miyagiken

「もはや私たちでなくとも出来る」。11年前、臨時災害放送局としてプレハブのスタジオで女川の被災町民らが有志で始めたラジオ番組が終わる。この言葉の真意をプロデューサーに聞いた。
これまでに100本以上を製作した疑いがあるという。
「町を世界に見てもらいたかったが、学校だったので……。思いが全部違った」と心境を明かした。
高齢の女性が来店し、店員の石井琴音さんに「電子マネーの買い方がわからないので、教えてほしい」と尋ねてきた。
東日本大震災から、3月11日で10年。津波被災地では、沿岸部と、人・モノ・カネが集中し続ける仙台圏との不均衡な姿が浮かび上がる。
津波で被災した地域と、無事だった地域の両方から子どもたちが通っていた学校。「これから何がしたい?」なんて話はとてもできなかったからだ。
県別では、宮城県の119校、福島県の10校に被害が出た。
申立書によると、理事長は、あいさつされても無視をしたり、気に入らない相手を大声で威嚇して問い詰めたりしていたという。
被災した人や大切な家族を失った人の心には、目処が付くわけがないですから。けじめなんて付けられないと思います、あくまでも「通過点」ですから。