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ミャンマーの歌姫アモンは「世界が近くなっている」と歌う

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ステージ衣装を身にまとうアモン。これは彼女が共同でデザインしたものだ。

ラキラ光るシマウマ模様のボディスーツを身にまとい、深い紫色の口紅をつけ、アモンはステージ上を歩き回り、踊った。

この24歳の女性歌手が人気のダンスミュージックを大声で歌い始めると、若い観客はワイルドな歓声を上げた。その叫び声は、大きな話題となったあのジャマイカ系アメリカ人、ショーン・キングストンが公演で叫んでいた以上の金切り声であった。

しかし、あなたがミャンマーの国家テレビで「ランウェイ・ガール・コレクション・ファッション & ミュージック・フェスティバル」を見ていたのなら、この国で最も人気のあるポップシンガーであるアモンの10月公演を知ることはできなかった。

アモンの出演場面は、テレビ番組からカットされてしまったからだ。「私の公演はあまりにも過激すぎると検閲委員会は考えたのだろう」と彼女自身が語った。

「私の場面がカットされたのは、衣装が理由でした」。11月、このフェスティバルが開催されたミャンマーの元首都ヤンゴンからのSkypeで語った。「(その衣装は)あまりにもセクシーなものだとみなされたのです」

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「誰もがお互いのことを知っています。私たちは皆家族みたいなものです」と、彼女の父が牧師として勤めていたカチン・バプティスト教会(Kachin Baptist Church)のことについて口にした。

「東南アジアの(世界的な歌姫)リアーナ」とも呼ばれることもあるアモンは、母国で圧倒的な人気を誇る。

ほとんどの人は、彼女が典型的な「ミャンマー出身の女性」ではないと思うだろう。彼女は多くの難題を抱えている北部カチン州の少数民族カチン族だ。

仏教徒が圧倒的な人口を占めるこの国で、キリスト教牧師の娘として生まれた。現地の人なら誰でも知っている音楽であるカバー・ソングスコピー・ソングともいう)で多くのポップシンガーが成功を収めている文化の中にあって、彼女は際立ってユニークなアイデンティティーを持ったポップ界のスターである。

この歌手の近くで多くの撮影時間を共にした、ヤンゴンを拠点とするフォトジャーナリストのアン・ワン氏は、「内部の視点を持って外部の視点からもミャンマーを眺められ、ビルマ語と英語で歌うアモンは、現在のミャンマーにぴったりと一致する魅力あふれる存在であると思う」と述べた。

「彼女の精神の内なる部分は今でもミャンマーですが、同時に外の文化にもつながっています。アモンはミャンマーの女性ですが、境界を押し広げ、新たなトレンドを作り出しているのです」と、ワン氏は先週、ハフポストUS版に語った。「彼女は古いミャンマーと新しいミャンマーの完全な混合です。変革をしているミャンマーの象徴なのです」。


抑圧的な軍事政権によって半世紀にわたって支配されていたかつての「のけ者の国」ミャンマーは、かつてはビルマとして知られていた。この国は政治・経済の改革が大きな動きとなり始めた2011年から変革の時を迎えている。

この11月には、この25年で初めてとなる普通選挙が実施された。ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が地滑り的な勝利を収め、多くの人に明るい未来の可能性を期待させるに至った。

ミャンマーでは2011年以降、観光が盛んになり、他国との関係も緊密になっているほか、複数の国との協力で存在感が増している。

こうした変化は現地のポップカルチャーや若者文化や音楽、アートに広く影響するようになっている。

デイリー・ビースト紙は2012年、この国で作られている「唯一のポップソング」は数年前まで「コピー・ソング」だけだと書いた。これは基本的にビルマ語で歌われるもので、ブリトニー・スピアーズやセリーヌ・ディオン、韓国の「Kポップ」といった世界的なヒット曲を臆面もなくコピーしたものだった。人気の「コピー・ソング」歌手ピュピュチョーテインは2012年、シドニー・モーニングヘラルド紙に対し、政治的に孤立していた数十年は「冷たくて暗い洞穴に閉じ込められていた」ようだったと語った。

彼女の「コピー・ソング」でさえ、幾度となく検閲を受けていた。「何度か歌詞を変えるように言われました」と、テインは2014年にブロガーのジェシカ・マディットに語っていた。

ところが、現在この状況は劇的に変わっている。

ャンマーはとても保守的な国で、時々息苦しく感じます

わずかとはいえ、検閲は緩んだ。ミャンマーは今でも、多くのメディアに対し世界の中でも最も厳格な規制を課している。音楽について言えば、この国でリリースされるオリジナルの楽曲すべてを検閲委員会が承認する仕組みがある。アムネスティ・インターナショナルは6月、ミャンマーのメディアが現在でも「恐怖感で抑圧されている」とコメントした。

しかし、いくらか状況は改善されている。歌詞の検閲はここ数年でかなり緩和されたと、ミャンマー・タイムズ紙のダグラス・ロング編集長はハフポストUS版に語った。多くの地元アーティストが歌詞を自作するようになり、徐々にではあるが自己表現する余地が与えられるようになっている。

ヤンゴンを拠点とするロックグループ「サイド・イフェクツ(Side Effects)」 のリードボーカリストであるダルコ C(Darko C)は、11月に行われたロサンゼルス・タイムズ紙とのインタビューの中で、彼のバンドが社会的な規範に挑み、自分たちの政治見解を主張するのに音楽をどのようにして活用してきたかを語っていた。そして彼は、それは数年前には考えられなかったことだとも述べた。

アモンもまた、女性ミュージシャンの衣装についての検閲がかなり厳しかったときのことを覚えている。「色のついたウィッグでさえ付けることができなかったのです」と、この国で最初の女性だけのポップバンド「タイガー・ガールズ(Tiger Girls)」にいた初期の時代を思い出しつつ語った (このバンドは、最終的には公演中に鮮やかな色のヘアピンをつけて歌った最初の音楽グループとなった)。

だが、少しずつ変化はみられるもののミャンマーの監視は弱まっていないとアモンは語る。「ミャンマーはとても保守的な国で、時々息苦しく感じます。何をするにしても検閲があります。何かを着るとき、何かを言うとき、いつも検閲を気にしなくてはいけません。セクシーになりすぎてはいけませんし、この国の文化に相応しいものでなくはいけないのです」。彼女はそう説明したた。

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ヤンゴン中心部にある古代仏塔スレー・パゴダの前でミュージックビデオを撮影するアモンと仲間のダンサーたち。

アモンはタイガー・ガールズ(のちにMe N Ma Girls=メンマ・ガールズに改名)に参加した2010年から、ミャンマーの音楽シーンの境界、そして検閲の忍耐力を外へ押しのけている。

この国で初めての女性だけのポップグループで最初に公演をした時、このバンドはミャンマーでユニークであると同時に論争を巻き起こすグループだった。アモンと彼女のバンド仲間は「ミャンマーでのポップミュージックの『ゲームスコアの上限を引き上げる』ことに熱中していたようでした」と、ロング編集長は語った。彼らはありきたりでない挑発的な衣装と「セクシー」な振付で保守的な社会を刺激した。また、歌詞は多くの「コピー・シンガー」の慣行に反して自作し、あえて政治的な内容に踏み込んだ。例えば「Come Back Home(帰っておいで)」という歌は、ミャンマーの難民を歌にしたものだ。

言論の自由が今まさに始まります」と、アモンは2012年にデイリー・ビースト紙に語った。「私たちは世界に伝統文化を紹介したいと思いますが、一方で、私たちの国は閉じていない、貧しくない、後ろ向きな国ではないことも証明したいと思います。状況が変わっていることを伝えたいのです」。

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ヤンゴンでの撮影の合間に休憩するアモンとダンサーたち。

目立っては押し戻されるのを同時にするのは楽しくもあり難しくもあると、メンマ・ガールズが解散した後、2014年からソロ活動を行っているアモンはそう話した。

彼女が選んだキャリアパスを、キリスト教の牧師である父が受け入れるよう説得するのには苦労したという。それに、彼女のあけすけなで、かつ「セクシー」な見た目に対するひっきりなしの非難に耐えるには、相当のスタミナと情熱が必要だ。

「この尻軽のビッチ女、この国から出ていけ!などといったひどい言葉を聞くのはショックでした」と彼女は語った。しかし「自分は何も間違ったことをしていないのだと自問しました。そして、そう、私はただ正直に自己表現しているだけだと分かったのです。私はこの国が好きです。私はこの国の文化を愛し、人には違った意見があることを尊重します。でも自己表現が悪いことであってはいけません。自分の性的なところを表に出してもいいですし、自信を持っていいのです。ただ自分らしくあることです」。

アモンが10月にミャンマー・タイムズ紙に語ったところによると、ヤンゴンのロイヤルホテル主催のコンサートを最近中断されられたという。その理由は「肌の露出が多すぎると主催者に判断されたためでした」。

「歌を中断し、私をステージから引き下ろしたのです。この国でその衣装は問題ありと判断されたのです」と彼女は述べた。

ミャンマーの多くの人はビヨンセやケイティ・ペリー、ブリトニー・スピアーズなどアメリカやヨーロッパのポップスターのファンではあるが、アモンによると人々は別の基準を持っていて、彼女はそれに悩んでいるという。「あなたはミャンマーの女性なのだから、それらしい行動をすべきだと言うのです。だから私はいけないことをしている人になっています」。

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「私は実にラッキーです。自分のしたいことが若い頃に見つかりましたから。私は国際的なスターになりたかった。それになるには自立した生活ができるようにならなくてはいけませんでした」とチャリティー公演のためにヤンゴン郊外に向けてドライブしていたアモンは語ってくれた。

状況は好転しているとはいえ、音楽で生計を立てていくのはミャンマーではかなり困難だ。資金を稼げる機会がほとんどなく、業界のインフラも不足している。ダルコ Cがロサンゼルス・タイムズ紙に先週語っていたように、「ここで音楽を作るのは情熱だけではだめです」。

そのため、実行するには時に犠牲を伴う。そしてかなりのファイトも必要だ。

アモンはその最たる例だ。

昨年、彼女は2014年版のソロアルバム「Min Pay Tae A Chit」をリリースした。彼女自身語っているように、ここではアルバムを仕上げるときの周辺作業的から、マーケティングやプレスリリースの執筆など、多くの仕事をこなさなくてはならなかった。

録音した音楽からの儲けはほとんどなく、コンサートから得られた収益の全てを自身のキャリア形成に注いでいるという。

写真家のアン・ワンは、いまミャンマーにいる多くの若者と同じように、アモンは「何か事を起こしたい」類の人だと話した。

「他の地元エンターテイナーやスケートボーダー、テック業界の若い人たちをご覧になって下さい。彼らは適切なメンターや所属すべき場所へアクセスできません。でも何か動きを起こしたいと思っているのです。YouTubeから学び、西洋のテレビ番組から学んでいます。正しく受け止めていないかもしれませんが、正しい方向に向かっていることは分かっています」とワンは述べた。

アモンは正式な訓練は受けていない。彼女は教会音楽で育ったが、母国が世界から孤立していたために、西洋音楽への唯一の扉は地元の店で何とか見つけた数枚のCDやDVDだけだったと回想した。

「私はマイケル・ジャクソンで大きくなりました。彼のダンスの動きを観て、彼の音楽を聴き、そうしてポップミュージックやダンスを学んだのです」と、アメリカのテレビ番組や映画を観て英語も学んだアモンは述べた。

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「人生の中でいくらか公演活動をしていると、ステージ用のメーキャップなど身の回りのことも学べるようになります」と、ヤンゴンの自宅でアモンは語った。

ロサンゼルスを拠点とするエージェンシー「パワー・ミュージック」に所属しているアモンは、年に数回、ミャンマー国外に出る。彼女はこの旅について、楽しみとプライドを味わえる時間だと表現している。おそらく、羨望の眼差しも受ける。

「音楽をするのにロサンゼルスに行ってそこで住めばどうなるのだろう?それがバンコクだったら?と、時々思ったりもします。その方が楽なのでは?検閲もないし、多くの自由がそこにはあります」と寂しげに話を始めた。

ところが、こうした野性味あふれる都市の魅力は相当なものであるにもかかわらず、アモンはヤンゴンを去るつもりはないと断言する。彼女には、いまここにいる場所で違いの出せることをするのが幸せなのだと話す。

「この国はまだ外の世界に対して閉じているところがあります。現在、私にはロサンゼルスで音楽を録音し、ノルウェーで活動を行うチャンスがあります。こうした機会に感謝していますが、私はそれを自国に持ち帰りたいと思っています。ファンの方と共有できますし、彼らに大きな夢を見てもらうよう促すこともできます。この国の人でも大きな夢を見てもいいことをファンの方に知ってもらいたいです」。10月にソロアルバムをリリースしたアモンはそう語った。


彼女はこうした感情を「ミャンマー」という2014年のヒット曲で表現した。

「世界が近くなっているのが分かります。それはきっといいことなのでしょう。でも、わが家のあるこの美しい場所はそのままでなくてはいけない……輝ける日が来ても、自分の道を見失ってはいけない……」と歌っている。

「私はただミャンマーにいて、ここから自分の音楽を発信したいです。ゆくゆくはこの国が成長をして、ミャンマーはここだよと地図の上で指を指さなくてもいいようになればいいですね」と、彼女は笑みを浮かべながら語った。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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