小保方晴子氏手記「あの日」が明らかにする「印象社会」の罠

小保方晴子氏の手記「あの日」。研究不正、STAP細胞の有無、ES細胞混入疑惑、報道被害など、それぞれの論点を解きほぐさないと、この本は読み解けない。

それは突然だった。

小保方晴子氏が手記「あの日」(講談社)を出版した。講談社内でも一部の人しか知らなかったという手記の出版が明らかにされたのは1月27日。発売の前日だった。メディアに一切登場しない小保方氏が何を訴えるのか。本はベストセラーとなった。初版5万部は瞬く間に売れ、増刷されたという。

手記に対する私の感想はすでに別の場所で書いたので1)2)、屋上屋を重ねることになるが、別の角度からあらためて述べたい。

手記で小保方氏は複数の論点を織り交ぜながら記述している。研究不正、STAP細胞の有無、ES細胞混入疑惑、報道被害などだ。それぞれの論点を解きほぐさないと、この本は読み解けない。

研究不正に関しては、手記の記載はまったく納得できない。理研の調査やネット上で指摘された様々な疑義の一部だけ触れて、それが不注意や無知だったというのだ。故意ではないから研究不正ではないと主張しているのだ。いくらなんでもそれは通じない。百歩譲って故意ではなかったとしたら、手記の中で小保方氏を優れた学生と絶賛していたハーバード大学、東京女子医大、そして博士論文を指導した早稲田大学はいったい何を指導したのだろう。

一方、小保方氏は、刺激により体細胞が多能性幹細胞マーカーであるOct3/4を発現する現象を、小保方氏なりのSTAP現象ととらえている。

その現象はいまでもあると主張する。

小保方氏がこうした現象をみたのは確かなのだろう。理化学研究所(理研)での再現実験でも、肝臓の細胞をアデノシン3リン酸で処理したときに、細胞集塊が出現し、Oct3/4蛋白および遺伝子の発現は確認されている3)。

しかし、こうした遺伝子の発現(および蛋白質の産生)が起こったことと、多能性幹細胞が誘導されたこととは異なる。結局再現実験では、Oct3/4陽性細胞が多能性を持つことは証明できなかった。

小保方氏は、刺激による体細胞のOct3/4の発現という現象を、新規の多能性幹細胞に仕立てたのは、若山照彦博士だとほのめかしている。若山博士が研究データの「仮置き」をするなどストーリーにあわせて研究データを取捨選択する研究者であると述べ、多能性幹細胞の証明のためのキメラマウス作成実験は若山博士が行ったので、自らは関与していないと述べる。STAP細胞なるものがES細胞由来であったのは自分のせいではないと言っているのだ。

ES細胞の混入に関しては、兵庫県警が石川智久氏から出された刑事告発を受理し、窃盗事件として捜査しており、一部で小保方氏に事情聴取をしたとの報道もある(代理人弁護士は否定4))。真相究明のためにも、若山博士は小保方氏の指摘に対し説明したほうがいいのではないかと思う。

大山鳴動して鼠一匹。STAP細胞事件とは、アーティファクトかもしれないような些細な現象を、意味ある現象と信じてしまい(バイアスがかかってしまい)、様々な手を使って論文にまとめてしまったという、いわばよくあることなのだろう。

そして理研はその些細な現象に乗っかり、研究内容を精査することなく、研究成果を大々的にアピールしてしまった。それが一転、報道被害につながった。報道被害の過酷さに関しては同情するし、小保方氏一人に責任を押し付けてしまったような形になっている理研、博士号を授与した早稲田大学の組織的対応には大きな問題を感じる。

研究不正の「量刑」に相場があるとするならば、2報の論文の不正でここまで叩かれるのは、相場以上であるとはいえる。

このように、小保方氏の手記は論点ごとに評価しなければならない複雑な本だ。解説書が必要だと思うくらい、単純によい、悪いをいうことはできない。ところが、アマゾンに書き込まれた496のレビュー(2月18日午前8時現在)は、最高評価の星5つが274、最低評価の星1つが120。完全に意見が分裂している。

なぜかくも称賛と嘲笑という極端な反応に分かれるのか。

「小保方さんは信用できるから、STAP細胞はある、研究不正はしていなかった(あるいは研究不正など些細な問題)」という意見も、「小保方さんは不正をした人だから、何を言っても信じられないね」という意見も、根っこは一緒だ。私はそこに、私たちの社会が抱える大きな問題を感じる。

著名人を持ち上げたのち叩く、極論をいう政治家が人気を得てしまう、敵味方を峻別し、非難しあう...こうした現象はあちこちでみられる。印象でざっくりと評価してしまい、その後思考停止してしまうという、いわば「印象社会」とでもいうべき現象だ。

世の中判断すべきことは多い。印象、あるいは直感や気分で判断すること自体を全否定するつもりはない。しかし、人の命がかかることや、お金がかかることなどを印象だけで判断しては、誤った方向に向かってしまう。

私たちは、印象という目くらましの向こう側に隠れている本当の問題に気が付かなければならない。論点を場合分けし、それぞれ判断しなければならない。

世間が小保方氏の手記に揺れている間に、島尻安伊子科学技術担当大臣は理研を視察した。大臣は研究不正再発防止に向けた取組が進んでいると判断5)6)し、これをもとに政府は滞っていた理研への特定国立開発法人の指定を急いでいる7)。しかし、こうした手記が発表されるような状況で、対策が十分といえるのだろうか。

小保方氏というスケープゴートを称賛と嘲笑にさらしている間に利益を得ているのは誰か。私たちはしつこく、しっかりとみていかなければならない。

1)手記出版「あの日」...小保方さんは何を語っているのか

2)手記 『あの日』 が明らかにした「不都合な真実」

3)STAP現象の検証結果について

4)「警察が小保方さんを参考人聴取」報道、代理人弁護士「事実ではない」と否定

5)国立研究開発法人理化学研究所(埼玉県和光市)視察

6)島尻安伊子 内閣府特命担当大臣(科学技術政策)が和光地区を視察

7)科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術・イノベーション会議有識者議員との会合(平成28年2月4日)配布資料

(2016年03月18日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)

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