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禅が体罰でない理由

2013年05月05日 22時40分 JST

 “禅”という言葉を聞いて、みなさんは何を思い浮かべるだろうか?座禅、禅問答、禅宗…と連想していくと、なんだか、コトバ探しだけで心に清明さが満ちてくる気がする。

 一期一会、日々是好日、行雲流水、阿吽(あうん)や知足(ちそく)など、禅から生まれた言葉を耳にしたことは少なくないだろう。アベノミクスで景気が上向きと巷は浮かれるが、ささくれだった暮らしは、そうは簡単に変わらない。ならば、「禅」について、ひととき、思いを巡らすのも一考ではないだろうか。

 禅とは何か。

 いろいろな人がいろいろな形で解説しているが、多種多様、それだけ解釈ができるともいえるのだろう。禅とは仏教の修行法の一つ、瞑想や座禅のことであり、原語「dhyāna」は「静かに考える」という意味だ。「静かに考える」ということは、千差万別、人によってその意味は変わるということだろう。

 わたしたちが身近に禅を感じるのは、観光で禅寺を訪れるときかもしれない。

 たとえば、多くの観光客がやってくる南禅寺。京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院で、日本最初の勅願禅寺だ。京都五山や鎌倉五山の上におかれる「別格扱いの寺院」で、日本全国の禅寺のなかで最も高い格式をもつという。金閣寺や銀閣寺、龍安寺や高台寺などの有名寺院や、通天橋からの紅葉が大人気の東福寺も、すべて禅寺。だから、「禅なくして京都は語れない」というのは過言ではないだろう。

 京都以外にも、それぞれの地域には、かならずといっていいほど禅寺はある。役場の案内や郷土史を揃えた図書館に行けば、すぐさま、その土地の「禅」に触れることができるはずだ。

 名著にあたるのも良い。仏教学者である鈴木大拙(1870~1966)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた大家だ。「禅とは何か」は禅思想の神秘性や世界感を語る選集だ。手軽な文庫本であるから、一度は手に取ってみたい一冊だ。

 それにしても、「禅」への理解を題材にした、ついこの間の朝日新聞デジタルのニュースに驚いた。

座禅中に姿勢が乱れると、バシッと肩をたたかれる。それは「体罰ではない」と禅宗の僧侶たちが周知をはかっている。教育や指導と称した体罰が社会問題になる中、たたく際に使う棒「警策」を体罰と結びつける誤解を解くためだ。

朝日新聞デジタル 「座禅でバシッ…体罰にあらず 禅宗僧侶ら『集中のため』 文書配布し周知」より。 2013年5月4日)

 高校での体罰が問題になるなか、座禅の「警策」は体罰ではない、と訴えるという。この際、体罰について、静かに考えてみたいものだ。