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お金、運、運動神経すらなくても、成功する方法

2015年11月26日 15時49分 JST | 更新 2016年11月24日 19時12分 JST

天・地・人。

天運・地運・人の運。

未来・過去・現在。

私が大学生の頃、海外で遺伝子の研究をしている学者の授業を受けたことがある。

その中で今でも忘れられない講師の言葉がある。

「人の運命はおおよそ遺伝子で決まっている。」

現在も、遺伝子検査がこれからのトレンドになると予想されている。

 どのがんに何歳くらいでなるのか?

 どんな病気を何歳くらいで発症するのか?

遺伝子検査でこれらをおおかた予想でき、その時までに前もって、悪性腫瘍ができると予想される体の部位を取ったり、治療を始めたりできる時代が、もうそこまで来ている。

 その人にはどのような才能がありるのか?

 何に向いているのか、向いていないのか?

そんなことまで予想できてしまうようになるのだろうか。

本当に人の運命はそこまで遺伝子によって確定してしまうのだろうか。

それゆえ、精子バンクで優秀な遺伝子が高額で取引されているのだろうか。

私は才能は、二種類あると考えている。

天・地・人の、「地」と「人」の部分があるということだ(天の部分についてはまた機会があれば考えを述べる)。

地の部分「地運」というのは私の中では、先祖の運だ。

そこにはもちろん遺伝子の継承も当てはまるし、自分の先祖や現在の親の財産も含まれる。

生まれつき足が速いとか、記憶力がいいとかそういうものも含まれる。

一般的な日本人がいくら努力したところで、イチローの運動センスやジャマイカのボルトに100メートル走で勝ることはない。

政治家の子弟は、300倍も政治家になりやすいというが、それは親の地盤という地運を継承するからだ。

ということは、やはり遺伝子や先祖からの継承という「地運」があの学者が言ったように人生の全てなのか?

私は「地運」という生まれ持っての運には、一つの弱点が存在すると思っている。

そのことを理解した上で、自分や他者と対峙するのと、そうでないのとは本当に運命が変わってしまう可能性がある。

その弱点とはなにか?

この「地運」という才能に根ざした能力は生涯にわたって伸び続けることはないということだ。

どこかで必ずピークアウトする。

死ぬまでボルトがいくら努力しても記録を伸ばし続けることはできないということ。

先祖から受け継いだお金も地盤もそのままでは減少していくということ。

そこから得られる結論は、このような強い「地運」をもつ人間や組織、国家と相対するときは静かに長い時をかけ勝負を挑まないといけないこともあるということだ。

それが国単位や企業体になれば、数百年の時間を掛けて成されなければならないこともあるかもしれない。

江戸時代、大阪を日本一の商都にした淀屋はあまりの繁栄振りに幕府によって財産を没収されお取り潰しにされた。

そのことを予想した淀屋はその前に山陰に今でいう分家を行う。

この山陰で生きながらえた淀屋の末裔が幕末の維新に全ての財産を投げ打って倒幕を支えたのだ。

さて、もうひとつの才能、「人の運」。

この才能を切り開いたとき、私たちに生きる意味を大いに与えてくれることになる。

私がいる、この海外の医療活動地には、毎年数百人の医者たちがやってきて手術を行う。

その中には、今の日本の医療を支えるトップクラスの医者たちも含まれる。

ある時、誰もが知る超有名病院のトップの医者がやってきた。

その手術を私は横で見ていたが、その医者の手つきは決して器用な感じではなかった。

むしろ元々は不器用な人だなと感じたほどだ。

しかし、手術は淡々と、滞りなく進んでいく。

そして、しっかりと終わっていくのだ。

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一方、結構手先が子どもの頃から器用にできていている人間は、むしろいつも器用貧乏で、人が10回かかるところを5回でできてしまうと、何でもすぐ飽きて長続きしなくなる。

不器用な人間は、逆にいつも上手くできないという意識が働き、常に努力するモチベーションを維持できることが多い。

器用であるという地運、才能。

不器用であるという地運、才能。

例えば、外科の世界ならば、1,000件手術を経験すると、この「地運」がものをいう。

器用な人間とそうでない人間の差は歴然で、圧倒的に生まれつき器用な人間のほうが手術は上手くなる。

ところが、両者が10,000件の手術を経験したらどうなるのか?

このとき、どちらもすごいレベルになっており、甲乙を付けがたいレベルになっている。

この時点になると、生まれつきの器用・不器用の差は、単なる「誤差」になってしまうのだ。

むしろ、不器用な「地運」を背負っている人のほうが努力を怠らず大成することが多いのだ。

あるアメリカの研究では既にこのことが指摘されている。

すなわち「成功することに才能はほとんど関係ない」ということが。

多くの人が上手くいかないことを、自分に才能がないという。頭が悪いだの、不器用だの。

しかし、それは単に努力しないことの言い訳でしかない。

地頭がいいだの悪いだのは、圧倒的「努力」の前には「誤差」に変わるのだ。

まさにそれが「人の運」であり、私たちの生きる価値を生み出してくれるものなのだ。

そしてもうひとつ大切な事実は、この「人の運」という才能にはピークアウトがないということだ。

生涯にわたって伸び続ける可能性があるのだ。

自分の努力によって。

先祖の運がたとえ貧弱でも、親の財産がなくても、運動神経が生まれつき悪くても、努力次第で、生涯伸び続ける才能とそれにかけるチャンスが私たちには与えられている。

二つの才能を混同し道に迷ってはいけない。

私たちには現在と未来を創造する力が与えられている。

「地運」に囚われず、自らの人生と才能を信じ、努力を続けていくほうがいい。

◆国際医療ボランティアNGO ジャパンハート 

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