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東日本大震災から5年。廃校が「モリウミアス」に生まれ変わるまで

2016年03月10日 23時03分 JST | 更新 2017年03月11日 19時12分 JST
Sweet Treat 311

今年も早いもので3月。今日は3月11日。震災が起こってから5年が経とうとしています。

無くなったものやたくさんの涙。少しつづ町が出来はじめている場所や、震災前にはなかったものが生まれている場所も。去る人や移住者が増えた場所、とても魅力・刺激があることをしている人たちもいます。

私の2011年3月11日は、横須賀に出張をしている時に震災が起こりました。直後の週末から救援物資を届けたり、宮城県の仙台や石巻、女川、南三陸、気仙沼で炊き出しを行うために、週末ごとに通ったりするようになりました。

友人の立花貴が仙台の出身で、実家の安否確認をきっかけに始まった炊き出し。東京から食材やお菓子の提供を受け、避難所に届けていました。時には誕生日会を行ったり。そんな形から東北に行くようになったのがすべてのスタートです。いま考えると、あまり考えず勝手に体が動いていました。

それは2001年、ニューヨークで起こった同時多発テロの経験につながっているのかと、最近よく考えています。当時はニューヨークで暮らし、テレビ局に勤めていたので、戦場のようになった町の状況を報道していました。命、生きる・働くことに向き合うようになったのはこの頃からでした。

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縁もゆかりもない東北、宮城県。でもそこには「雄勝」という大変逞しい、男らしい名前の町がありました。雄勝中学校の佐藤元校長先生に惹かれ、移転先の間借り校舎に昼食を届け、その後藤原和博さん、三枝成彰さん、林真理子さんらと出前授業をご一緒したり、アフタースクールを実施したりするなど、団体として少しづつ雄勝に根ざし、中学生に寄り添いはじめました。

2012年には雄勝に移住するスタッフを採用。町から40分離れた仮設住宅で暮らすこども達を、週末ごとに雄勝に連れ戻し、様々な体験活動をする中で、半島の突端にひっそりと残る、廃校を見つけました。これは霞が関の行政官が研修の一環で住民との話の中から保存されていることが分かり、いまのモリウミアスにつながる構想をまとめてくれたのがきっかけです。モリウミアスの舞台となる旧桑浜小学校はそういった形で現れました。

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木造平屋で地元の名産である硯石をスレート材として屋根に使われた、とても可愛らしい校舎でした。町の中心部が壊滅的な被害を受けた痛々しい状況に対し、この廃校は昔の雄勝、もっというと昔の日本らしさを感じさました。

先週、町民が語り部となり3キロほど町中を歩き、震災当時の様子やこれからについて話をする「被災地ウォークin雄勝」が開催されました。100人近くが集まる中、「ないものを数えるのではなく、あるものを数えよう」という語り部の言葉に感動しました。

失ったものにフォーカスするのではない。あるものに感謝をすることで、気持ちが落ち着き、いまは幸せを感じているといった内容でした。雄勝は不便だからいい、とも言われます。その通りだと思いますし、暮らし、生きる豊かさは、ないものを欲するのではなく、あるものに感謝をすることなのではないかと思っています。

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自然の恵みに感謝し、もらったエネルギーを自然に返すことで循環が生まれる。モリウミアスでは、そんな感覚をこども達に感じてもらおうとしています。

帰国後、地域を回り感じていた、日本の地域の自然と暮らしの豊かさ。そして都市部ではこども達の原体験や学びの機会が欠如している。そんなギャップが雄勝ではうまると感じました。改めて振り返ると、いまがあるのは仲間や住民、雄勝に関わる方々とのご縁、なにか不思議な力に引き寄せられたとしか説明できません。偶然のようで必然なのかもしれません。

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でもまだスタートしたばかり。これからこども達と、そして応援する大人や企業と一緒に豊かな学び場をつくり、学んでいく。それが雄勝の未来になってゆくと思います。こども達が大人になり、そのこども達が訪れる循環が生まれる頃には、町はどうなっているか。そんな事を夢に見ながら、自然と町の人々とゆっくり歩んでいきたいと思います。

複合体験施設「モリウミアス」の詳細はこちらから。

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