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ニューヨーク発 トランプのアメリカ(10) > わたしが暮らす「移民国家」の「現実」--青木冨貴子

「自由の女神」は今ごろ、どんな顔をして、何を思っているだろうか。

2017年10月10日 10時33分 JST | 更新 2017年10月10日 10時34分 JST

「自由の女神」は今ごろ、どんな顔をして、何を思っているだろうか。たいまつを掲げ、世界各地からやってくるあらゆる移民を迎え入れてきた女神である。トランプ政権が移民の取り締まりを厳しくしていることに、さぞかし心を痛めていることだろう。米国生まれの子供から引き離され、強制送還される母親や父親の姿に涙しているにちがいない。

「疲れしもの、貧しきものをわれに与えよ/汝が身を寄せ合い、自由の空気を吸わんとねがうもの/住むに家なく、嵐にもまれしものを、われに送りたまえ/われは、黄金の扉のもとに灯をかかげん」

女神像の台座に刻まれたエマ・ラザラスの言葉を、今思い起こすものがどれだけいるだろうか。

「ドリーマー」の危機

ホワイトハウスに入って以来、イラン、リビアなど中東・アフリカのイスラム圏7カ国(のちに6カ国)から米国への入国を禁止する大統領令に署名したドナルド・トランプは、8月には、アリゾナ州マリコパ郡のジョー・アルパイオ被告に恩赦を与えた。不法移民に対する強引な取り調べが問題となっていた元保安官である。

9月に入ると、幼いころ親に連れられて入国した不法移民の若者の強制送還延期措置「DACA」を撤廃するようトランプは動き出した。

2012年、オバマ政権の下に始まった「DACA」は不法入国した若者を強制送還の対象から一時的に外し、労働許可証を与えるという特別措置である。「DACA」の保護下にある若者は「ドリーマー」と呼ばれ、この5年間で80万人を数える。彼らは学校へ通う機会を与えられ、仕事にもつけるようになった。

しかし、「DACA」が撤廃されれば、「ドリーマー」は強制送還される危機に直面することになる。米国で生まれれば国籍を取得できるが、幼児期に入国したために、生まれた国へ帰っても言葉すらできない場合もあるというのに......。

彼らこそ、これからの米国の将来を担ってくれる若者たちではないか。不法移民だからという理由で、犯罪歴もなく、真面目に暮らしてきた彼らを強制送還するとは、移民の国アメリカの根幹に関わる問題だ。

もとより、この国は移民がつくって来た国である。その移民の力が発揮できないようになったら、この国は一体、どうやって機能するのであろうか。

「タクシー・ドライバー」は指標

この国で暮らすようになって33年、振り返ってみると、わたし自身、どれだけ移民に助けられて生活してきたかを痛感する。

ニューヨーク暮らしを始めたころ、毎日、接触したのは、タクシー・ドライバーだった。当時もそして現在も、タクシー・ドライバーは移民の流入を知るもっとも手早い指標である。セントラル・パークに近い西71丁目に住んでいたわたしは、マディソン街444番地にあったオフィスへの行き帰りに毎日タクシーを使った。1980年代の当時は韓国系ドライバーが多く、中国系や日本人学生も交ざっていた。

ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊してからはロシア系ドライバーが多くなった。ポーランド系やハンガリー系も増え、インドやパキスタンなどのアジア系が続いたように思う。

最近よく使うようになったスマートフォンに対応する「ウーバー」や「ジュノ」と呼ばれるカー・サービスの運転手の多くは中東出身。なかにはバングラデシュから来たドライバーもいるし、チベット出身もいる。

結婚してトライベッカと呼ばれるマンハッタン南部の地区にアパートを買ったとき、前のオーナーから中国系の大工さんを紹介された。シューさんというこの大工さんはなかなか器用な人で、本棚やクローゼットをつくったり、電気工事から配管工事までなんでもこなしてくれたので、とても助かった。その後、中国本土で建設ラッシュが始まると、中国へ行くと言ったまま、あっさり姿を消してしまった。今では上海あたりで大手コントラクター(建設業者)として成功しているのかもしれない。

その後、アパートの改装工事をすることになった途端、リーマンショックが起こった。資材などが高騰したので計画を縮小し、今度は日本人コントラクターを見つけたところ、彼の下で働く工事人のほとんどがラテン系なのには驚いた。

「なかでも、いちばん勤勉で働き者なのは、エクアドルから来た移民ですよ」

コントラクターの山崎さんは話していた。そのエクアドル移民も数年後には解雇することになったらしい。そしてまたエクアドル移民を雇うようになったかはわからないが、ラテン系移民なしにニューヨークの工事が進まないのは明らか。これだけ高層ビルが立ち並ぶようになったのは、彼らの勤勉さのお陰であることは大統領も熟知しているはずだ。

「20年もこうして働いている」

4年前、夫のピート・ハミルが長期入院したとき目を見張ったのは、看護師の下で働くCNA(Certified Nursing Assistant)と呼ばれるスタッフのほとんどが、トリニダード・トバゴ共和国やプエルトリコなどカリブ海の島から来た人たちだったことだ。病人の体温を測ったり、薬を飲ませたり、食事を与えたり、着替えやシャワーなど、もっともベーシックな仕事をしてくれる人たちである。緊急のときには真っ先に飛んで来てくれるので、まさに天使のような女性たちだった。

数カ月後ようやく退院が決まったころ、さらに驚いたことに、天使の1人がそっとわたしの袖を引いてこう耳打ちした。

「良かったら、私が夜の介護を引き受けてもいいわ」

自宅へ帰っても24時間体制で介護人が常時2人必要だと医者に言い渡されたときだった。一体、どうやったら介護の人を探すことができるのだろう。途方に暮れていたわたしには渡りに船、天使のこの言葉がどれほどありがたかったことか。

退院したその晩から駆けつけてくれたリリアンは大柄な黒人女性で、実にテキパキと働いてくれた。薬のことや消毒のことなど、とにかくCNAのプロだから何でも熟知していて、実に頼りになる。疲れ果てていたわたしはリリアンにすっかり任せてゆっくり休むことができた。リリアンの方はカウチで仮眠を取り、朝になるとすました顔で病院へ出勤していった。

「少し休まなくて、大丈夫なの」

心配になってこう聞いてみると、大きな体を揺さぶって大笑いしながら、

「心配無用よ。20年もこうやって働いているんだからね」と肩をすくめる。週に1、2回はブルックリンの自宅へ帰る日もあり、そのときにはタブロイド版新聞の付録でついてくるクーポン券を使って買い物に出かける様子だった。そういえば、『デイリー・ニューズ』の日曜版を病室で読んでいたとき、捨てるのなら付録のクーポン券の頁をくれないかと声をかけてきたのがリリアンとの出会いだった。

それから8カ月ほど、彼女と一緒に生活するようになった。リリアンもトリニダード出身、CNAとしてすべてのライセンスを取得しているので、「私は全米どこでも働けるのよ」と豪語していた。ゆっくり眠ることもなく働き、ほんの1セントでも倹約する。ブルックリンの家のほかにフロリダにも家をもっているというのだから、我が家よりよっぽど資産家である。彼女の逞しさには舌を巻くばかりだった。

カリブ海の移民なしにニューヨークの病院が立ちゆかないのは火を見るよりも明らか。CNAのなかには「DACA」の保護下で働く若者もいることだろうし、「DACA」の下で勉強してライセンスを取得したスタッフもいるにちがいない。この特別措置はやる気のある若者を米国社会に取り入れていく実に合理的な方法なのである。

「幸せの国」からも

当時、夜間の介護をしてくれるリリアンのほかに、昼間の介護人も必要だった。とにかく、わたしを含め24時間2人の介護人をつけるという条件の下で、退院を許されたのである。入院中、両腰の複雑骨折という思いがけない損傷を受けたため、それだけのケアが必要になったのだが、さらにフィジカル・セラピーが不可欠だった。

介護保険があって、ケア・マネージャーがさまざまな手配をしてくれる日本とちがって、米国ではケアマネの仕事もすべてわたしの肩に重くのしかかる。

仲の良い友達から、90歳を超える義母の介護をしているヘルパーさんがとてもよくやっているという話を聞いていたわたしは早速、彼女に電話してみた。

ヘルパーさんはブータンから来た移民だという。カリブ海の小島に続いて、こんどはヒマラヤ山脈の東端にあるブータン王国の名前が出てきたのには思わず笑いを抑えられなかった。あまりにボーダーレスというか、この国際性がニューヨークなのだ。

「国民総生産」より「国民総幸福量」を掲げる国からも移民が出て来たことはさらなる驚きであった。このブータン・コミュ二ティーのなかで、働いてくれる人がいるかもしれない。昼間には体のしっかりした若い男性の方が役に立つように思えた。

早速、数人と電話で話してみたところ、3人目の若者がわかりやすい英語を話した。ブータンでどんな仕事をしていたのか聞いてみると、病院でフィジカル・セラピーをしていたというではないか。神の助けとはこのことにちがいない。会ってみると、まるで日本人のような顔つきをした38歳で、ポールと名乗った。真面目で実直そうな青年である。すぐに朝9時から夕方7時まで10時間働いてもらうことにした。

「労働許可証」がなければ違法

ポールは朝、『デイリー・ニューズ』を買って現れ、皿洗いから、ショッピング、洗濯を済ませると、歩行器を使った歩行練習に始まり、ベッドの上でエクササイズを行う。朝と夕方それぞれのプログラムは多少ちがったもので、夕方にはシャワーに入れてストレッチもする。

いちばん助かったのは、表の空気がなかなか吸えない夫を車椅子に乗せて散歩へ連れ出してくれたことだった。ニューヨークの歩道は至るところに陥没があって、およそ車椅子に向いていない。そんな道ではわたしの力で車椅子をとても押せるものではない。

このほか、整骨医に連れていったり、心臓・腎臓・糖尿病の医者や、皮膚科、眼科などにも定期的に通わなくてはならない。医者通いでもポールは大活躍だった。複雑骨折の痛みがひどかったあの当時をなんとか乗り切れたのは、彼の献身的な介護のお陰である。

ポールは米政府の発行する労働許可証をもっていたために、こちらも助かった。米国では有効なビザや労働許可証をもたない移民を雇用することは違法になる。

個人宅での介護の仕事や掃除、乳母などの仕事をしている移民には有効なビザや労働許可証がない人も多い。つまり、不法移民であることを承知のうえ、現金払いで仕事を頼んでいる人がたくさんいることになる。選挙に立った候補者が不法移民を雇っていると暴かれ、足を引っ張る材料に利用されるという話もよく聞く。有効なビザがあろうがなかろうが、法の目をかい潜って移民に助けられて生活しているのがニューヨーカーなのである。

姿を消した「白人」

ところが、新政権が発足した数日後、連邦移民局に協力しない市や郡などには、協力金を差止めるという大統領令にトランプは署名した。「サンクチュアリー・シティ」と呼ばれる移民の聖域になっている市町村が儘ならぬことに腹を立て、圧力をかけたのである。

連邦政府の方針は、不法移民が別件で逮捕されたら拘留し、強制送還のために身柄を連邦政府に引き渡すことを要求する。しかし、ニューヨークやシカゴ、ボストンなどの「サンクチュアリー・シティ」ではその方針を拒否している。

「どこから来ようと、どんなステータスであろうとも、われわれはすべて移民の人々を守り続ける」

ニューヨークのビル・デ・ブラシオ市長は明確にこう発言し、ニューヨークが移民の聖域都市であることを強調した。

ニューヨーク市長の明確な移民保護に対し、不法移民の排斥を訴える現政権との溝はあまりにも大きい。その違いは何だろうか。

二十数年前、ニューヨーク州北部の田園地帯に家を持っていたころ、りんごの収穫時期になると近くの巨大なスーパーには「ジャマイカからようこそ!」という垂れ幕がかかっていた。熟したりんごを摘むために、季節労働者がジャマイカから大挙して押し寄せていたのである。

その巨大スーパーはもともとスプーンやフォークなどをつくる工場だったが、数年前に工場が閉鎖されたため街には失業者が多かった。社会保障をもらって生活している白人の多くは、りんごを摘もうとはせず、農場での仕事はジャマイカ人のやるものと考えているようなのだ。

リーマンショックで失業率が高くなったころ、同じような話を耳にした。あまりにも多くの人が仕事を失ったので、ある農場が失業者へ仕事を提供したことがあった。朝7時から集まって働き出した白人のほとんどは昼前の11時には挨拶もせず、密やかに姿を消してしまったというではないか。農作業のたいへんさに彼らは数時間で音をあげたのである。

深刻な人手不足

移民に仕事を奪われていると思っている人たちは、リリアンやポールの逞しさや勤勉さに目を向けず、ブルックリンとフロリダに家をもつことに嫉妬しているのではないだろうか。移民と付き合ってみれば、彼らの日々の努力と実直さが身にしみて伝わってくる。しかし、移民と付き合うこともなく、言葉を交わすこともなく、彼らの人数ばかりを数えていると、あいつらが自分の仕事を奪うという被害妄想に取り憑かれるのであろう。そして、仕事のない窮状を移民のせいにして怒りまくっているのだ。

そしていま、カリフォルニアなどの農場では人手不足が深刻になってきている。

どんなアメリカ人もインディアンを除いて、移民として渡って来た祖先の末裔である。移民として受け入れられた祖先は、その逞しさや勤勉さなどの活力をこの国に注いできた。そうやって大国になったアメリカが不法移民を強制送還し、幼いころ親に連れられて入国した不法移民の若者をこの社会に取り入れる特別措置を撤廃しようとしている。

いまこそ、自由の女神を仰ぎ見て、エマ・ラザラスの言葉をじっくり噛みしめるときではないだろうか。女神はいまでもたいまつを掲げ、気品と荘厳さ、力強さと自信に溢れた姿で、移民たちを迎え入れているのだ。