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サイボウズ式:僧侶が大企業病になっている?──『ボクは坊さん。』白川密成×サイボウズ青野慶久

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左) サイボウズ株式会社 代表取締役社長 青野慶久、右)四国八十八カ所霊場57番札所 栄福寺 住職 白川密成、共に愛媛県今治市玉川町の出身

2015年秋、映画化された『ボクは坊さん。』。原作者の白川密成さんとサイボウズ代表取締役社長 青野慶久、白川さんファンでサイボウズLive開発責任者の生江憲治との語らいを 前編に続いてお届けします。

後編では「欲」をどう考えるのか? といった問いや妻子がいて堕落仏教といわれることについての見解、個と組織、チーム運営について語り合います。

ストイックすぎず中道をいく


白川:仏教用語は意外と生活に残っているんです。出世も「世間から出る」という意味で、社会的な枠組みから自覚的に外れようというのがもともとの意味です。

だから社会的に高い地位に上がるといった今の使われ方とは逆ですよね。他にも色々な意味のある言葉ではありますが。

生江:どちらかというと、縛られる方向にいっていますね。

白川:「こだわり」という言葉も仏教にはかなり縁が深い言葉です。「あの人はこだわりのある人だね」といい意味で使っていますが、仏教ではこだわらないほうがいいとされる。どちらかというと外し、手放していくのです。

僕が仏教で好きなシーンがあります。仏陀が身体的にとても厳しいガチな(笑)修行で衰弱し痩せ衰えているとき、スジャータさんという女の子が牛乳で作ったおかゆを運んでくるんです。それによってお釈迦様は身体を救われる。

その時、お釈迦様は、ミルクを「おいしい!」と思ったと僕は思います。極端な修行主義でも快楽主義でもない道を行こうと決めたシーンです。そのストイックすぎない中道をいこうというのが仏教です。両極端を避ける。

青野:そういう考え方なんですか。

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白川密成: 1977年生まれ、高野山大学密教学科卒業。 地元の書店で社員として働いた後24歳で栄福寺住職に就任。2001年より糸井重里主宰の人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」において『坊さん。』の連載を開始。2010年『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年秋から上映されているお坊さんエンターテイメント映画『ボクは坊さん。』の原作者。

白川:四国遍路や密教もすごくミクスチュアな世界です。仏教の伝統に民間習俗だとか日本の神様とかを、取捨選択してうまく混ぜ合わせた感じがあるんですね。それでなおかつ洗練という働きも同時進行で行われている。

青野:ガチの仏教ではないんですか?

白川:ガチの仏教で歴史的な仏教の正当な流れのひとつだと僕は考えています。ダライ・ラマが著名なチベット仏教も密教です。その密教というのは周りのものをどんどん取り込んでいった。曼荼羅(まんだら)にはヒンズーの神も入っています。他宗教の神をまつっているのは、宗教の中で異常といえば異常なんです。だから地域にもつながるし、愛、つまり欲という世界にも必然的につながっていくんです。

もともとの仏教は「欲から離れるもの」だったのが、それをベースにもちながらも、新しい対話が始まる。

小欲ではなくて、大きな欲を育てよ


青野:出世とは、もともと仏教では世の中から離れることだという話でしたね。確かに世の中の雑多なことから離れると、精神的に落ち着く気がします。ただ、それはそれで何か自然な形ではないですね。

仏陀が修行中に牛乳を飲んで「おいしい」と思ったように、私も自分の欲求を出したいなと。意思決定の時はそれが必要だと思うのです。「こうしたい」という思いがないと意思決定はできないですよね?

白川:無我の中に、私がいないと。ただ無我を知っている私は普通の価値観とは、ちょっと性格のちがう「私」ですよね。

青野:そうです、そこに私がいる。自分はこう生きたいと気づく。逆にそれ以外のことはあきらめる。僕にとっては覚悟です。

僕はグループウェアで世界中のチームワークを高めたい。そこには徹底的に欲をだす。もう超エゴイストです。その欲に沿って指揮をとっています。こんなことを仏教では表現されているんですか?

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青野慶久:1971年生まれ。サイボウズ株式会社代表取締役社長。今治西高校、大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現任)。3児の父として3度の育児休暇を取得。著書に『チームのことだけ、考えた―――サイボウズはどのようにして「100人100通り」の働き方ができる会社になったか-青野-慶久/dp/4478068410" target="_hplink">チームのことだけ考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

白川:「チームワークを高めたい」というのは基本的に「いい欲」ですよね、それは密教で言う大欲(たいよく)につながると思います。「小欲ではなくて、大きな欲を育てよ」と師から繰り返し伝えられました。

僕の問題意識ともすごく重なります。そこでヒントになるのは今の日本の仏教の形じゃないかなと。僧侶が家族をもっている日本の仏教の形って、グローバルスタンダードからみると特殊なんです。チベットの一部などにも妻帯する密教者はおられますが。

それは堕落仏教だとよく言われるんですね。僕自身もそう思っていた部分がありました。0歳と3歳の子供がいて尼さんの妻がいて。でもそこで胸を張りたい自分もいるし、現在の日本のお坊さんの形態は、なんというか日本人全体が「選んだ」ような気もしているんです。

堕落仏教といわれるけど、今青野さんがおっしゃっていたように世俗と混じり合って「無我の中に私がいる仏教」という部分を大きなテーマに掲げられる可能性を持った極めてユニークな仏教の形が、現代の日本仏教とも言える。

青野:おもしろい。

無我の中の私を見つめたい


白川:世界で比類のない仏教とも言えるわけです。これから花開く可能性だってあります。在家仏教という言い方も元々あります。

それで「これぞ日本のオリジナル仏教!」みたいにいっちゃうと、「いやそれって仏教じゃないよ」と不毛な議論になっちゃうので。ちょっと引いた目線で「途中の仏教」とカッコつけていったりしているんです。もちろん一方で、既存の仏教が、現在、厳しい目で見られ、岐路に立っているという前提は、あります。

僕は無我の中の私を見つめたいんです。仏教では「大欲清浄」という言葉もあります。突き抜けるほど大きな欲は清浄であり、美しいのです。

そこだけを読んで、すべてを理解しようとすると間違ってしまうんですけど、あえて例えに出してお話しします。これは解釈が難しい部分ではありますが、男女の恋、性的な交わりだって美しいものである、菩薩の位であると、僕が毎朝読むお経の中には書かれています。僕はそういうドキッとするような表現をあえて経典に用いる仏教って格好いいな、と思う。

仏教の大きな流れの中にも「私」といえる「欲」という問題意識があると僕は思います。もちろん自分を律するところや、コントロールする、つまり小欲を潰すというところを底辺、根本にしながらも、大きな欲とつきあっていく。むしろ育てていく。コミュニケーションをとっていくというのは、まさに大乗仏教の歴史が通った道だと感じています。

青野:どう着地していくのでしょうか?

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白川:自分が住んでいるところで仏教を発信する中で、とにかく生活に着地させるソフトランディングを同時多発的にしていきたいですね。

青野:おもしろいですね。

仏教はどこまでもオルタナティブ


白川:仏教って問題意識をもっていいものだと僕は思います。 空海の後の時代、日本では鎌倉仏教というのが出てきました。たとえば日蓮、親鸞、道元。それぞれ問題意識がありました。有名なお坊さんだけでなく仏教は脈々とその時代において「私」と「仏教」の問題意識をつなげています。既存の価値観に対して、小さな声をあげ続けるという意味ではどこまでもオルタナティブなものかもしれないです。

青野:進化しそうですね。

白川:そうですね。個人的にはソフトランディング、生活に着地するための方法は、退化に見えて進化とも言えると思っています。もちろん仏教に蓄積された「教え」を謙虚に学び続ける気持ちを持ちながら......。

青野:進化はちょっとペースが遅くなってきているかもしれないですね。完成したんじゃないの? と勘違いしちゃっている。

白川:自戒を込めて、自分を指差して言うのですが、小さな大企業病みたいなものになっている部分があると思います。僧侶はなんとなく尊敬されているような気がするし、威厳があるし、自分がえらいんじゃないかなと勘違いしやすい世界です。そこで何をやっていたんだっけ? 修行、役割ってなんだっけ? と。

たぶん僕らの世代の人は、お坊さんもお坊さん以外もけっこう気がついているのではないかなと。しかもそれが言える社会になってきた。

人って、だんだん組織人らしくなっていくところもあります。僕らでいうと宗教者というよりは、宗派人みたいな感じになっていくおそれが常にあります。

どんなに大きな僧院の中にいても、たった1人でも進むという思いは覚悟だと思うんです。だから、チームの中での個の勇気みたいなものは、本当は仏教自体が投げかけている問題意識じゃないかと。宗派を興した宗祖はどこかにイノベーションを起こす「ベンチャー気質」を持っています。僕らは組織人でもあるわけですが、その気質、ソウルの部分は受け継ぎたいです。

物事はどっちに変わるのか?


青野:諸行無常について聞かせてください。僕はまだその言葉だけでは語りつくせません。物事は変わりますが、どっちに変わるのかという指針はないのかなと求めています。

自分の中では答えが2つあるんです。1つは多様化。広がっていく感じの変わり方をする。熱力学ではエントロピー増大の法則といいますが、元々物質は、拡散する方向にできています。

箱の中に暖かい空気と冷たい空気を入れると、グワッと交わって拡散していくという。世の中はそっちの方向に変化しているのではないかというのがあります。地球が生まれて、生物がないところから、生物がこれだけ増えている。絶滅する品種はいるものの、拡大する方が早いということが起こっている。もう一個は合理化です。合理的に存在できないものは、整理淘汰されていくと。エサがとれないと消えて行くとか。

会社の中でも、売り上げが減っている部門はなくなる。多様化と合理化が変化の表現としてありますが、仏教ではそういう表現はあるんですか?

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白川:諸行無常は僕もすごく好きな概念であり言葉です。でも留まる物質はなにもなく変化し続けるということ以上に踏み込んで考えることはあまりなかったのですが、どっちに向いて変化していくのかという問いはおもしろいですね。

諸行無常というのは仏教の根本的な考え方なんです。それはベクトルという概念をはずしたものでしょう。

ただ私の学んだ空海がもたらした日本の密教では、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅という、起源のインドでは発生時期も場所も違うものを同時に信仰することを極めて重要視します。2つが同時に進行するというのが特徴なんですよ。

胎蔵は、みんな集まれ、なんですね。選り好みをしなくて、ブワーと広がっていく。胎蔵とは言葉の起源はお母さんのお腹という意味ですね。しかし金剛界は、密教の仏さまだけの先鋭メンバーなんです。

青野:おもしろい。共存しているんだ。

白川:だからどっちに動いてもいい。というよりは同時に進んでいる。ふくらみながら、しぼんでいる。

青野:まさに僕のイメージの通りです。

僕が経営で見つけたのは、まずは多様化と合理化というところです。多種多様でいいけれど、合理化していく。それはお互い矛盾する考えみたいですが、広がるからこそ収縮する。収縮するから次の手が打てる。

その人だからできることを見つけてあげる


青野:もう1つ、人間って何ぞやという問いがあります。経営して気がついたのですが、僕みたいにアホのようにがむしゃらに働いて一発あてる。これこそがITベンチャーだと思っていたのですが、意外と皆はそうではない。

それぞれ欲は違うんだなと悟りました。それぞれの欲を尊重しないことには自分にもよくありません。欲がかぶる部分をやっていけばいいという。

生江:僕も自分にとって当然と思っていることが狭いチームの中でも共有できないことがあります。シンプルだと思うこともなかなか伝えられません。

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右)生江憲治:サイボウズ グローバル開発本部 サイボウズLive開発責任者。白川さんの影響を受けて2005年から8回四国を訪れ4年間かけ四国霊場八十八カ所をお遍路した。

白川:高野山の師でありもっとも尊敬する僧侶の松長有慶先生に言われていることがあります。師としての一番大きなお布施は、その人だからできることを見つけてあげることなんだよと。灌頂施(かんじょうせ)といいます。本来は宗教的な意味のある言葉だけど、平たくいうとそういうことなんだと。

各々の違いを認める。その違いの中でその人だからできることを見つけて教えてあげるのが最も価値のあるお布施だということを繰り返し言われています。

若いときよりもこの年齢になってくると痛いところを突かれたように感じます。自分ができないことって、とても多いのです。僕も妻が当たり前にやっていることも全然できないです。

青野:会社経営もそんな感じかもしれないですね。みんな違いますが、何かの形で貢献しているんですよね。

チームの軸はできるだけシンプルに


白川:一緒にやっていかないほうがいいなという人もいると思うんですけど、そういう意思決定の軸はありますか?

青野:この会社は世界中のチームワークを高めるという欲を持った人が集まった集団だと定義したんですよ。その欲を持たなくなったら、さよならです。

白川:なるほど。

青野:今僕たちが受け入れられない人たちもたくさんいますが、理想的にはこの欲を持った人であれば、どんな人でもこの活動に参加できるようにしたいと思っています。

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白川:僕にとっては妻がチームメイトです。会社で役員秘書をやっていたので、ビジネスのセンスがあり見方がおもしろいのですが、ぶつかるときもあります。

でもいつも自分の支えになるのが、「仏教をうれしく、おもしろく、実践的に伝えたい。お寺にデートに来てもいいし、明るい雰囲気で話したりとか、カチっとした表現以外でも伝えたい」という軸が一緒なことです。人間なので、このまま一緒にやっていけるのかなと思うこともあります。向こうはもっとあるでしょう(笑)。大きなチームを率いている青野さんも1つの軸にされているというのは安堵感がありました。

青野:できるだけシンプルにして、そこからぶれないようにしないと。

生江:チームから旗をみやすいところにおいておくというのが大事ですね。

白川:旗が意外と自分が所属している組織の中で見えにくくなったりしている場合もありますよね。宗派の中でもそうですし、お寺という小さなチームでもそうかもしれません。そこを1つ見やすくしなくてはいけませんね。シンプル!! 今日は大きなヒントを頂きました。

写真:尾木司 文:渡辺清美

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本記事は、2016年1月14日のサイボウズ式掲載記事僧侶が大企業病になっている?──『ボクは坊さん。』白川密成×サイボウズ青野慶久より転載しました。

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