内科から産科まで。働きながら離島・へき地で必要な技術を学ぶプログラム

2017年4月、日本の離島の病院に勤務しながら、内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産科の6科を同時に研修できる教育プログラムが始動しました。

離島へき地医療を支える集団をつくりたい

2017年4月、日本の離島の病院に勤務しながら、内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産科の6科を同時に研修できる教育プログラムが始動しました。「日本版離島へき地プログラム:Rural Generalist Program Japan」は、約10年沖縄県や鹿児島県で救急医として活動してきた齋藤学先生の熱い想いで、豪州のへき地医療学会の協力のもと実現に至りました。このプログラムでは、どのようなことが学べるのでしょうか。また、齋藤先生がこのプログラムにかける想いとは―?

日本と豪州のへき地医療を学べる15カ月プログラム

―2017年4月から始まった離島での教育プログラムについて教えていただけますか?

「日本版離島へき地プログラム:Rural Generalist Program Japan」という、働きながら内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産科の6科と豪州へき地医療研修が受けられるプログラムです。1期生は7名、4~12年目の医師たちに決まりました。目的はそれぞれ、「豪州留学の足掛かりにしたい」「自分の地元で同じような教育プログラムを立ち上げたい」「離島で医療技術を磨きたい」ということでした。

プログラム期間は15カ月。最初の12カ月は、4名が長崎県中通島の上五島病院で、2名が鹿児島県徳之島の宮上病院で、1名が千葉県銚子市の島田総合病院で、通常勤務をしながら学びます。両島は人口2万人を超える大きな島です。3医療機関とも多様な症状の患者さんが来る忙しい環境の中で、先ほど挙げた6つの科で医療技術のトレーニングを積んでもらいます。

そして、残りの3カ月は豪州研修です。豪州へき地医療学会をはじめ、豪州総合診療学会のへき地医療部会、豪州へき地医師会、そしてへき地医療をアカデミックに牽引するジェームスクック大学が、日本で行う実習も含めて全面的に協力してくれています。さらにノルウェーの離島やバヌアツ、モンゴル、フィリピンのレイテ島など、次々と発展途上国にも協力施設が増えきていて、それらの施設での短期研修も可能です。

―なぜ豪州医師の協力を仰ぐのですか?

豪州も10年前は日本と同じように、深刻な医師の偏在という課題を抱えていました。しかし、総合診療医と呼ばれる専門医へのゲートキーパー役を担う医師(general practitioner:

GP)の教育プログラム「rural generalist training program」を確立、GPが全医師の4割を占めるようになり、へき地の医師不足が解消しつつあります。

この豪州のGP育成プログラムは、医学部卒業後1年間のインターンを終了した医師であれば誰でも受けることができます。4年コースで、1年目は地方都市の病院で内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産婦人科を回ります。2, 3年目でへき地の診療所や小規模病院で研修を受け、へき地に求められている医療を知り、また、自分に足りない医療技術を把握。4年目でもう一度地方都市の病院に出向いて自分の足りない技術を習得し、プログラムを修了した医師は、再び地域に戻っていきます。

わずか10年でへき地医療の課題を解決へと導いている教育プログラムを率いている豪州へき地医療のベテラン医師から、そのエッセンスを存分に教えてもらうことで、より効率的に内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産科の医療技術を習得できます。そうすることで日本の離島やへき地で、一人でも自信を持って診療に当たれる医師を育成できると考え、全面的な協力を依頼しました。

―「日本版離島へき地プログラム」では、具体的にどのような教育が受けられるのですか?

日本にいる12カ月間は日常診療で内科、外科、救急科、麻酔科、小児科、産科を学びます。その現場で起こった症例について、私や豪州人医師とインターネットを介してディスカッションすることで、日本・豪州それぞれの対処法を学んでいくことがメインですね。これは、月に1回のペースで行います。

あとは豪州人医師が月1回送ってくれるブログやポッドキャスト、ビデオクリップ、スライドなどのコンテンツで医学知識の基礎を深めていったり、英語のトレーニングも行ったりします。もちろんインターネットを介したディスカッションだけではなく、直接指導や相談を受け付けられるように、豪州人医師と私で交互に両病院を定期訪問する予定です。

-離島の病院で働きながら、6科の研修が受けられるのは魅力的ですね。

そうですね。研修生の給料と授業料・契約料は病院側が支払います。給与は学年により差がありますが、卒後7年目で額面上毎月80〜100万円程になり、また、離島では生活費や住居費が安いので生活には困らないと思います。3ヶ月の短期留学時には毎月の給与に加え、最大50万円まで支給されますし、年1回豪州への学会参加には30万円の渡航費援助をするようにしています。

一人で何でも診られる医師の集団が必要

―どのような経緯でこの離島へき地医療の教育プログラムを立ち上げたのですか?

医学部卒業後、私は何でも診られる医師を目指しトレーニングを積んできました。ある程度知識も技術もついてきた医師10年目に離島の病院で診療にあたったところ、全く歯が立たなかったことがきっかけです。「医師としての10年間は一体何だったんだろう」ととても悔しく、同時に「後輩に同じ思いをさせないように、離島で一人でも自信を持って医療を提供できる技術を効率的に身に付けることができる教育環境が必要だ」と思ったのです。

一方で、ある離島唯一の診療所を一人で守っていた医師が怪我をして、急きょ私が代診に行ったことがありました。私に依頼するまでに、10人を超える医師に連絡をしたのに全然決まらなかったそうです。私が行き診療所スタッフはじめ住民の方々の安堵の顔を見た時、離島やへき地の医師に万が一のことがあった際にすぐ駆けつけられる医師のネットワークを作る必要性を感じたんです。

離島でもしっかりとした医学教育が受けられるような体制を作ることと、離島で一人でも自信を持って治療できる医師をプールし、一人の医師が「片道切符」で離島に行くことにならないようにすること、これらが実現できれば、離島の医師不足は解消に向かうのではないかと考えました。その仕組みづくりを行うため私はフリーの医師となり、合同会社「ゲネプロ」を立ち上げここまで歩みを進めてきました。

新たな試みにかける3つの想い

―今後、この教育プログラムはどのように発展させていこうと考えていますか?

嬉しいことに少しずつ知名度も上がり、1期生は4名を想定していたところ7名が確定しました。ただ最初は物珍しさから注目されると思うので、2018年4月からの2期生確保が勝負だと思っています。2期生は12名の募集を考えていて、2017年4月の時点では6名が内定しているので、残り6名の確保に注力しています。

目標は、10年で100人の卒業生を出すこと。日本版離島へき地プログラムで経験を積んだ100人が全国各地に散らばって、それぞれの地で活動すれば社会が変わっていくと考えているからです。そして彼らがどこかの離島へき地の医師に万が一のことがあったら、すぐに飛んで行ける。卒業生でそのような集団を作りたいですね。

最終的には、この教育プログラムはなくなっていいと思っているんです。なくなることが理想といいますか、学会や国のプログラムとして昇華させたいのです。総合診療プログラムを修了した医師たちの総仕上げの場としてこのプログラムを位置付け、ここを修了した医師は自信を持って途上国やへき地に行ったり、緊急で代診が必要な地域に行ったりできるような制度へと発展させられることを願っています。

―その他に思い描いていることはありますか?

「無医村に行きたい」「途上国に行きたい」との夢を持って医師を目指す人たちは一定数います。しかし、研修医になると日々の業務に忙殺され、目の前の患者さんのことでいっぱいいっぱいになり、気付くと夢の実現にチャレンジしにくくなっている――。もちろん目の前の患者さんに集中することはとても重要なことです。しかし夢を諦めてしまうのはとてももったいないと思うんですね。

ただ現実的に考えると今の仕事や生活環境全てをリセットして、夢にチャレンジすることは難しいです。だからたとえ100%実現できなくても、例えば「1カ月だけ離島やへき地の医師をサポートしに行く」「1週間だけ途上国の医療に貢献しに行く」という選択が可能で、夢の7割程度を実現できれば本人の満足度も変わってきますし、離島やへき地に来てくれるのであれば、現地の住民や医療者にとってもメリットです。

このような「夢のつまみ食い」が気軽にできるように、今回始める教育プログラム以外にも、さまざまなプログラムをつくっていきたいと思っています。

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■医師プロフィール

合同会社ゲネプロ 齋藤 学

2000年順天堂大学医学部を卒業、千葉県国保旭中央病院にて研修。2003年から沖縄県の浦添総合病院、鹿児島県徳之島徳洲会病院などに勤務し、2015年合同会社ゲネプロを設立、代表に就任する。2017年4月から「日本版離島へき地プログラム」をスタートさせた。

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