのか簡単な答えはない」と、松村氏は話すが、同時に「いつまでも下を向いていられない。自助努力や創意工夫が必要で、観光資源の商品化や県内の雇用を増やしたりしなければならない」と強調する。

「六魂祭」は来年青森で開催され、それで東北6県を一巡したことになるが、それ以降もこの祭りが継続されるのかは未定だという。「六魂祭」を訪れて感じたことは、忘れないことの大切さをいかに具現化し、そこからいかに発展させるかの難しさであった。

しかし、その一つの答えを見出したような瞬間にも秋田で遭遇した。秋田県立美術館で藤田嗣治が1937年に描いた大壁画「秋田の行事」を目にした時である。これは戦前の秋田の祭りの姿を生き生きと描いて余すところがない傑作である。「六魂祭」と同様祭りがテーマだが、藤田は大壁画に描くことによってその姿を後世に残している。その意味でメディア、ないしはアートの果たす役割は大きい。何らかの形として残すことで、初めて消え行く過去を保存することができ、人間の記憶の底にとどめておくことができるのである。そして未来へと引き継ぐことができるのだと、改めて痛感させられた瞬間であった。