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ねつ造記事の作られ方

2014年04月30日 19時03分 JST | 更新 2014年06月30日 18時12分 JST

ねつ造という言葉の意味は「実際にはないことを事実のように仕立て上げること」となる。国民の知る権利の下、事実を伝える報道機関において、本来あってはならないことだが、ねつ造記事が一向になくなることはない。

事実でないことが伝わる誤報もあるものの、ねつ造とは少し意味合いが異なる。誤報は文字通り、事実を誤って報じること。単純なタイプミス、誤植や数字の桁間違いから、事実を正反対に伝えてしまうまで形態は様々だ。このほか、事実に基づいて記事が作成されながら、まったく違う意味で読者、視聴者に伝わるミスリードというものもある。

このミスリード、記者の恣意的な判断で作成される悪質なケースが多いものの、取材を受けた側とすれば隙を見せなければ防げる性質のものだと思う。ところが、ねつ造は確信犯的に"やられて"しまうため、防ぎようがない。記者の良心に照らして、最も恥ずべき行為であり、これを行う輩はジャーナリスト、記者と名乗る資格がないと断じたい。

私は議員になって取材する側からされる側に変わって、ミスリードに散々泣かされてきた。言質を取られないように気を付けながらも、逆に本旨で必要なコメントが省略された場合は、思っていることと反対に読む人が受け取ってしまうリスクもある。取材を受ける際、ある程度は覚悟して臨むため、まだミスリードは諦めもつく。しかし、つい最近、ねつ造されたと思しき記事が掲載された際は、さすがに激怒、抗議をするとともに訂正を求めた。

どういった内容か記すと、私が所属するみんなの党において、千葉県内で総支部を設立する準備を年初から進めてきたが、渡辺前代表の借入金問題が連日マスコミを賑わしていた時期に、ある新聞が「その影響で総支部立ち上げのメドが立たない」と報じたのである。

もちろん、党所属の議員にとって、借入金問題が一大事であることは間違いない。しかし、勃発するかなり以前から準備を進めてきた総支部設立は、まったく別物──当時の私はマスコミに対して、予定通り設立するとコメントした。実際、これが報じられてから1か月も立たない4月28日、設立することを正式に決めたのである。

なぜ、ありもしないことが書かれたのであろう。これは推測になるものの、この記事は党内地方議員が混乱している様子を記したものであり、「総支部設立が延期」ともなれば混乱の様子を示す象徴的な例になりうる。記者がそうしたネタを求めていたことが想像できよそうだ。

ねつ造が極めて濃厚な記事の取材源は私ではなく別の議員だったが、抗議の申し入れをした際に、先方の調査とかで、責任ある立場の人間が「その議員が言ったので記事にした」──ぬけぬけとそう言うのである。もちろん「言っていない」とこちら側の議員は否定。そこで、「そちらの記者が嘘をついていて、言ってないとしたら、この記事はねつ造にならないか」と問うたところ「そうなる。ただ、記者からは言ったと聞いている」という答えが返ってきた。

こうした場面に記者時代にも遭遇したのだが、「言った、言わない」の押し問答になることがほとんど。それゆえに、現役の記者時代、そうならないために、電話、対面に関わらず証拠になるよう録音して取材に臨んだ。ただ、とっさの場合、取材する側、しない側の双方とも録音などしない、できないこともある。まず、証拠がない時に、ねつ造の余地は生じるとみていい。

今回の場合、先方は議員が「言った」ことを盾にして、訂正にも謝罪にも応じなかった。事実は異なると申し入れただけではなく、その後に総支部設立をアナウンスしたにも関わらずでもある。ねつ造か否かは別にして、明らかに誤報──それでもなおかつ間違いを認めない姿勢に対し、私はこの新聞社のデスク、記者の"記者の良心"を疑った。

実は、この議員の取材を基に報じた新聞は他にもあり、そこには「党では5月にも総支部を発足させる予定だけに影響は必至」と記されていた。この文章からメドが立たないと読み取れるだろうか。記事は、統一選に関する「戦略練り直し」とする見出しで、文脈からは、私の国語力が劣っていないのであれば、影響はこの戦略についてと読み取ることができる。いずれにせよ、同じ取材源で、なぜ異なる内容になるのだろう。議員と事実を報じた新聞社の記者の2人が嘘をついていると言うのであろうか。

もう少し詳しく記すと、「メドが立たない」というのは、コメントの部分ではなく、記者の文章で書かれていた。「言った」とするのであれば、より真実味を出すためにコメントの中で記すのが一般的だ。そうしたなかったのは、"記者の良心"で痛む部分があったのではないかと勝手に想像する。状況証拠から、極めてねつ造の可能性が高く、先述した通り、百歩譲ってねつ造ではないとしても、明らかに事実に反する誤報だったのだ。

さて、なぜ、ねつ造記事が後を絶たないのであろうか。結論から言えば、記者が自分を能力以上に見せるため──それが一番と考えられる。

報道機関に所属する記者はサラリーマン。優秀な記者というのは、特ダネを連発、或いは優れた調査報道を行う記者を指すが、いずれも簡単に書けるものではない。これらの出稿がほとんどなければ、出世が難しくなるのはもちろん、若い段階から見切りを付けられ人事異動で記者から外されてしまうこともありうる。

なかなか、特ダネが取れない、分析に必要なデータが集まらない──私も現役の記者の時、正直焦りを感じることがあった。だからと言って、ねつ造をするという選択肢はまったくない、というか考えてもみなかった。

本社に戻りたい、希望部署に異動したい、給料を上げたい、出世したい──この点は、記者も一般のサラリーマンと変わらず必死なのだ。中には、そんなことには無頓着で、事実をひたすら追い求め、記者という仕事が好きで好きでたまらないといった記者も多い。そもそも、私の経験からモノを言えば、優秀な記者ほど、職人のように事実を追い求める姿勢だったように記憶する。

むろん、お世辞にも優秀とは言えなくても、"記者の良心"に従っていれさえすれば、一線を踏越えることはない。だから一概に、"記者のサラリーマン化"がねつ造を生む理由と私は思わないのである。

そう、最低でも備えなければならない"記者の良心"の有無なのだ。それは研修などの類で身に付けるものとは思えない。記者というのは優秀なだけで務まるものではなく、それを見抜く鋭い目が企業として求められのだ。"なってはいけない人"を採用してしまう、そして、そうした人を放置してしまう企業としての体質──これがねつ造記事を生む最も大きい要因と私は考える。

書かれた記事はニュースバリューとして、記者やデスクは大きいとは思わなかったかもしれない。しかし、激震の中で何とか頑張ろうと取り組んでいる私達にとって、1つ1つの取り組みが重要──それが歪められてしまったことが許せなかった。

この拙文を読んでいる現役の記者もいると思う。その方たちに「"記者の良心"を持っていますか?」と問いかけてみたい。

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