「逃げよう。自分を縛り付けるものから」が新しい地図。私たちにとっても。

SMAPはなんて、時代の空気とわたしたちの心に敏感で、そして、カッコいいのだろう。
(C)AbemaTV

稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人が9月22日に設立を宣言した公式ファンサイト「新しい地図」の動画は、本当に衝撃的で、思わず涙がこぼれた。

この人たちはなんて、時代の空気とわたしたちの心に敏感で、そして、カッコいいのだろう。

冒頭のメッセージは、「逃げよう。自分を縛りつけるものから。」だった。

9月22日の奴隷解放宣言

3人の前所属事務所内で起こった騒動は、真偽の入り混じった報道や、業界の裏話として、様々な形で伝わってきた。

2016年1月18日放送のフジテレビ系「SMAP×SMAP」で、SMAPのメンバー全員が解散騒動について「謝罪」した時、画面からはむしろ本人たちと番組スタッフの不本意さと「不自由」さしか伝わってこなかった。

黒い服で立たされた彼らは、まったく「奴隷」のような姿で、芸能という世界の暗黒面を嫌と言うほど見せられた。そこから「逃げよう」というのが第一のメッセージだろう。

意図的かどうか明らかにされる日は来ないのだろうが、エイブラハム・リンカーンによる奴隷解放宣言の布告は1862年の9月22日だったのだという。

同じ9月22日に設立された「新しい地図」ファンクラブ(日本語話者向け)は、私が入会した23日の夕方時点で、会員番号が7万人台だった。数字がどう割り振られたかはわからないが、もし単純に1番刻みだとしたら、たった2日で入会金と年会費で4億円近くを集めたことになる。

私のように「ファンというほどでもないが、応援したかった」として入会した報告がTwitterなどでも多数投稿されている。ファンクラブというより、クラウドファンディングのようだ。

そして、24日朝にはネット放送「AbemaTV」への出演、3人のSNSも解禁が発表された。ネット上にタレントの画像さえ掲載しないことで知られる前所属事務所とは全く違う「新しさ」を存分に感じさせた。

この写真がネットの記事に掲載できる自由を、私たちはかみしめている。
この写真がネットの記事に掲載できる自由を、私たちはかみしめている。
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でも、彼らのメッセージが、特別熱心なSMAPファンというわけでもない私にまで熱く伝わってくるのは、まさに「逃げよう」が、彼らのことだけでなく、今の時代の重要なキーワードとして感じられるからだ。

いつから日本は「自由」を失ってしまったのか?

私は夫の転勤で以前勤めていた新聞社を退職し、2016年4月までのおよそ3年間、シンガポールで暮らし、地元の企業とNGOで働いた。

シンガポールは、与党が圧倒的多数を占める政治状況や、言論の自由が一部制限されていることから「明るい北朝鮮」などと揶揄されることもある。

そう聞いたら、すごく「不自由」な国と思うかもしれない。そういう面もないではない。

しかし、私が日々の生活の様々な場面で実感したのは、日本と比べた時の圧倒的な「自由」さだった。

もちろん私は外国人という立場、地元の大企業に勤めていたというわけでもないので、それを割り引かなくてはいけないのだが。

例えばある時、同僚のシンガポール人女性が出産し、産休・育休を取得することになった。シンガポールの産休・育休は合計で4カ月なのが一般的だが、職場復帰直前に、彼女は生まれたばかりの子をメイド(住み込みの家政婦)と母親に預けて、夫と一週間近く、2人でタイ・バンコク旅行を楽しんでいた。

私はたいへん驚いたのだが、聞けば割と一般的なことのようだった。

別にそれをするのが良い、すべきだと言っているのではないので勘違いしないでいただきたい。

ただ、かたや待機児童問題が深刻な日本では、仕事を失わないため、仕方なくゼロ歳で子どもを保育園に預けて職場復帰するお母さんに対して、「小さな子を預けるなんてかわいそう」と「善意」の言葉が飛んでくるというのだ。

いつしかその言葉は「呪い」となって、彼女たちの、私たちの内面に深く刺さってしまう。「出産した女に自由はないのだ」と。そして、働くことをあきらめる女性もいる。

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Toru Hanai / Reuters

また、私はシンガポールの勤め先のNGOで広報職員をしており、現地の新聞やテレビの記者・ディレクター、そして取材に来た日本のテレビのディレクターらと接する機会も多かった。

ある日本の民放のディレクターは、NGOの代表者のインタビューを収録した後、「念のため」と、様々な角度から部屋中を6時間以上かけて撮影して帰っていった。立ち会った私もヘトヘトになったところで、翌朝「不足があったので」ともう一度彼らはやってきた。

結局その番組で使用されたその時の映像は、たった2秒ほど。同僚たちは唖然としていた。

私は日本で新聞記者として似たような仕事の仕方をしていたし、民放でもインターンとして働いた経験があったので想像はできる。撮ってきた映像をズラーと並べ、膨大な素材の中から番組を組み立てる。万一、その時の上司が不足と感じれば「この角度、撮ってないの?なんで?」と責められるからだ。その時は「まあ、そんなものだろう」と思っていた。

しかし、同じテーマで取材に来た地元のテレビディレクターは、ミルクティーを片手にビーチサンダルで現れ、30分ほどでササっと取材し、数分間の番組に仕立てあげていた。

もちろん、細かい部分でクオリティーにかなり差があるのは否めない。多くの日本人の丁寧な仕事は素晴らしいと思うし、ありえない雑な仕事をするシンガポール人もたくさん見た。

でも、日本のテレビ局の過酷な労働は今や誰もが知るところだ。私がインターンとして働いていた民放では、週に1度、30分の番組を放送するスタッフが、家に帰れるのは週に1~2度だった。

今している仕事は全部、命を削ってまでするべきことなのだろうか?

「しないと番組に、紙面に穴が開く」あるいは「クリエイティブな仕事だから徹夜なんて当たり前だ」。いつから私たちはそう思い込まされてしまったのだろう?

2秒のためにヘトヘトに疲弊した代わりに、創造性の源を失っていないだろうか。

そこで、本当の武器を見失っている私たちに、3人が投げかけた言葉が届く。「自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌」。

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AFP/Getty Images

「逃げた後、どうするんだよ」という「善意」が「呪い」になる

「逃げよう」を見てひとしきり感動した後に、私は鎌倉市の図書館が投げかけたこのメッセージと、一部の人の反応を思い出した。

学校に行くのがつらい子に「図書館に逃げればいい」と職員が呼びかけたものだ。多くの人が賛同し話題になったが、こんな「善意」の意見を言う人が少なからずいた。

「逃げた後、どうするんだよ」「次の対策を考えないでメッセージだけを出すのは、無責任ではないか」。

けれど、こうした一見「善意」の言葉こそが、今の社会に漂う「呪い」を作り出し、私たちを縛り付けてきたのではないだろうか。

これまでにも学校から「逃げた」人たちはいた。だが、逃げてきた人がいたからこそ、助ける人も現れた。

フリースクールという新しい学校ができ、今では特別でもなくなった。今はネットの学校「N高」もある。

もちろん、元気があれば「逃げない」で、組織の中でジワジワと新しい改革を進める道もあるだろう。

木村拓哉、中居正広がテレビやラジオの隙間を使って巧妙に、報道されることと違うメッセージをファンに送り続ける姿には、ドキドキさせられる。(知らない方は残りの2人がどう奮闘しているのか、Twitterでファンの謎解きを検索してみてほしい)

しかし、今の社会の呪いに背を向けて一心不乱に逃げ、新しい道を切り開く人たちの背中にはワクワクさせられる。

ハフポスト日本版でも私たちはずっと同じメッセージを発信してきたつもりだし、これからもやっていくつもりだ。例えば、こんな風にだ。

逃げよう。自分を縛り付ける、ゆがんだ社会の同調圧力から。

逃げよう。自分を縛り付ける、性やカラダのことは隠すものという幻想から。

逃げよう。自分を縛り付ける、「たくましい男」像から。

逃げよう。自分を縛り付ける、「いい母・主婦」像から。

偉大なアイドルほどの影響力はないかもしれない。でも、地道にやっている私たちと同じ気持ちでいてくれることが、率直に言って本当にうれしかった。それこそが、本当のアイドルだと思った。

そういうメッセージを発信し続けてくれるSMAPは、だから、まったく死んでいないのだ。

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