AKB48をNHK〝みんなのうた〟に初起用。「履物と傘の物語」から読み解く都市形成の未来とは?

2015年03月04日 00時01分 JST | 更新 2015年03月04日 00時14分 JST

AKB48の新曲「Green Flash」Type-Nに収録された「履物と傘の物語」が、NHKの「みんなのうた」に起用され、大きな反響を集めている。CDの発売日は3月4日だが、1カ月ほど前から「みんなのうた」でオンエアされていたため、すでに多くの問い合わせや、感想が寄せられているという。

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物語の登場人物は、2人のおばあちゃん。2人は田舎の駅前でそれぞれ履物屋と傘屋を営んでいる。しかし、おばあちゃんたちのお店には、ほとんどお客さんはこない。そのため、2人は互いに客となり、互いの商品を買い合っていましたとさ。そういうお話。素朴な曲調、アニメーションなども手伝い、ネット上では「泣けるね」「いい話だな」といった感想が飛び交っている。

どうだろう……。おばあちゃんたちのお店が繁盛していなかったことを思うと“単なるいい話”ではない。しかし、さびれた商店街へのノスタルジー、そこの裏側にあるおばあちゃん同士の友情など、感情を喚起する要素があれこれ詰まった楽曲であることは間違いない。



履物屋と傘屋は、なぜ繁盛しなかったのか?

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少し身も蓋もないところからこの曲のモチーフに迫ってみたい。なぜおばあちゃんたちのお店は繁盛しなかったのか? その理由はいくつかある。

「ジーンズショップがつぶれ、カラオケがつぶれて、その後にできた100円ショップもつぶれた。100円ショップがつぶれたら町も終わり」というのは、ドラマ「あまちゃん」の登場人物、北三陸鉄道の駅長・大吉さんのセリフだ。自動車が普及して、街の人々は郊外に住むようになると街の中心部を素通りするようになる。当然、商店街から人はいなくなってしまったのだ。郊外に大きなショッピングモールができて、駅前の商店街から客を奪い取ってしまったという指摘もある。モータリゼーション。シャッター商店街。夕方のニュースなんかでよく特集されているアレである。

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人がいなくなれば、商売は成り立たない。おばあちゃんたちに、非はなかったのか? いやいや、そうした状況変化に対応することも、小売業の生き残りの戦略ひとつ。価格競争力がない個人商店が太刀打ちするためには、“ライフスタイル・アソートメント”で勝負を賭けるべきだったのだ。みたいな。よくわからない流通業界用語を使ってみましたが。“ライフスタイル・アソートメント”とかいう、時代に即した生活提案型の売場作りや販売戦略を展開する“敏腕おばあちゃん”の物語だったとしたら「みんなのうた」で人の心を掴むことはできなかっただろう。

おばあちゃんたちが生きた青春と、その時代背景を読み解く

変わりゆく故郷、地方都市の風景に人は敏感だ。AKB48の曲「Seventeen」で、「故郷に帰ってみたら好きだった子の家が酒屋からコンビニに変わっていた」という現代的な郷愁が歌われたことがあった。だが、昔を懐かしんでいるだけでは人は前に向かうことはできない。

原因は何であれ、駅前商店街の履物屋と傘屋もすでに商売としては、かなり厳しい。AKB48のメンバーのような今どきの10代・20代に限らず、41歳である筆者にしたところで、そんなお店で買い物をした経験なんてほとんどないのだ。ただ地方の駅前商店街が元気だった時代を、僕らアラフォー世代はギリギリ知っている。商店街が元気だった時代が、いまから30年前とすると、きっとこの歌のおばあちゃんたちは、まだおばあちゃんと言えるちょっと前くらいの年齢だったのではないだろうか。

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日本全国に存在する駅前商店街。それが誕生したのは、都市人口がふくれあがり始めた昭和初期、つまり1930年前後のこと。農村から都市へ流入した層の中から、個人の小売り自営業を営む人々が現れ、現在の商店街を形成し始めたのだ。この歌のおばあちゃんたちが、この頃に生まれたのであれば、農村で生まれて、まだ幼い少女だった頃にこの商店街にやってきた可能性がある。日本が都市化した最初期を知っている世代。最初から街っ子ではなく、田舎暮らしも知っていて、駅前=街に住み始めた娘たち。そんな若き日のおばあちゃんたちの姿が想像できる。

過ぎ去ったあの夏。ひと夏の恋。悲しい別れ。いつしか大人になった自分。作詞家の秋元康がこれまで何度も繰り返し描いてきた“過ぎ去りし青春”の詩。「履物と傘の物語」にも、ある種の青春像が隠されている。日本の商店街の形成期に生まれたおばあちゃんたち。彼女たちの青春時代は、きっと戦後の復興期とともにあったのだろう。そして、日本の復興とともに商店街の最盛期もやって来た。悲しいことに、人は歳をとる。商店街もやがて衰退の時代を迎える。ここには、2人のおばあちゃんの人生と商店街形成の盛衰の物語が重ねられているのだ。またその物語を裏返せば、日本の都市化の光と影の物語も見えてくるだろう。

かつての“冷たい都市”から“あたたかい都市”へ

現代の都市政策を見ると、商圏や住宅の郊外への拡散のフェイズは終わり、中心市街地をいかに活性化させるかに行政も舵を切っている。政策方針だけではなく、実際の都市人口は、中規模以上の中核都市の最中心部に集積しつつある。

高度成長や都市化の時代〜公害問題などを理由に都市から郊外へ撤退していったニュータウン世代、郊外の商圏、住宅が発達した「ファスト風土世代」(消費社会研究家の三浦展の命名)。これらを経て、現在はふたたび都市集中化に向かっているのだ。おばあちゃんたちと、おそらくはそのひ孫くらいにあたるAKB48のメンバーたちの世代の共通点は、都市への回帰世代ということ。前者の都市回帰は、第一次産業から第二次、三次産業への産業転換によるもの、後者の都市回帰は、金融、IT、エンターテインメントなど、新しい都市型産業の発展によるものだ。

現代の都市回帰。そこで起こりつつあるのは、“冷たい都市”から、“あたたかい都市”への転換であるのだと僕は考えている。製造業が中心だった時代の都市とは違い、アイデアからしかお金が生まれない時代。人と人の距離が近くなることが、現代の都市の発展の条件となる。かつての「コンクリートジャングル」的な冷たい都市化ではない。履物屋と傘屋のおばあちゃんたちのような近隣の交流は、今後の都市で再び見られるようになる光景かもしれない。

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もちろんシャッター商店街が息を吹き返すということはない。だが、いくらかの明るい兆しもなくはない。現在の地方都市が期待しているのは、観光産業である。しかし、いまの地方都市に必要な「観光資源」はなかなかやっかいだ。名所旧跡だとか風光明媚な自然とかいった都合のいい「観光資源」はそうそう転がっているものではない。だからどの自治体も、やれB級グルメだ、ゆるキャラだ、大河ドラマの誘致だ、アニメの聖地巡礼だ、などと、あらゆる手段を使って地元をPRする。「まちおこし」というやつだ。さらに、海外からの観光客を呼び込もうという動きも見られる。

観光資源とは、つまりアイデアである。いやむしろ、今どきの人を集めるための核は、物語そのものになりつつある。「履物と傘の物語」にあるのは、シャッター商店街の悲しい現状ではない。そこに、作詞家とアニメーション作家と歌い手が集まって「物語」を付与したのである。だからこそ人々は注目し、反応を示した。ここには何かしらのヒントにあふれている。

友情にあふれたおばあちゃんたちの優しくて切ない物語。2人は死んじゃったけど、僕はこれでおしまいではない予感がする。彼女たちの少女時代はどうだったのだろう? 互いにどんな相手と結婚したのだろう? そして今、彼女たちの子どもや孫は何をしているのだろう? あれこれ考えていると、この物語の続きが気になるじゃないですか。「履物と傘の物語」を聴くと、人とふれあう大切さが伝わってくる。この物語の続きは、これから僕らが暮らす街にこそ、見えてくるのかもしれない。

(執筆:速水健朗)

「履物と傘の物語」が収録された39thシングル「Green Flash」発売中

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