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「安定国家・カメルーン」で起きている「苛烈な弾圧」について--白戸圭一

2017年03月30日 00時18分 JST

アフリカ大陸の中西部、ギニア湾に面した位置にカメルーンという国がある。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会の際、キャンプ地の大分県中津江村(現在は大分県日田市の一部)へのナショナル・チームの到着が大幅に遅れ、日本中をヤキモキさせたことで一躍その名を知られることになった国である。

日本の1.26倍の国土に人口約2300万人。アフリカ全体の経済が高度成長を遂げていた2000年代においても成長率は2~3%と低迷していたが、2013年以降は5%台を記録している。1人当たりGDP(国内総生産)は1300ドルと貧しいが、カメルーンの人々の自慢は、武力紛争が多発してきたアフリカにおいて、1960年の独立以来、内戦もクーデターも一切経験していない政治・社会の「安定」である。

国連への抗議書簡

筆者はかつて、全土が事実上無政府化していた中央アフリカ共和国での紛争取材を終えた後、カメルーンの最大都市ドゥアラに立ち寄ったことがある。ドゥアラの街は治安もよく、カンボジア人が経営する日本食レストランがあった。地獄のような中央アフリカから脱出してきたばかりの筆者は、マグロとイカとサーモンの鮨を食べ、これこそが平和と安定の証だと、浅はかにも思ったのであった。

安定の代名詞のように言われてきたカメルーンだが、近年は西隣のナイジェリアからイスラーム武装組織のボコ・ハラムがカメルーン北部に流入し、北部の治安情勢は不安定化している。ボコ・ハラムは国際的によく知られた組織であるため、北部情勢の不安定化は国際社会である程度は認知された問題となっている。

そして実はもう1つ、カメルーンの安定神話を揺るがす事態が、国際的にはほとんど注目されない形で起きている。

世界の文化人類学者たちでつくる「国際人類学・民族科学連合」という組織が今年2月、会長名で1通の書簡をグテーレス国連事務総長に送った。カメルーンの北西州と南西州の住民に対する同国政府による苛烈な弾圧に抗議し、人権侵害を止めさせる措置を取るよう国連に求める書簡であった。

文化人類学の世界には、アフリカをフィールドとする研究者が少なくない。彼らの多くは電気や水道のない村に住み込み、土地の言語を話し、村人と地酒を酌み交わしながら、生活の様子を観察し、民話や音楽を採録し、美術品や音楽の特徴を調べてきた。国連事務総長宛の書簡は、そのようにしてアフリカ社会に強い愛着を抱いている研究者たちの間で、カメルーンの2州における人権抑圧が許容し難い水準に達したことを示している。

旧仏領vs.旧英領

カメルーンの国家形成の経緯は少々複雑だ。国内には10の州があり、このうち8州は旧フランス植民地だが、住民弾圧の舞台となっている2州は旧英国植民地だ。旧仏領8州は1960年1月に独立したが、旧英領2州は1961年10月に西カメルーンとして別に独立し、旧仏領カメルーンとともに「カメルーン連邦共和国」を構成した。そして1972年5月に連邦制を廃止して「カメルーン連合共和国」として一体化し、1984年に国名を「カメルーン共和国」に変えて今に至っている。

 

このような独立の経緯があるために、カメルーンはフランス語と英語の双方を公用語として採用し、8州ではフランス法を範とする法体系が、2州では英国法を範とする法体系が施行されてきた。

旧英領2州の英語話者の住民はカメルーンにおける少数派であるため、就職、教育などの機会の面で不利益を被って来たと主張し、2州には中央政府に対する不満や反感が横溢してきた。2州のうち北西州の州都バメンダは、カメルーンの最大野党「社会民主戦線(Social Democratic Front)」結党の地でもある。

 

今回、研究者たちが抗議した「弾圧」のきっかけは、中央政府が2州の裁判所や学校へのフランス語導入を強行しようとしたことに対する住民の抗議行動である。北西州の州都バメンダを中心に2016年11月以降、住民の抗議行動が拡大し、英語系の法曹、教師らによるストライキも行われた。政府は実力行使に踏み切り、治安部隊によるデモ隊への実弾射撃や拷問によって多数の死傷者が出る事態となった。  

在位35年の長期政権

筆者の手元には、治安部隊による拷問や実弾射撃の様子を撮影した映像が関係者から送られてきた。屈強な治安部隊員たちに丸腰の市民が棍棒で殴打される様子や拷問の末に死亡したとみられる遺体の映像は、凄惨というほかない。警察官による市民への暴力は世界中でみられる現象ではあるが、基本的人権に関する官憲の意識の水準が、先進国のそれとは根本的に違うことを改めて痛感させられる映像だ。

 

政治指導者から末端の庶民まで国民1人ひとりの間で基本的人権の意識が内面化され、自由を柱とする市民意識が国民文化として共有されている社会では、正当な事由なく市民に暴力を加える警察官は少ない。

反対に、そうした人権意識の内面化が国民間でなされていない社会では、国民の基本的人権を保障する法体系が存在しなかったり、法律は存在しても運用面では実質的に骨抜きになっていたりするために、治安機関による暴力が横行するだろう。特高警察が存在した戦前の日本はそういう社会だったし、中国は今もそういう社会だろう。

武力紛争もクーデターも発生していない状況を「安定」と呼ぶにしても、その「安定」が市民社会の存在に基づくのと、体制側による締め付けの結果であるのとでは、当然ながら「安定」の意義は全く異なる。治安当局による過剰な暴力の行使は、カメルーンにおける「安定」が、市民社会の存在に基づくものではなく、体制による締め付けの結果であることの証左だろう。

 

カメルーンでは、ポール・ビヤ大統領が1982年から大統領の座にある。在位35年という長期政権である。1992年以降は複数政党制下の大統領選で繰り返し再選されているため、選挙結果だけに着目すると同国には民主主義が定着しているかに見えるが、今回の南西州、北西州における治安当局の暴力が確認される以前から、カメルーンでは野党活動家や記者の逮捕、拷問、脅迫、暴力などが多数報告されてきた。

米国国務省が毎年刊行している「人権報告書」は、カメルーン治安当局による深刻な人権侵害事案を毎年のように報告している。安全保障問題に関して信頼度の高い情報を収集する組織として名高い国際NGO「インターナショナル・クライシス・グループ」は、これまでに公表した様々な報告書や刊行物で、ビヤ大統領の長期政権の下で実現している「安定」を「見せかけ」という厳しい言葉で総括している。

「政治的安定」の内実

アフリカは2000年代に急激な経済成長を経験し、内戦が多発した1990年代から2000年代初頭に比べると、政治は安定の傾向にある。武力紛争は減少し、ナイジェリア、ケニア、ガーナ、セネガルなどでは選挙による平和裏な政権交代が実現している。中長期的に見て、アフリカの政治経済が良い方向に向かっていることは疑いないだろう。

 

しかし一方で、アフリカには、本稿で紹介したカメルーンの例だけでなく、体制による締め付けによって、かろうじて政治的安定を達成している国が少なくないのも事実だ。

2017年3月末現在、アフリカにおける最長政権は1979年に就任したアンゴラのジョゼ・ドス・サントス大統領と、赤道ギニアのオビアン・ンゲマ大統領で、在任期間はともに38年目に入った。

30年以上政権の座にある指導者は、この2人に加え、ジンバブエのムガベ大統領(在1980年~)、カメルーンのビヤ大統領(在1982年~)、ウガンダのムセベニ大統領(在1986年~)、スワジランドの国王ムスワティ3世(在1986年~)の計6人。さらに、この6人を含む計9人が20年以上権力の座にある。

長期政権下にはないが、体制による政治的締め付けが安定を生み出しているエチオピアのようなケースもある。エチオピアでは1991年に政権掌握したメレス首相が2012年に死亡した後も、与党「エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」による事実上の1党支配の下で、毎年10%近い経済成長を謳歌している。だが、政治的自由は事実上存在していないに等しく、ここでもまた、野党勢力やジャーナリストに対する激しい弾圧が多数報告されている。

日本にできて中国にできないこと

植民地時代の政治的枠組みを継承して独立したアフリカの国々には、一国内に多数の民族・部族が暮らしており、一般に人々はそれぞれのエスニックな出自を軸に凝集し、行動し、利益を配分している。言論や思想の自由などの近代的価値に立脚した「市民」などアフリカでは少数に過ぎない。そうした現実に立てば、長期政権や事実上の1党支配下での締め付けだけが、国家の政治的安定を担保できる手段なのかもしれない。

だが、いかにアフリカの現実がそうであろうと、体制による暴力的弾圧を是認し、基本的人権の制限を認めるわけにはいかない。体制による人権抑圧に対しては、たとえそれが蟷螂の斧だとしても、我々は「ノー」と言わなければならない。

 

それは、現代の日本が、中国ともロシアとも違うことを証明するためにも重要だと筆者は思う。高層ビルが林立し、高級車が走り回り、大勢の国民がブランド品で身を固めても、民主化運動の活動家や記者を投獄するような国は永遠に「先進国」とは呼ばれない。日本のアフリカ支援はインフラ建設でも製造業移転でも中国の足元にも及ばない規模だが、体制による人権抑圧に抗議する芸当は、我々に出来ても中国にはできないのである。

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白戸圭一

三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主席研究員。京都大学大学院客員准教授。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。

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(2017年3月29日フォーサイトより転載)