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「福島は難しい・面倒くさい」の犯人は?「はじめての福島学」開沼博さんに聞く

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FUKUSHIMA EXCURSION
開沼博が開催しているスタディツアー「福島学構築プロジェクト」で仮置き場を見下ろしながら、語りべの話を聞く参加者(2014年6月) | 福島学構築プロジェクト
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もう福島のことは、正直お腹いっぱい。「福島」という言葉が入ったニュースは見たくないし、わざわざ話題には出さないよね。難しいし、ついていけない。変な議論に巻き込まれそうだし。面倒くさい――。

“「福島難しい・面倒くさい」になってしまったあなたへ”というキャッチコピーのついた書籍『はじめての福島『はじめての福島学』(イースト・ プレス)が2015年3月に刊行された。著者は、福島をフィールドに研究している社会学者、開沼博さん(31)。人口、農林水産業、観光業、復興政策、雇用、家族……。福島第一原発や放射性物質についてのみ語られがちな福島の現状を、データをもとに読み解いている。福島の問題を「風化させてはいけない」という気持ちがないわけではないが、「福島は難しい・面倒くさい」という思いが先に立ってしまい、無関心に陥ってしまう人たちの誤解を解きたいのだという。

震災から4年が経過し、“福島のタブー化”が起きている原因は何か。このまま、「福島は難しい・面倒くさい」という状態が続くのか。3月中旬、開沼さんを訪ねた。

はじめての福島学(開沼博)

Q. 福島のことは、面倒で難しい。どうしてそうなってしまったのでしょう?

――この本のキャッチコピーのように、「福島のことは、難しい。面倒なので触れないようにしている」という人がいます。この原因をどのように考えていらっしゃいますか。

難しいと感じる大きな原因は、情報が体系的・構造的に整理されていないことだと思います。福島の問題に向き合おうと思っても、あまりにもたくさんの情報がありすぎて、どこから手を付けていいのか戸惑ってしまい、難しそうだと敬遠してしまう状態なのだと思います。

語学であれ、科学であれ、学問を始めるときには何かしらの教科書を使って学ぶことが一般的であるように、体系的・構造的に学ぶことで情報を整理して吸収することが容易になります。

しかし、福島についてはそんな環境はできていなかった。原発や放射能、復興、風評被害、様々な問題が一気に噴き出した。研究者はたくさんいたけれど、情報が整理されてまとめられているわけではかった。情報がダラダラと垂れ流しされてきたことによって、どこから手を付けてよいかわからないような状況になっていたわけです。

議論に加わるためには前提知識が必要です。しかし、それを効率良く理解できる環境がなかった。そのために「福島=ハードルが高い」と、感じられてしまっているわけです。

それらの大量の情報のなかから、議論に加わるために最低限知っておいたほうが良いよというものを1冊にまとめたものが、今回出した『はじめての福島学』です。「福島のことはもういい」と思う人も多いのは事実でしょうが、「考えてみようかな」と思う人もいるでしょう。その最初の一冊として、議論の土台に乗れるような道具として、教科書的にこの本を使ってもらいたいと思います。

fukushima excursion
スタディツアー「福島エクスカーション」で参加者らとディスカッションする開沼さん(中央)

Q. 事実よりも自分の考えにあっているかどうか、感情で議論がされていませんか?

――今は、事実とは関係なく、自分の考えに合っているかどうかという感情の部分だけで、議論が行われているように感じます。

そうですね、前提知識を持たずに発言しても、許されるような雰囲気がある。

前提知識が必要な場面として、例えば、「今の内閣総理大臣は誰ですか?」と聞く街頭インタビューをイメージしてみてください。間違った答えが返ってくると、笑いますよね。「押さえていないと恥ずかしい」という基本的情報がみんなで共有できているから、間違いを笑うことができるんです。

福島についての議論をみてみると、今は、間違った情報を発信する人を誰も笑わないという状態になっているのかもしれません。本の中で様々なデータを示しながら触れている通り、多くの人が持っている「イメージ上の福島像」と「現実の福島」はあまりに乖離している。私たちが持っている認識が正しいかどうかの判断ができるような教育を、誰もがきちんと受けているわけでもないし、知識を普及するようなメディアが健全に運営できている状況でもない。

そのため、人によっては「基本的な知識もないのだけれども、それで自分はいいんだ」という人もいるようですし、「福島は、今後どうなるかわからないからね」という言葉で、思考停止している人も見うけられます。しかしそれは、情報を消化することを怠っているだけ。自分がわかろうとしていないのに、「福島の未来は先行き不透明」と言っている状態ではないでしょうか。

一方で、間違った情報に対して突っ込む側もいないというのもあります。「どうなるかわからない」という意見に、きちんと反論できていない。「風評被害だ」とだけ言う人もいますが、反論を出すなら誰もが納得するデータを持って示さないと、「また安全キャンペーンか」「不安を口にするのを抑圧するのか」とかえって溝は深まる。一定の前提知識やデータがない中では民主主義的な議論は成立しません。

これまでの福島に関する議論は、民主主義的な議論とはなってこなかった。民主主義の基本は、一人一人が一定の知識を得られる環境――例えば、メディアや教育がその機能を担います――を整え、問題を理解したうえで議論を行い、それで賛成か反対かを判断できるということです。さもなくば、ポピュリストが示す「偽物の希望」やデマゴーグが示す「過剰な恐怖」に振り回されて社会は混乱し続ける。

知識が得られない状態が続くとどうなるかは、独裁制がまかり通った近現代を考えるとイメージしやすいかもしれません。知識がないことの危うさに気がつかなければいけない。まず、知識を得ようとすることが大事なのだと。

ただ、その前提となる情報が蓄積されて、学問として整えられる状況になったというのは、ここ1年の一番の進歩かなとも思います。

fukushima excursion tour
スタディツアー「福島エクスカーション」で現地の状況を説明する開沼さん

――データを示して論理的に発言したとしても、何だか自分が弱者をいじめているように感じる人もいるのでは。

確かに、「子供のことを考えて、危ないと言っている。いくら科学的に正しいとしても、万が一将来に何かあったら誰が責任を取るのだ」などと言われると、反論しにくいと感じる人はいると思います。また、これに賛成したり、反論したりすること自体、自分の政治的な立場を示してしまい人間関係に亀裂が生まれるのではと思って、明確に主張を持っていたとしてもそれを表明するのを躊躇してしまう人もいるでしょう。それが、「福島は面倒だ」と感じてしまう原因です。福島の問題を政治問題化してしまうことで「面倒」だと感じてしまうんですね。

もちろん、様々な感じ方をする人のために、選択肢を残すことは大切です。しかし、わかりきっていることに対してはデータを示して、間違いは間違いだと、毅然と指摘すべき時期に来ています。

もしくは、情報伝達のアプローチの仕方を考えるべきかもしれません。未だに、「3.11をきっかけに、福島では離婚が目立つようになった」「震災後、福島で流産が増えた」「福島のコメは誰も買わない」というような誤った情報がまことしやかに流れることもある。しかし、そういった流言は、実際のデータを見れば誤っていたり、ズレていたりすることは明らかです。

さらに言えば、これまで「情報公開が足りない」とか「行政・マスコミが隠蔽している」とかいう批判を元に「だから福島のことはわからない」という論調がありましたが、これも実際にデータを見に行っていない人の戯言です。事実を確かめるためのデータはいくらでも出ている。『はじめての福島学』を読んでその点を痛感したという感想も頂きます。「これだけデータがでているはずなのに、なぜ伝わっていないのか」という、さらに一歩先の問題だと考えるべきでしょう。

福島のことを適切に語れるようになること。これは日本の民主主義の再構築に直結する話です。多くの人が「面倒くさい」と引いてしまうような、声の大きい人が大した知識も持たずに誰かを糾弾し続けるような不毛な政治問題化を避けながら、そこにある普遍的な課題を知るべきです。

『はじめての福島学』では、福島について最低限押さえておくべき「25の数字」を挙げました。たとえば、マスメディアで福島のことを「復興が遅れている」「風化が進んでいる」などとしたり顔で語る人にこの数字を正確に把握しているのか聞いても、大体びっくりするような間違いだらけです。遅れているのはあなたの理解であり、風化が進んでいるのはあなたの頭の中の問題です。例えば、衆議院議員選挙のときにアベノミクスや集団的自衛権の問題が争点である、というのに「三本の矢ってなんですか?」「個別的自衛権と集団的自衛権の違いがわかりません」と報じる側が言っていいんですか、という話。そんなことでは民主主義が成立しない。最低限の知識、自分が価値判断をするための「ものさし」をまずみんなが持たなければならない。本書にある数字は共通の知識として民主主義的な議論を行う上での「ものさし」の役割をはたすものとなるでしょう。

ただ、福島を巡るデマ・俗説の類は、4年経ってさすがに減ったと感じます。当初あった、「危険を煽れば煽るほど正義の側に立てる」前提が徐々に正常化していった。データを示して発言することの必要性を考える人が増えてきた。

nuclear disaster food
『はじめての福島学』では福島を語るときに知っておきたいデータ「福島のコメは誰も食べないは本当?」も検証している(写真:Tomohiro Ohsumi/Bloomberg via Getty Images)

Q. 福島のことは、関係ないと思う人が、福島のことを考えるメリットは?

――お腹いっぱいだと思う人がいる一方で、そもそも、福島の問題は自分に関係ないと思う人もいると思います。福島のことを考えることで、何かメリットがありますか。

多くの人に「福島は特殊な事例だ」と思われているかもしれませんが、実は福島の問題を考えることは、日本全体で起こっている普遍的な問題を考えることにつながります。

例えば、「震災後、福島に住む人が減った」と想像している人がいるかもしれません。しかし、震災前後の人口減少率を福島県と他の都道府県で比べてみると、福島県はよく持ちこたえていると言えますが、福島県よりむしろヤバイ状況になっている県もあります。

また、「福島のコメは誰も食べない」と考えている人もいるかもしれませんが、福島県の米の生産高は震災が起こった2011年も全国7位。たしかに2010年が全国4位だったんで打撃はあったものの、生産量はその年を底として増え続けており、日本にとって不可欠なコメの生産地である現状が続いています。収穫高が減っている都道府県ばかりのなか、増えるというのは全国的に見て異常です。

課題は米価が下落していること。これは市場メカニズムがつくたもの。「福島のコメは誰も食べない」というイメージがその要因の一つでもあります。時間はかかるかもしれませんが、少しでも多くの方に正しい認識を持ってもらう中で状況の改善をしていくことができるでしょう。

これらの、人口減少や農業衰退は日本全体で起こっている問題であり、全国的なデータから福島の数字を見てみると、実は「福島だから」という話ではないことが見えてきます。震災前に福島が取っていた農業戦略が、震災後にどう変わったかを考えるのも、日本の課題を考える一つの方法かもしれません。

『はじめての福島学』で挙げた25の数字は、人口や農業だけでなく第2次産業・第3次産業を含め、いろいろな角度から福島を考えられるようなものを選んでいます。「福島=電力で成り立ってきた」は本当か、「飲食店は風評被害でダメだ」と一概に言えるのか、新たな観光客を呼び寄せた事例にはどのようなものがあるか、離婚・流産・先天性奇形は増えたのかなど、多角的な視点で数字を例示しました。これを、他の都道府県と比べてみることで、それぞれの県が抱えている問題も考えやすくなると思います。

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『はじめての福島学』では福島を語るときに知っておきたいデータ「いわき市のスパリゾート・ハワイアンズの観光客は震災前と比べてどれくらい?」も検証している(写真:Tomohiro Ohsumi/Bloomberg via Getty Images)

Q. これからの福島のことを考えたい。考慮しておくべきことは何ですか?

――興味がないという人がいる一方で、福島を応援したいと思う人もいると思います。震災から4年が経過した今、福島の支援を考える上で、注意しておくべき点や考慮しておくべきことはありますか。

考えておくべきことの一つに、持続的な支援をどのように行っていくかということがあります。2015年3月で、震災から5年目を迎えました。5年というのは政府が集中復興期間と定め、復興予算をつけた期間です。5年を過ぎたらこれらの予算が打ち切られることも考慮して、支援の問題を捉えなくてはいけません。NPOが現地で活動を続けるには、今、何をしておくべきなのか。研究者が今後も研究を続けるには何が必要なのか。もちろん、公共事業も大幅に減っていきます。その中で必要な物まで持続できなくなるかもしれない。どうするか。それを考えなくてはいけない時期だということです。

では、どのようなことができるのか。例えば福島大学では「めばえ助成金」という基金をつくりました。これは、音楽グループの「スターダスト☆レビュー」(スタレビ)が福島大学に寄付してくださったお金を基に設立したものです。スタレビとファンのみなさんが、福島大学にある「うつくしまふくしま未来支援センター」が取り組んでいる、福島の未来を担う子供や若者の学び・経験を促進する活動に共感してくださり、全国各地のコンサートで募った義援金や、チャリティーコンサートで得た収益金を寄付してくださったんですね。

福島における子供や若者の問題は複雑化する一方ですが、これまであげたように、社会においては福島への無関心化・忘却が進んでいます。子供や若者の問題は、これから中長期にわたって影響を考えなくてはいけません。今後のことにも対応するには、単発の寄附金などによる支援ではなく、持続的に支援の手を集めるための受け口が必要です。

気軽に、そして持続的に、支援を集めるために、この基金では「支援プロセスの可視化」を重要視することにしています。これまでの義援金では、寄付された金が本当に被災地のニーズに応えているのか、被災地においてどのように使われているのかわかりづらいという意見がありました。そのため、義援金が使われるプロセスを可視化させることが必要だと考えたのです。

県内各地の住民に話を聞きながら、今、地域やそこで生きる人々に必要とされているものが何なのかを明確にした上で基金を使う。使われるプロセス自体をインターネットなどで発信することで、自らの義援金が具体的に福島のために役立っているということが「見える化」される。さらに、プロセスを公開することで成功事例を真似しあうこともできますし、その結果、さらなる支援が集まり続けることも期待できます。

打ち上げ花火のように、支援を一回限りでやめてしまうのではなく、課題に応じて続ける。その方法を考えることも、今、必要とされていると思います。

開沼博(かいぬま・ひろし)
 
1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員(2012-)。経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員(2014-)。
 
東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『はじめての福島学』(イースト・プレス)『漂白される社会』(ダイヤモンド社)『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)など。

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