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タイで暮らして5年。70年前の書籍『菊と刀』から気づく、自分のルーツと世界との差

ぜひ一度、ご自分の文化を客観視してみることを薦めます。

2017年09月30日 14時05分 JST | 更新 2017年09月30日 14時05分 JST

かれこれ海外で生活して5年が経過しました、つっちーです。5年も海外で生活をしていると、たとえタイとはいえど、さまざまな世界を垣間見ることができます。

首都バンコクでは、ローカルの町並みに市井の人々と外国人が住んでいたり、もはや日本人居住区と名高いプロンポン地区、アラブ人街で中東の香りが漂うナーナー駅周辺、一歩足を踏み入れば90年代の香港のようなヤワラート・チャイナタウンなど様々な人で入り乱れています。

人種別でなくとも、階級、セクシャル、思想、宗教等、ここバンコクはさまざまな場が用意されていて、各人が自然ににおいを嗅ぎ分けて自分の応分の場(落ち着く先)を見つけることができる街だと感じます。

海外に初めて出た方は「日本のルールが通じない」「日本ではこうなのに、どうしてこの国はこうなの?」とはじめは悶々とすることもあるのではないでしょうか。特に、現地と深く関わり合う駐在員や現地採用者では尚更のことでしょう。または、世界的に見て日本は一風変わっている、という発見をした方もいるかもしれません。

ある本との出会い

つっちー

日本にいた頃から自身の応分の場(落ち着く先)を捜し求めていた僕は、以前とある本に出会いました。第二次世界大戦の終戦前後に、アメリカ人文化人類学者により編纂された『菊と刀』という本です。

本著は約70年前、しかも戦時中とあって日本国内で調査ができなかったにもかかわらず、なかなか本質を突いた日本人論が展開されています。自分がなんとな~く違和感を覚えていた日本のこと、当たり前だと感じていたのに実は諸外国では当たり前ではなかった考え方などがたくさん出てきます。

僕個人の主観も入りますが、海外に深く関わる方々にとって少しでもお役に立つよう、共感ポイントをご紹介しますので、ぜひご覧ください。

「恥を知れと言われるか、審判が下されると言われるか」

つっちー

「日本の文化は、恥の文化だ」と『菊と刀』ではまとめられています。

この「恥の文化」という言葉を見て、僕は日本にいた頃、行動の規範が恥であったことを思い出しました。「周りに見られると恥ずかしいから、してはダメ」「完璧なものではないから人にお見せするのは恥ずかしい」とか、「海外に出てまともな仕事をしていないのが恥ずかしくて親に顔向けできない」とか、「男なのにリカちゃん人形で遊ぶなんて女々しい。男の子として認められない」(実際に遊んでいました 笑)等、数々の文脈には何かしら「恥」が含まれていたのです。

日本人が型にはまるのにも理由があり、それは「応分の場」をもつ人々の特性に合わせているからです。例えば男性ならスポーツに励み、大学を出たら黒スーツを身にまとって就職をし、女性と結婚し、家や車を買って家族を養う......という型のようなもの。この型から逸脱すると、男として立場を弁えていないと見なされる一般論があります。

この立ち位置、他にも義理や忠誠など多々ありますが、これを守れない人は世間に顔向けできないと周りからレッテルを貼られるどころか、自分自身にも貼ってしまうのですね。これが恥の正体の一部です。

一方、西洋は違った考え方をします。それは罪の意識です。西洋、特にキリスト教圏では「人は神の前では皆平等」となります。

そこに価値観として強く根付くのは、恥じらいよりも善悪です。僕の相方(フィリピン人)と僕とで価値観が著しく違うと感じたのがこのポイントで、フィリピン人はカトリックが多いからか、西洋的な考え方ももち合わせているのですが、彼と僕とでよく対立するのは「その行為は善になるのか、それとも恥か」という点です。

例えば、僕が昔リカちゃん人形で遊んでいた話では、僕は「自分は男の子なのに、女の子が遊ぶためのリカちゃん人形で遊ぶのは、世間から見て立ち位置が違うから恥ずかしい」(とか言って結局遊んでいたのですが 笑)という意見をもっていました。一方、彼の意見は「自分が好きなもので遊ぶことと世間体は関係がなく、大事なのは自分の心がどう感じるか。罪悪感がないのであれば恥ずかしいことではない」というものでした。

「上下関係のない馴れ馴れしくも打ち解け合う感じ」

つっちー

日本人と出会ってまず聞くことといえば、おそらく名前の次に年齢、職業、職位などではないでしょうか。そして、相手の年齢やステータスを前提に敬語や自身の立ち振る舞いを使い分けることで、相手に失礼にならない、自身も恥をかかないことが美徳でしょう。僕自身、日本で生まれ育っただけに、それらを守ることが人と関係を作る時の前提としてありました。

しかし、イギリス、タイで暮らしてさまざまな国籍の人々と関わりをもってきて、ひとつ全く無駄だったと感じたことがあります。それは年齢に関する質問です。

過去、特に欧米の方と話す時に、目上、目下といった立場を気にしすぎて緊張した経験があります。タイにおいても、先輩、年長、両親へ尊敬の念を表す場面はありますが、日本の比ではありません。Mr.をつけて呼ばなくてもいい上司に対していまだにMr.と呼んでしまうこともしばしばです。

「すみません」の危うさ

つっちー

僕が海外に出て最初に疑ったのが、この言葉でした。

表している気持ちは感謝でも、英語に直すと"Excuse me." もしくは "I'm sorry."。

そう、謝罪になってしまうのです。ハンカチを落としたのを快く拾ってくださった方に思わず"Sorry."と言った時の、相手のキョトンとした顔が忘れられず、自問自答していたら、『菊と刀』にはこんな記述がありました。

「『すみません』は多分、日本で感謝の気持ちを表すのに一番よく使われる言い回しであろう。『すみません』という言葉によって、こちらもちゃんと認めているということが相手に伝わる。何を認めているのかといえば相手から恩を受けたこと(中略)では済まないということである。」

「すみません」を英語に直訳すると、何に対して謝られているのか相手は謎に思うでしょう。むしろこちらが何か悪いことをしたのかと疑われることもあったので、僕もむやみにSorryを使わなくなりました。

最後に

つっちー

自身の根深いオリジンを知ることは、自分をがんじがらめにしていた縄の解き方を知ることにもつながります。身動きが取れない原因が分かっていても、解き方を知らなければ結局苦しむことになりますからね。

今後海外に出ようという方、日本で「何か自分って変だな」と感じている方は、ぜひ一度、ご自分の文化を客観視してみることを薦めます。大切な何かを見つけることができるかもしれません。

Ambassadorのプロフィール


つっちー

つっちー

京都府出身。小さな頃からの"外部"との交流やLGBTとして過ごした経験から、心理学や国際政治、哲学に興味を持ち、在学中はイギリス、タイに留学。現在は、タイのコンサル会社にて日本人とタイ人をつなぐコーディネーターとして日々邁進中。将来は世界の人々に対して、有益な情報を啓蒙をするお仕事に携わること。