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イラク・モースルに「カリフ」が姿を現す

2014年07月07日 16時29分 JST | 更新 2014年09月05日 18時12分 JST

7月4日、イラク北部モースルの大モスクの金曜礼拝に、「カリフ」が姿を現した模様だ。ISISを改め「イスラーム国家(IS)」を名乗ったアブー・バクル・バグダーディーが金曜礼拝の導師を務める様子が、土曜日になって盛んにインターネットに流されるようになった映像に映し出されている。

この映像が事実に基づくものであれば、これまで公の場に姿を見せず、数枚の写真と音声のみしか知られていなかった「イスラーム国家」の指導者が、白昼堂々と、イラク第二の都市の中心のモスクで導師を務めたことになる。イラク内務省はこのビデオの登場人物を「偽物」と主張しているが、真偽は定かではない。

■ 相次ぐ宣言・声明・登場

イラクで勢力を急拡大したISISは6月29日に「イスラーム国家」と改称し、カリフ制政体の設立を宣言していた。7月1日にはバグダーディーが音声で声明を出し、世界のムスリムに新たに設立されたイスラーム国家への移住を呼びかけた。そしてついに4日、公衆の面前に姿を現した

バグダーディー(カリフとしては「イブラーヒーム(アブラハム)」を名乗っている)の演説の能力や、このような劇的な登場の仕方によって、少なくとも、演劇的効果は十分に発揮したと言っていいだろう。

これはイラクでの紛争の軍事的側面には直接的影響は及ぼさないにせよ、イスラーム世界全体に心理的なさざ波を引き起こすだろう。

近代の西欧キリスト教世界を起源とする領域主権・国民国家を超越したイスラーム国家の再興とカリフによる政治指導の復活は、既存の民族・国家・国民の枠の中でおおむね自足してきたムスリム諸国民の世論の底流に、現状を超越して栄光の時代に回帰する夢として生き続けてきた。1923年のオスマン帝国の終焉以来、カリフ制政体は現実的なものとしては存在したことがなく、オスマン帝国そのもののカリフ制政体としての内実も疑いを持つ者があった。その意味で、ISが主張するカリフ制政体によるイスラーム国家建国は、かなり歴史を遡らなければ確固とした現実であった時期はなく、依然として非現実的な、ヴァーチャルな性質を色濃く備えている。

しかし、現に一定の領域を実効支配するという、ターリバーン政権のアフガニスタン支配を除けば、ジハード主義的な運動にとって近年にない政治・軍事的な成果を挙げており、それが長期間持続するかどうかは定かでないにせよ、近代を通じて底流に流れていた夢想に一定の現実の形を与えたという点で、重要性は計り知れない。

■ 学識の高さは明らか

また、現実味があるかどうかよりも、インターネット上でタイミングよくこのような映像を流し、イスラーム世界の耳目を集め、カリフ制・イスラーム国家の理想への注意を喚起しえていること自体が、イラクでの個別の戦闘・政治闘争においても、より広いイスラーム世界に支配を及ぼすという彼らの長期的目標においても、重要なのだろう。

バグダーディーは演説やコーランの朗誦でも確信に満ちたイスラーム学への学識の深さを示している。敬虔な信者から尊敬されやすいタイプの人間類型であると、映像を見る限りは言える。

各国の政権や政権に近い多くの著名・有力ウラマーはいずれもバグダーディーのカリフ就任の承認を拒絶している。それは「イスラーム国家」が既存のアラブ諸国・イスラーム諸国の領域と政体を全否定していることが自明であることから、当然の反応だ。

一般のムスリム市民にしても、「イスラーム国家」の過酷な統治を歓迎する者が現状で多数を占めるとは考えにくい。

しかし各国の政権の統治が不正義とみなされている状況がある限り、またそれらの政権に追随して宗教解釈を融通無碍に切り替えるウラマーの信頼性に疑いを持つムスリム市民がいる限り、多数派ではないにしても社会の中の一定数が「イスラーム国家」に賛同・共鳴していく可能性は十分にある。この運動が潰えても、同様の運動が各地で生じるかもしれない。

2001年の9・11事件で「超大国アメリカの中枢に打撃を与えて一矢を報いた」ことにより世界のムスリムの想像力を掻き立てたビン・ラーディン傘下のアル=カーイダを、今やISは凌ぎ、世界のジハード主義の諸集団の中で一気に主導権を握ろうとしている。

■ イラク・シリアの国内政治では逆風も

しかしそのことは、イラクやシリアでの「イスラーム国家」による領域支配の拡張や定着にとっては逆風となりうる。

イラク内部では、シーア派諸勢力にとっては、もしスンナ派のカリフ再興を掲げる運動が支配を全土に及ぼすのであれば、シーア派への徹底的な弾圧・非寛容をもたらすと予期させるものであり、徹底的な弾圧への圧力と支持がマーリキー政権の背後に集まると共に、シーア派民兵諸組織の活性化による、宗派紛争の激化を引き起こしかねない。

イスラーム国家においては価値的に「劣位」に置かれ、その支配に服従する限りは生存を維持されるという意味で「庇護」されると解釈されているキリスト教徒などの少数派に属する者たちは一層強く警戒するだろう。

欧米諸国やイスラエルの反発・警戒心も一層高まることが当然のごとく予想される。そういった欧米・イスラエルの脅威認識が高まった頃合いを見て、シリアのアサド政権やイラクのマーリキー政権、あるいはイランは一気に、大規模な人道的悲劇を引き起こしながら、一気に弾圧を行うのかもしれない。国内や欧米の恐怖心が高まるのを待って「泳がせている」段階かもしれないのである。

ISと連合・協調しているイラクのスンナ派諸勢力にも、分裂・足並みの乱れが生じるきっかけとなる可能性がある。一部は本気でISのカリフ制イスラーム国家建国の主張に賛同するかもしれないが、旧フセイン政権派などの指導・支配階層にとっては、バグダーディーをカリフと仰いでイスラーム法の支配に服すことには多大な苦痛・困難を伴うだろう。

ISがカリフ制のシンボルを多種多様に用いて行うメディア宣伝は、シーア派にとってもスンナ派にとっても、社会・共同体に分裂と動揺を誘いつつ、想像力を掻き立てていくだろう。

■ 「ラマダーン・ドラマ」の視聴率競争に参戦

興味深いのは、ISのカリフ制宣言が断食を行うラマダーン月初日に発表され、時間的な隔たりを極力おくことなく7月1日には音声声明でバグダーディーの実在が示され、さらに矢継ぎ早に7月4日の最初の金曜礼拝で劇的にバグダーディー自身が登場して見せたことだ。

ラマダーン月は日中は断食をして過ごしながら、日没後は盛大な宴席が催される。その日々を彩るのは、アラブ世界の各テレビ局が競い合う連続テレビドラマである。各局は一年かけてこのひと月のラマダーン・ドラマのための準備をしていると言っても過言ではない。ラマダーン月初日の29日はまさに各局の連続ドラマ第一回が始まる日であった。

今年はワールド・カップという視聴率競争の強敵もいる。逆に言えば有力コンテンツの競合で、人々は一層テレビの前に引きつけられている。ここに「イスラーム国家」は参入し、少なくともアラブ世界のイスラーム教徒の想像力には盛んに訴えかけることに成功している。

ラマダーン初日に「イスラーム国家」「カリフ制政体」の設立を宣言して衝撃を与え、続いて顔を隠したバグダーディーの音声声明が出て、それに対して「隠れるな、姿を見せられないのか」といった各国の有識者の賛否両論の声が出たのを受けて、予想に反して最初の金曜礼拝に鮮やかに姿を現してみせた。

ラマダーンの連続ドラマとしての「つかみ」は上々であり、早速先の読めないどんでん返しを繰り返して見せている。

設定や舞台背景、衣装の作り込みも精巧である。

金曜礼拝の演説で、バグダーディーは黒いターバンを被っていた。一般的に黒いターバンはムハンマドの子孫が被るものとされる。イスラーム法学理論では、カリフはムハンマドが属する「クライシュ族」に属すことが求められるが、バグダーディーはこのクライシュ族の血統を引いていると主張し、正統なカリフの資格要件を満たしていると主張している。黒いターバンはそれを象徴的に示したのかもしれない。

また、著名なハディースでは、ムハンマドが630年にメッカを征服した時、黒いターバンを被っていたとされる。モースルの電撃的な陥落を、預言者のメッカ征服に匹敵する世界史上の事件であると印象づける演出であるとも、ツイッター上の共鳴者たちは囃し立てる。

「カリフ・イブラーヒーム(アブラハム)」を名乗り、「アブラハム一神教」の原点に戻る「世直し」の印象を与えるなど、アラブ世界のイスラーム教徒の感情の琴線をいちいちついてくる巧みな象徴の操作である。政治運動としての現実性はともかく、少なくとも「ドラマの台本」としてはよくできている。

ラマダーン月の連続ドラマに耽溺して一瞬現実を忘れようとするアラブ世界の民衆に、あらゆる象徴を「てんこ盛り」にした現在進行形そして(視聴者がもし望むなら)双方向性を持たせた「リアル・カリフ制」の大河ドラマをぶつけてきた「イスラーム国家」は、国民国家の境界を超越しようと夢見るだけでなく、リアルとヴァーチャルの境目をも揺るがす「アル=カーイダの子供たち」の極めて現代的な運動と言えよう。

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池内恵

東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』『イスラーム世界の論じ方』(2009年サントリー学芸賞受賞)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。

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(2014年7月6日フォーサイトより転載)