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【ロッテお家騒動】あなたが知らない「お口の恋人」の意外な素顔

2015年08月17日 01時58分 JST

経営権を巡る兄弟間の争いが続いているロッテホールディングスは、8月17日に臨時の株主総会を開く。創業者の重光武雄会長を、代表権のない名誉会長に据える人事が中心になるとみられる。2015年1月に日本ロッテの副会長を解任された重光宏之氏側からは、特に提案はなかったという。

経営権を握った重光昭夫氏と、その兄・宏之氏との対立が注目されるロッテだが、「お菓子の会社」「千葉ロッテマリーンズ」という以外は、あまり知られていない。その由来などを掘り起こしてみた。

■ロッテ発祥の地は焼け跡の石鹼工場だった

創業者の重光武雄氏(韓国名・辛格浩、シン・キョクホ)は1922年10月、韓国南東部の慶尚南道・蔚州(ウルジュ)郡の中堅農家に、10人兄弟の長男として生まれた。地元の農業学校を卒業した後、道立種畜場の技師として就職したが、畜産の仕事が気に入らず「日本の種畜場施設を見て回る」との名目で1942年、20歳で日本に渡った。日本では、朝は牛乳配達と新聞売り、昼は工場で働きながら夜は予備校に通い、早稲田大学に入学した。

太平洋戦争が勃発し、工場を建てて旋盤用の油の製造に乗り出したが、空襲で工場が2回全焼した。終戦後、再起を期して、東京都杉並区にあった焼け残りの建物に「光特殊化学研究所」を設立し、石鹼やポマード工場の経営に乗り出した。資材不足で石鹼は飛ぶように売れた。やがて進駐軍がアメリカから持ち込んだガムが流行すると、石鹼を煮る釜とうどんの製麺機で、ガムの製造に乗り出した。

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重光武雄氏(1991年撮影)(C)時事通信社

重光氏は1946年に早稲田大学の化学科を卒業。ガム製造が当たり、資金を稼いだ重光氏は26歳だった1948年6月、「光特殊化学研究所」を法人化して「株式会社ロッテ」を設立した。資本金100万円、従業員10人。社名は早稲田大学時代に愛読した『若きウェルテルの悩み』のシャーロッテにちなんだ。焼け野原だった東京・新宿に土地を買い、ガムの増産に乗り出した。

西部劇が流行すると「カウボーイガム」、巨人の長嶋茂雄が人気を呼ぶと「ミスタージャイアンツガム」など時流に乗った宣伝でヒットを飛ばし、また賞金1000万円の懸賞やミスコンテストなど、奇抜な宣伝で話題を集めた。終戦直後は輸入が難しかったガム素材「天然チクル」(中南米に生息する「サポディラ」という木の樹液を煮詰めたもの)の使用をPR。業界トップに上り詰めていく。

ロッテ・懐かしの新聞広告

■日本で稼いだ資金を韓国に注ぎ込んだ武雄氏

1965年6月に日本と韓国の国交が正常化すると、武雄氏は韓国への投資に乗り出す。1967年4月に韓国で「ロッテ製菓」を設立して菓子製造を始めたが、韓国で「日本で財をなした人物が、たかだか菓子製造か」との批判にもさらされることになる。1970年代からは本格的な事業の多角化を始め、1976年には石油化学会社を買収。1975年には4800万ドル(当時のレートで約173億円)の外資導入計画の承認を受け、1979年にソウルの一等地で高級ホテル「ロッテホテル」と、隣接する「ロッテ百貨店」を開業した。1989年7月にソウル南部でテーマパーク「ロッテワールド」をオープンさせるなど、総合財閥として拡大していく。

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ソウルのロッテ百貨店

■ロッテ球団買収を仲介した政界の大物

日本ではチョコレート、キャンディーなど主に製菓事業の充実を図っていた重光氏だが、1969年にプロ野球チーム「東京オリオンズ」を買収した。

経営難に陥っていた東京オリオンズ・永田雅一オーナー(大映社長)からの依頼を受け、売却先を探していたのは、岸信介・元首相だった。1969年1月の調印式に同席した岸氏は「多年の友人である重光氏の協力を得ることになった」と述べた。「ロッテ・オリオンズ」の球団副会長には、岸氏の秘書だった中村長芳氏が就任している。

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1974年10月23日、中日との日本シリーズ第6戦に勝ち、初の日本一に輝いたロッテ・オリオンズの金田正一監督(背番号34)ら=中日球場

■「兄弟争い」は日常茶飯事だった

重光武雄氏は当初、日本のロッテを10人兄弟のうち5人の男兄弟と共同経営していたが、2番目の弟・轍浩氏が、武雄氏らの印鑑を偽造し、武雄氏らの追放を図った疑いで1966年、ソウル地検に逮捕された。

1965年9月には、3番目の弟・春浩氏が即席ラーメン製造会社「ロッテ工業」を設立し、「ロッテラーメン」を売り出す。即席ラーメンは儲からないと見ていた武雄氏の反対を押し切って事業化したことで、2人の関係は悪化。「ロッテ工業」は1978年3月に社名を「農心」に変更。1986年に発売した「辛ラーメン」がロングセラーとなる。現在も、武雄氏が取り仕切る父親の法事に春浩氏が出席しないなど、冷たい関係が続いているという。

末弟(5番目)の俊浩氏は、かつてロッテグループの運営本部副会長だった。1967年の韓国ロッテ製菓設立後、商社や建設業など新規事業を拡大するごとに社長を務め、日本にいる武雄氏に次ぐ事実上のナンバー2として、韓国での事業を仕切ってきた。

しかし、1996年に不動産実名制が韓国で実施された際、俊浩氏名義の土地計約122万平方メートルを会社名義に変更したことに俊浩氏が反発して訴訟を起こした。武雄氏側は「日韓国交正常化前で日本からの直接投資ができなかった頃、事業のために弟名義で所有していた土地」と主張し、裁判は武雄氏側が勝訴した。俊浩氏は副会長から系列のハム・牛乳会社の副会長に追放され、その後、ロッテからも切り離された。

その後、武雄氏の次男・重光昭夫氏が2004年に「ロッテ政策本部」の本部長に就任、2011年に韓国ロッテグループの会長に納まるなど、韓国での事業を担ってきた。

■まぼろしの「ロッテワールド東京」計画

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韓国・ソウルのロッテワールド

韓国・ソウルでテーマパーク「ロッテワールド」を成功させたロッテグループは、東京進出の予定もあった。葛西臨海公園の北に位置する東京都江戸川区の約19万平方メートルの敷地に、直径約300メートルのドーム状のテーマパークと、地上51階建てのホテル、商業施設を建設する計画で、1997年に東京都に環境影響評価書を提出し、地元住民向けに説明会も開いていた。

計画では2002年までに工事を終わらせる予定だったが、2001年に「東京ディズニーシー」がオープンするなど、周辺のテーマパークの環境は大きく変化した。2015年8月時点で、予定地には「ロッテ葛西ゴルフ」という打ちっ放し場が建っているが、計画は進展していない。

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