「震災後、何かしたい気持ちずっと...」院長死亡で常勤医ゼロの福島・高野病院、2カ月限定の医師赴任へ

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福島・高野病院で2カ月間院長として勤務することになった中山祐次郎医師(左)と高野己保事務長 | 高野病院を支援する会
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東京電力福島第一原発から約22キロに位置し、事故後も避難せずに診療を続けてきた高野病院(福島県広野町)は、唯一の常勤医だった高野英男院長(81)が2016年末の火災で亡くなったことにより、入院患者約100人を抱えながら、常勤医が不在の状態となっている。

診療継続のために設立された医師らのボランティア「高野病院を支援する会」は1月11日、2~3月の2カ月間限定ながら、院長として勤務する常勤医が見つかったと発表した。同病院に赴任するのは、中山祐次郎医師(36)。中山医師は、ハフィントンポストの取材に対して「震災後、医師として被災地の支援ができなかったという気持ちがずっとあった」と、高野病院での勤務を希望した理由を話している。


−−なぜ高野病院での勤務を申し出たのでしょうか。これまでも被災地とご縁があったのでしょうか?

いえ。私は恥ずかしながら、東日本大震災から一度も被災地で医師としての支援活動をしたことはありませんでした。そして、それがずっと気がかりだった気持ちがありました。高野病院が危機的な状況であるということは、年末からネットなどで知っていました。「誰かが行かないとマズイだろう」と思い、1月6日に初めてメールを送りました。それからすぐに、現地に行って、勤務することが正式に決まりました。ただ、私が高野病院に勤められるのは、たった2カ月なのです。今の勤め先にも迷惑をかけてしまったのですが、それでも何かお役に立てればと思いました。

−−現地に行かれて、病院の状況をどうご覧になりましたか?

高野病院は地域にとって水道や電気のようなインフラの一部。地域の人々が生きていく上で必須の病院だと感じました。80歳を超えて、内科診療も救急もこなしていたという、(亡くなった)高野院長はあまりにすごかった。衝撃を受けました。職員の方々からも、「この病院を残さなければいけない」という気持ちを強く感じ、それにこたなければいけないと感じました。

      ◇

中山医師は、現在は都立駒込病院の外科医として勤務している。元々、4月から福島県内の別の病院に勤務する予定だったが、予定より早く現在の勤務先を退職し、2カ月の間、高野病院で院長として勤務する。当直などを担う非常勤医師らとともに、高野病院で診療にあたるという。

■4月以降はまた常勤医不在に

病院のある広野町は1月9日、ふるさと納税を利用したクラウドファンディングによる支援金の募集を始めた。11日夕方の時点では、目標金額として設定されていた250万円を上回る400万円以上の支援が集まっている。支援金は遠方から駆けつける医師らの交通費と宿泊費として使用され、目標を超えた分は町の地域医療の費用として活用されるという。

一方で、4月以降は引き続き常勤医は不在の状態となり抜本的な解決に至ったわけではない。

「支援する会」事務局長の尾崎章彦医師(南相馬市立総合病院)らは、「常勤医が決まったことは喜ばしいが、これはゴールではなくようやくスタートラインに立ったというのが実感。県や国には、2カ月間の猶予の間に、この地域の医療体制をどう立て直していくのかしっかりとした方針を立ててほしい」と話している。

■高野病院とは

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高野病院

高野病院は、原発から南に約22キロの広野町にある精神科・内科の私立病院。

広野町は原発事故により、全町に対して避難指示を発令(2012年3月末に解除)したが、ほとんどが高齢の入院患者約100人を抱えている高野病院は、患者の移動には重大なリスクがあると判断し、全町が避難した中でも、その場にとどまって診療を続けていた。

原発が位置する双葉郡内では、現在、唯一の入院できる病院で、亡くなった高野院長がただ一人の常勤医だった。

現在の広野町には、帰還した住民だけなく、除染や廃炉の拠点として多くの作業員が住んでいる。高野病院は、そうした復興を支える人々に対する医療も提供している。

また、双葉郡内の近隣の自治体では、2017年春にも一部の地域の避難指示が解除され、住民が帰還できるようになる見通しだ。高野病院は、帰還後の避難区域の生活インフラとしても重要な存在となる。

一人で奮闘を続けてきた高野院長が命を落としたのは、2016年12月30日夜。診療を終えた高野院長が、病院敷地内の自宅に戻ったところで火災に見舞われた。以降、病院は唯一の常勤医を失ったことにより、存続の危機に立たされている。

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